佐々木喜善「聽耳草紙」 五三番 蛇の嫁子
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
五三番 蛇の嫁子(其の一)
或所に長者があつて、美しい娘を三人持つて居た。或日ツボマヘ(庭)を眺めて居ると、池のほとりで蛇がビツキ(蛙)を呑むべとしてゐた。蛙が苦しがつて悶《もが》いて居るので、長者は見るに見かねて蛇々、そのビツキ放してやれ、その代り俺に娘ア三人あツから、その中の一人をお前のオカタ(女房)にけツからと言つた。すると蛇は呑みかけた蛙を放して、草叢の中へするすると入つて行つた。
翌朝になつたが、長者が朝飯時になつても起きないので、娘どもは心配して、一番上の姉が父親の寢床に行つて、父(トヽ)な起きて飯食べてがんせと言ふと、父親は、起きて飯食ふこともいゝが、實は俺《おら》は蛇さ娘一人をオカタに遣ることに約束した。汝(ウナ)行つてくれないかと云つた。娘はそれを聞いて誰ア蛇などのオカタに行く者があるべ、俺ア嫌ンだと言つて、ドタバタと足音を立て其所を去つてしまつた。
その次に二番目の娘が父親を起しに行つたが、其事を聞いて、やつぱり姉と同じく、誰ア蛇などの嫁に行く者があるもんだえと云つて、足音荒く枕元を立ち去つた。その次ぎに三番目の娘が父親を起しに行つたので、父親は蛇に娘一人を嫁に遣る約束をした話をすると、娘はそれでは俺が蛇のところへ嫁に行くから、はやく起きて御飯をあがつてがんせ。其かはり俺に縫針千本と、瓢簞《ふくべ》[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版のルビに従った。]さ水銀《みすがね》一杯を入れてケてがんせと言つた。父親は喜んで起きて御飯を食つて、それから縫針千本に瓢簞や水銀などを買ひに町さ行つた。
其日の夕方、蛇は羽織袴で、立派なお侍樣になつて玄關に來て、昨日お約束した娘を一人嫁に貰ひに來たと言つた。そこで三番目の娘は赤い絹子小袖(キンココソデ)を着て、縫針千本と水銀の入つた瓢簞を持つて、其男の後について行くと、男はずつとずつと奧山の深い溪合ひの沼のほとりに行つて、娘に、此所が俺の家だから入れと言つた。娘は入ることもよいが、この瓢簞を水の中に沈ませたら入ると言つて、沼さ瓢簞を投げ入れると、それを沈ませべえとして、聟殿が一匹の大きな蛇の姿になつて、沼に飛び込み、嚙み沈めようとした。瓢簞はなかなか沈むどころか、チンプカンプと水の上をあちらこちらへ浮び踊り廻つた。すると沼の中から大勢の蛇どもが出て來て、瓢簞を眞中にしてグレグレめかした。その時娘は縫針千本を、バラリ、バラリと水の上に撒くと、鐵の毒氣が蛇の體に刺さつて、それほどの多くの蛇どももみんな死んでしまつた。
娘はさうして蛇の難をばのがれたが、夜ふけの奧山なので、どこへ行つてよいか訣《わか》らなくて[やぶちゃん注:「訣」はママ。佐々木の慣用表現。]、泣きながらとぼとぼと步いてゐると、遙か向ふの方にぺカぺカと赤い灯(ヒ)の明りコが見えた。あれあそこに人の家がある、あれを便りに行くべと思つて行つて見ると、一軒の草のトツペ(結び)小屋があつて、内に一人の婆樣がいた。その婆樣は大層親切に泊めてくれた。そしてその翌朝、お前樣がそんな美しい姿をして居ては、この先難儀をするから、これを着て行けと言つて、今まで自分が着て居たツヅレ衣物《ごろも》を脫いで着せて、娘の赤い衣物をば笹の葉につつんで背負はしてくれた。そしてこの婆々は實はお前樣の父親に先達《せんだつて》助けられた蛙だ。この後も、さし困つた事があつたら、俺の名前を呼べ、そしたら何所にいても必ず行つて助けて上げると言つた。
