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2023/04/14

佐々木喜善「聽耳草紙」 三九番 馬喰八十八

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。ちょっと長めの話柄である。標題は「ばくらうやそはち」と読んでおく。「博勞」「伯樂」とも書いた。後者の「はくらく」音変化であるから、「らう」は正規な歴史的仮名遣ではないが、かく表記する。本来は、「牛馬の良否を見分けることに巧みな人・牛馬の病気を治す人」の意だが、江戸時代には「牛馬の売買・仲介を業とする者」を指した。]

 

   三九番 馬喰八十八

 

 或所に、馬喰八十八と云ふ貧乏な馬喰が、たつた一疋の瘦馬を持つて居た。八十八の隣家(トナリ)の長者どんには立派な馬が四十八疋もあつた。八十八はある馬市に一日でもよいから隣家(トナリ)の長者の馬のやうな立派な馬を、引いて行きたいものだと思つて長者どんの所へ行つて、明日の馬市に旦那の所の馬を引いて行つて、人々に見せて遣りたいが、一日貸してケませんかと言ふと、長者は、これが俺ア隣家(トナリ)の旦那の馬だと言つて、上町《かみちやう》から下町《しもちやう》まで曳いて步くなら、四十八疋皆貸してもよいと言つた。八十八はそれでは旦那の言ふ通りにフレて步くから貸シ申せヤと言つて、長者どんの四十八疋の馬を借りて其の翌日馬市へと引いて行つた。

 八十八は隣家の長者の四十八疋の馬の一番シンガリに自分の瘦馬を引ツかけて曳いて、賑かな馬市ヘゾロゾロさせて乘り込んで行つた。人々が魂消(たまげ)て、八十八どこでそんな馬ドを買つて來た。大したもんだなアと褒めると、得意になつて、なに隣の長者の薄馬鹿が俺に全部(ミンナ)賣つたのさ。四十九疋目のあの瘦馬ばかりが長者の馬だと言いフラした。ところが長者の旦那が、世間の人達がどんなに自分の馬を見て褒めるか、それを聽きたいものだと思つて、町へ行つて隱れて八十八の曳いて通るのを見て居たところが、八十八がそんな噓(ボガ)を言ひフラして步いているので、ゴセ燒いて、一足先きに家に還つて、八十八が還るのを今や遲しと待ち構えていた。そこヘ八十八は馬をゾロゾロと引いて戾つて來たものだから、此の野郞、今日町で何と言つた。よくも俺に赤恥をかゝせたなア、その返報は打つて遣るから覺えて居ろと言つて、八十八の瘦馬の、頭を斧でもつてグワンと叩いて打ち殺してしまつた。[やぶちゃん注:「ゴセ燒いて」は「後世(ごせ)を焼く」の転訛と考えられている東北や新潟の方言。「気を揉んで」の意(ウィキの「ごしゃぐ」を参考にした)。]

 八十八はもともと自分が噓(ボガ)を言つたのが惡いのだから、仕方がないとあきらめて、其の馬の皮でも剝いで皮だけでも賣つて酒コ飮むベアと思つて、其の馬の皮を剝いで持つて、翌日町へ行つた。その日は大雪降りで、オメトツテ(難澁して)やつと原中の一軒屋までたどり着いた。椽側《えんがは》に腰掛けて憩《やす》んで居ると、何だか家の中でヒソヒソ話の聲がきこえる。窃《そ》つと戶の隙穴から覗いて見ると、其の家の嬶《かかあ》が何所《どこ》か外(ヨソ)の男を引き入れて、今酒盛最中のところ、これは怪(ケ)しからぬと思つて居るところへ、表の方で嬶今歸つたぞと言ふ聲がした。すると爐傍《ひぼと》の嬶と男は大狼狽(アワテ)にアワテて、男をば戶棚の中の大葛籠(ツズラ[やぶちゃん注:ママ。])の中に入れて押匿《おしかく》し、御馳走の御膳は小座敷に匿し、蛸の脚をば箒掛《はうきが》けの釘などにかけたりして其の場をとりつくなつてから、漸《や》つと口を拭いて主人を出迎へた。主人はあゝ今日はとても寒かつた。よく火をこんなに燃して置いてくれたなと云ふと、お前が歸つて來る時分だと思つてと、嬶は眩《まぶ》しいやうな顏をして云つた。其所ヘ八十八が入つて行つて、私は旅人だが、とても雪降りに困つて步かれないから、一寸爐傍にあたらせてケ申せと云ふと、主人は心よく、さあさあ御遠慮なくずつと此方《こつち》へと云つてくれた。そして旅のお客樣は何商賣だと訊く。八十八は口から出任せに俺は八卦置《はつけお》き[やぶちゃん注:八卦見。易者。]だと言つた。そして甚だ無調法な話だが、どうにも旦那樣は明日と言はず今夜の中《うち》にも飛んでもない災難に出遭ふ相が顏に現はれて居る。もつとも藪から棒に斯《か》う言つても、旦那樣は眞實(ホントウ[やぶちゃん注:ママ。])にしなかべから、その前に俺はいろいろな八卦を置きますと言つて、背中から風呂敷包みを下《おろ》して、中から馬の皮を取出して、それをゴソゴソ揉(モ)んで嗅《か》いでみてから、それ宜(ヨ)うがんすかナ、此の家の奧座敷には御膳立《おぜんだて》がして酒肴《しゆかう》があるから行つて御覽じろと言つた。旦那はそんな事があるものかと思つたが、試みに行つて見ると、如何にも其の通り立派な膳立をして酒看がある。魂消(タマゲ)て八卦置殿なるほどありましたと言ふと、八十八は、それどころではない、臺所の箒掛けの釘には蛸の脚がかゝつて居りますぞと言ふ。行つて見ると矢張り其の通りである。そこで八十八はいよいよ勿體《もつたい》らしく馬の皮を揉んで嗅いでみて、今度こそは大變だよ旦那樣、其處の戶棚の中の葛籠(ツヅラ)の中を御覽じろ、其の中には今夜お前さんの生命《いのち》を取る化物《ばけもの》が入つて居るからと言つた。主人はすつかり靑くなつて、それは大變だ。八卦置殿、何とかして私の生命を助けてクナさいと泣きさうになつて言ふので、八十八は戶棚の下から葛籠を引きずり出して、これ化物(バケモノ)よく聽け、お前は何の怨みがあつて、此家の主人の生命を取らうとするのか、次第によつては、ケツチヤ(反對)にお手前の生命(イノチ)を貰う[やぶちゃん注:ママ。]からさう思へと言ふと、中の男は恐しさに葛籠がぐらぐらと搖(ユス)ぶれるほど顫《ふる》へてゐる。これ見たかこの通りだと言ふと、主人は金百兩出すから、どうか其の化物を何所かへ持つて行つて捨てゝクナさいと賴んだ。八十八はこれは仲々《なかなか》俺の手にも餘る代物《しろもの》である。とても百兩ごときでは引受けられないと言ふと、主人はそれではもう五十兩足すから、どうかこれを退治してクナさいと泣いた。ぢやア百五十兩に負けると云ふて、それだけの金を取り葛籠を背負つて出やうとすると、其の家の主人はお前樣の其の嗅ぎ皮《がは》という物を俺に賣つてはくれぬか、五十兩出すと言う。どうしてどうして之れは俺の職業(シヨウバイ)道具だ。五十兩ぐらゐにア賣られるものかと言ふと、それぢやアと言つて五十兩足した。そこで八十八はあんな瘦馬の皮を百兩に賣つ拂つて、さていよいよ葛籠を擔《かつ》いでその家を出た。

 八十八は間男《まをとこ》の入つた葛龍を擔いで、村端《むらはづ》れの大川の橋の上まで行つた。そして橋の上に其の葛籠をどツかと下《おろ》して、さあ化物觀念しろよ。今此の八卦置樣が愈々お前を退治するために、此の川の中に打《ぶ》ち込んで遣ツから、覺えて居るなら念佛の一つも唱へろと云ふと、中の男はすつかり弱つて、どうぞ八卦置殿お慈悲だ。生命ばかりは助けてクナされと泣き出した。八十八が只では許されぬと云ふと、そんだら百兩出すツからと云ふ。不足だと云ふと、それぢやもう五十兩足すツから、それで許してくれと泣く。そんなに泣かば可愛想だから百五十兩に負けて置く。たゞ此の後《あと》決してあんな惡心を持つな。人の生命などを取るべなどとは思ふな。又人の嬶などを取るな。いゝかと云ふと、決してそんな眞似は致しませんと云ふ。それではと葛籠の紐(ヒモ)を解いてやり、男から百五十兩の金を取つて、ほくほくもので八十八は家に歸つた。

 其の翌日八十八は隣家の長者どんへ行つて、旦那樣アまづ大(タイ)したこともあればあるもんだ。旦那樣に殺して貰つた家の瘦馬の皮を剝いで、昨日《きのふ》町さ持つて行くと、近いうちに戰爭(ユクサ)が始まると謂つて、陣太鼓を張るために馬の皮のひツぱく[やぶちゃん注:「逼迫」。]、あんな瘦馬の皮が一枚これ位に賣れましたと云つて、昨日取つて來た金をズラリと旦那の前に並べて見せた。すると根が餘り利巧でない長者どんはすつかり乘つて、それぢや俺も馬の皮を賣らうかなア。さうしなさい、さうしなさい。第一生きて居れば飼葉を食ふ、手入れをしなくてはなんねえ。それよりは皮にして高く賣つた方がよい。それぢや今殺すべえ。八十八お前も手傳つて殺せいと云ふことになり、下男や村の人達まで狩り集めて、四十八匹の立派な馬どもを片端から斧や棒で撲《う》ち殺してしまつた。やつぱり一番殺シ方の上手なのは八十八だつた。其の上に八十八におだてられて、馬一疋分の皮代を御大儀振舞(オタイギフルマ)いだと云つて、酒肴を買はせ村の人達を呼んで大酒盛《おほさかもり》をやらかした。

 それから多くの下男どもに、其の皮を背負はせて町へ持つて行つた。そして上町(カミチヤウ)から下町(シモチヤウ)まで、軍(イクサ)の陣太鼓を張る馬の皮、一枚三百兩に負けたツ、あゝ安い安いと振れ步かすと、あれあんな馬鹿者も世の中にはあるもんと見える。やつぱり氣が違つたこツだべと蔭口ばかりして、誰《たれ》一人見向く者もない。そこで長者どんもこれは隣家《となり》の八十八に一杯喰はされた。畜生覺悟しろと、眞赤になつて怒《おこ》つて歸つて、馬を殺した大斧《おほをの》を振り翳《かざ》して、八十八の家に大暴れにあばれ込んだ。

 それより前に八十八はたつた一人ある年取つたお母(フクロ)が、餘り物を食はせないで置いたので死んでしまつたが、葬式を出すには錢がかゝる。ハテどうすべえと思案して居るところへ、隣家の旦那がそんな風に、大斧を振り翳して暴れ込んで來たので、お母(フクロ)の死室《しにべや》へ飛び込んで隱れた。何所に入つて隱れたつて、今度ばかりは許さんない[やぶちゃん注:ママ。]と言つて、斧で其所《そこ》らを切り廻すと、八十八はお袋の屍體を戶口へ投げ出した。何しろ旦那は無我夢中になつて居るので、誰彼《だれかれ》の見境《みさかひ》もなく斬り立てると、誤つて婆々の屍體の腹を切り割つてしまつた。すると八十八はわツと大聲を立てて泣き出し、隣家の旦那にたつた一人しか無いお母(フクロ)を斬り殺されたとわめいた。さう云はれて、隣家の旦那も初めて氣がつき、これは大變なことをしたものだと目が覺めて、八十八これは惡い事をしてしまつた。許してくれと言ふと、八十八は許すべえと思つたつて如何(ドウ)すべえやうもない。たつた一人の母親を斧で腹ア斬り割られて、これこの通り押ツ死《ち》んでしまつた。明日にも御代官所へ屆けなくてはなるまいと云ふ。隣家の旦那はいよいよ靑くなつて、隣同志のよしみで、どうか内聞にしてくれ。其の代りに金を百兩出すと云ふ。否々《いやいや》百兩ばつちの金で一人の母親の生命は買はれない。そんだらもう百兩出す。いやとても聞かれぬ。そんだらもう百兩出すべえ。そんだら仕方がないから内聞にして遣ると言つて、えらく恩に着せて、旦那から三百兩の金を取つた。

 それから八十八は村の馬喰の所へ行つて年寄馬を一疋買つて來て、母親(オフクロ)の屍體を其の馬に乘せて、村人の誰《たれ》も知らぬことをいゝことにして、俺も母親を湯治《たうぢ》に連れて行くと言つて引いて出た。そして峠の下の茶屋まで行つて、其所の杭《くひ》に馬を繫いで置いて、その茶屋ヘ入つて行くと、所の遊び人《にん》どもが四五人連《づ》れで酒を飮んで居た。八十八が其の人達の前にあつた盃《さかづき》をいきなり取つて飮むと、其の人達は大變に怒つて、此奴《こいつ》は太い野郞だ。何所の馬の骨だ。其れ位《くらゐ》酒が飮みたけれやこれでも飮ましてやると言つて、爐《ゐろり》にあつた鐵瓶をとつて、八十八めがけて投げつけた。ところが八十八は逸早く身を變《か》はしたので、それが八十八には當らず、ブンと唸《うな》つて飛んで行つて、馬上の八十八の母親の屍《しかばね》に打《ぶ》ち當り、勢ひで屍が馬から眞倒《まつさか》さまに落ちた。そこで八十八は、あれアこの男に俺アお袋が殺された。人が湯治に連れて行くところだつたのに、こんなに殺されてしまつたと言つて、大きな聲で吠え立てた。男どもも始めて事の意外な事に魂消て、遂々《たうとう》金を五十兩ばかり强請(ユス)られてしまつた。八十八は殺された母親を湯治にでもあるまいからと言つて、家へ持つて還つて、裏の柿の木の下に埋めて置いた。其翌日又隣家の長者どんへ行つて、こちらの旦那樣に殺された家《うち》の母親を、昨日五十兩に賣つて來た、何でもこの頃人の肝《きも》で藥をこしらへるといつて、人肝買《ひときもが》ひが山の下の茶屋まで來て居つた。旦那樣どうでがんす、お宅の祖母樣(オバアサン)もあゝやつて役にも立たぬ者を養つて置くよりは、叩き殺して賣つた方が得でがすぞと云ふと、旦那もそれもさうだと言つて、祖母樣をば斧で叩き殺した。八十八に騙《だま》されて今では一疋の馬も無いものだから、八十八の所の馬を借りて、祖母樣の屍體をつけて山の下の茶屋まで行つた。そして訊いてみると、そんな物を買ふ人なんて來ないと言ふ。又一杯喰はされたかと、飛んでもなく腹を立てゝプリプリになつて家に還つた。長者の旦那は一度ならず二度も三度も、八十八に騙されて、馬を殺したり祖母樣を殺したりしたので、あんな畜生を生かして置いたら此後どんな目に遭はされるか分らない。これは今のうちに撲殺(ウチコロ)してしまつた方が世の中の爲だと思ひ、多くの下男を呼んで、八十八を捕へて大川の淵の底に沈めて來いと言ひつけた。多くの下男どもは八十八がまだ眼を覺まさない寢込みに押し寄せて、布團ぐるみに繩でぐるぐると引つカラがひて、ウンサ、ワンサと引擔《ひつか》いで川岸の土手を走《はしら》せて行つた。八十八は驚いて、お前達はこの俺をどうしやう[やぶちゃん注:ママ。]と言ふのだと訊くと、お前のやうな惡者を生かして置いては、今後どんなに此の村が迷惑するか分らぬから、それで俺(オラ)が旦那がお前を大川の淵に投げ込んで殺すのだと云つた。それを聽いて八十八は、なるほど俺も八十八樣だ。殺すと云ふなら男らしく殺されて遣るべえが、たゞお前達も知つて居る通り俺も此頃は有卦《うけ》に入《い》つて[やぶちゃん注:「稀なる幸運に恵まれて」といった謂いか。]、生(ナマ)千兩の金を貯めてある。俺が死んでしまつては其の金も無駄だ。これまでお前達とは朝晚顏を見合せて隨分世話にもなつたから、その禮代《れいがは》りにやるから分けるといゝやと言ふ。下男どもは八十八に惡錢のたんまりあることを知つて居るもんだから、互に顏を見合せて、それぢや其の金が何處に有れアと云ふと、あれあれ俺家(オラエ)の裏の柿の木の根元さ埋めて置いたから、誰《だれ》か行つて掘り起して見ろ、ここには俺の番人一人位殘して置けばいゝぢやないかと言ふ。すると皆は慾《よく》だから、何お前の番なんかしなくともさう繩《なは》カラがき[やぶちゃん注:布団蒸しの上から縄で雁字搦めになっていることの意であろう。]になつて居るから大丈夫逃げつこが無い。それぢや俺達はこれから引ツ返して柿の木の根元にある金を貰つて來るから、お前は默つて此所で待つて居れと言つて、八十八ばかりを土手の上に投げ出して置いてドヤドヤと後(アト)へ引ツ返して行つた。

 八十八が布團ぐるみの中で笑つて居ると、其所へ、牛方《うしかた》が牛に魚荷をズツパリ(多く)つけてやつて來た。よく見ると其の牛方はとても穢《きたな》い目腐《めぐさ》れであつた。これはよい者が來たと思つて、オツト目腐眼(マナコ)の御用心々々々と言つて居た。牛方は不思議に思つて側ヘ寄つて、お前は何の譯でそんな事をして居ると訊いた、八十八はよく聽いてクナされた。俺は餘り目腐れがゲエ(ひどく)で直らないから巫女《みこ》さ行つて訊くと、それは何の譯も無いもんだ、布團にくるまつてぐるぐる繩カラがきにして貰ひ、街道(ミチ)ばたで、目腐眼ア御用心々々々と言つて見ろ、忽ち治(ナヲ)ツからと敎はつて、斯うして居るが、ありがたいことにはこれこの通りすつかり直つた。お前樣も見れば目が惡いやうだが、一つやつて見てございと言ふと、其の牛方は自分のつらいのに騙されて、ケナリく(羨ましく)なり、それでア俺も少々其の布團を借りて縛られてみべえかなア、お前樣はそんなに快くなつたから出てもよかんベアと言つて、縛つた繩を解いて、八十八を出し自分が身代りに布團に卷(マ)くたまつてぐるぐるカラげにして貰ひながら、そこでアこの牛の魚荷を町さ屆けてクナえ、御禮は後ですツからと言ふ。八十八は何御禮にア及ばないよ爺樣、どうせ俺はこれから町さ歸るんだからと言つて、牛を曳いて笑つて其所を立ち去つた。

 一方下男どもは走《は》せて行つて、八十八の家の裏の柿の木の根元を掘つて見ると、何の金どころか婆々の腐つたのが出て來た。皆が呆れて、それから火のやうになつてゴセ[やぶちゃん注:「ゴセ(後世)」或いは「ゴセンゾサマ(御先祖様)」で、御遺体のことか。]を燒いて、少しも速く八十八の野郞を殺さねばなんねえべ。俺が馬鹿旦那ア騙してまだ不足で俺等まで騙しやがつたと言つて、どんどん先刻《さつき》の土手に駈け戾つて來た。すると布團つゝみの中から、目腐眼《めぐされまなこ》の御用心々々々と叫んで居るので、この野郞がそんな寢云いつて[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」版では『寝言』(ねごと)『いって』とある。「言」の脱字か。]ゴマカスベえと思つてか、態《ざま》ア見ろと言つて、爺樣を淵の底に投げ込んで殺してしまつた。

 男どもは旦那樣の所へ還つて。八十八の野郞を今度こそたしかに淵さ打《ぶ》ツ込んで來た。なんぼ八十八でも今頃は立派に往生したべえと語つて居るところへ、八十八は外から牛に魚荷をつけて引ツ張つて來た。いや皆さん先刻はありがたう。御影であれから淵の底ヘ行くと、とても立派な御館があつて、其所に綺麗な女が居て、八十八さんお前さんはよく此所に來てくれたと言つて、こんな牛だの魚だの貰つて來た。もう少し居て今夜は泊つて行けツて責められたけれども、何しろ早く歸つて旦那樣さ申譯《まをしわけ》すべえと思つて、これだけしか貰つて來なかつた、もつと居ればどんないゝ寶物が貰えた[やぶちゃん注:ママ。]かも知れないから、これからまた行つて來るべえと思つてゐる。まづまづこれは旦那樣さのお土產だと言つて、牛(ウシ)の魚荷を皆玄關に下ろして積んだ。すると旦那樣は不思議に思つて、俺も淵の底へ行つて、その美しい女から、色々な寶物を貰つて來ツかなと言つて、八十八に其所さ行くには如何《どう》すればよかつケなどと訊いた。すると八十八は、なあに雜作《ざうさ》は無いです、この俺でせい[やぶちゃん注:「さへ」の意の方言であろう。]此れ程の物貰つて來たんだもの、旦那樣などア行つたらそれこそ大變だべえとおだて、旦那樣は又すつかりその口車に乘つて、八十八に連れられて前の淵の所へ行つた。そして八十八に淵の中さ突き落して貰つた。八十八は、ささあ旦那樣ア寶物をウント貰つて來てございと言つて其所を去つた。

 その八十八は隣家《となり》の長者どんの家へ行つて、嬶樣シ嬶樣シ、旦那樣は龍宮さ行つて二度と家サば還らないから、俺の家《うち》も女房も八十八サくれると言ひました。ほだから俺と夫婦になつてございと言つて嬶樣と夫婦になつて長者になつた。

  (この話とほぼ同筋の話が、田中喜多美氏の話にも
  あつたが、主人公は噓五郞と云ふとなつてゐた。ま
  た隣家《となり》の長者は高野樣と云ふことになり、
  紫波《しは》郡昔話の阿野樣(一一四)と内容がよ
  り多く同じい點があつた。同じ話が紫波と岩手に分
  れてこのやうに變化して話されたものらしく思ふ。)

[やぶちゃん注:ピカレスク物であるが、死ぬものが多過ぎ、八十八がそれに一抹の憐憫も持ったようには感じられず、寧ろ、屍(しかばね)を踏み台にして悠々と長者となる展開は、かなり後味が悪く、個人的には好きになれない。

「紫波郡昔話の阿野樣(一一四)」佐佐木喜善の本書より五年前の著「紫波郡昔話」(大正一五(一九二六)年郷土研究社刊)のそれだが、国立国会図書館デジタルコレクションで見ると、ここで、標題は『(一一四) 河野樣』となっている。この「阿野」は誤字か誤植であろう。なお、紫波郡は現代仮名遣では「しわぐん」で旧郡域は当該ウィキを見られたい。]

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