娘は蛙の婆樣からもらつたツヅレ衣物を着ると、蛙の婆々と寸分違はぬ齡寄(トシヨリ)の汚い姿になつた。そして婆樣から敎はつた通りの路筋を通つて谷を下りて行くと、山々にいる鬼どもが、あれあれ彼所《あそこ》を人間が通ふる[やぶちゃん注:ママ。]。よい酒の肴だと言つて集まつて來た。するとその中から一人の鬼が、何だあれはこのカツチの古蝦蟇《ふるがま》だ。とても小便臭くて食はれた品物ぢやないと言つて笑ひながら、またどやどやと戾つて行つた。又行くと今度は大きな川があつた。困つたと思つて其岸にウツクダマツテ(躇《うづくま》つて[やぶちゃん注:「躇」はママ。読みは「ちくま文庫」版で補ったが、「躇」にはその意はない。「蹲」「踞」の誤字であろう。])居ると、其所にもまた山の鬼どもがどやどやと來かゝつて、あれア此所に見慣れない石がある。力較べをすべえと言つて、取つてブンと川向ふに投げ越して行つた。そこで娘は無事に川を渡つて里邊《さとべ》に出て行つた。
里邊に出て、大きな館の前まで來て佇んで居ると、其家の門から一人の男が出て來て、婆樣々々お前は何處から來たか知らないが、この家の釜の火焚きになつてくれないか、この家の釜の火焚き婆樣が急に家さ歸つたので、俺が今《いま》人賴みに行くところだと言つた。娘は言はれるまゝに、其家の釜の火焚き婆々になつた。そして夜晝蔭日向なく立ち働いた。夜になると窃《そ》つとツヅレを脫いで、笹葉に包んだ絹子小袖を出して着て、皆が寢靜まると書物を讀んでゐた。
或夜、長者の和子樣《わこさま》が手水《てうづ》[やぶちゃん注:厠。便所。]に起きると、火焚き婆樣の室から、灯影《ひかげ》が洩れてゐるので、不思議に思つて𨻶間から窺いて見ると、とても美しい娘が立派な衣裳を着て、書物を讀んで居た。それから每夜夜中に起き出《いで》て、娘の室を𨻶見《すきみ》して居たが、遂に戀の病となつて床についてしまつた。
そんなことは何にも知らない長者夫婦は、大事な和子の病氣に魂消《たまげ》て、每日每日醫者よ法者《ほふしや》よと大騷ぎしたが、少しも利き目がなかつた。さうしてゐると或日、門前に八卦置《はつけおき》[やぶちゃん注:八卦見。易者。]婆樣が來た。困まつて居る時だから、早速呼び入れて、和子の病氣を卜(ウラナ)つて貰ふと、これは召使ひの者についての戀の病《やまひ》であるから、其者と夫婦にすればすぐに直ると置いた。そこで明日と云はず直ぐに七十五人もある下婢下女を一日休ませて、湯に入らせ化粧させて、一人々々和子樣の座敷に御機嫌伺ひに出したが、誰が行つても一向見向きもせず、頭を振るばかりであつた。七十五人の召使ひが七十四人まで行つて、殘つたのはたつた一人釜の火焚き婆樣だけになつた。女子《をなご》どもは笑つて、俺達が行つても和子樣は見向きもしてくれない。どうだ火焚き婆樣が行つて、此家の花嫁子《はなあねこ》になつてはと言つて、肱《ひぢ》突き袖引きをした。釜の火焚き婆樣の娘が遠慮して居ると、長者夫婦は例へ何であらうとて婆樣も女だ。和子の生命《いのち》には替へられないから、婆樣も早く仕度して和子のところに行つて見てくれと言つた。そこで娘は一番後から湯に入つてお化粧して、笹の葉つつみから赤い絹子小袖を出して着て、靜々と座敷へ通る姿を見ると、皆は魂消て開いた口が塞がらなかつた。和子樣のお座敷に行つて、和子樣の枕元に膝をついて、和子樣御案配(ゴアンバイ)がいかがで御座りますと言ふと、和子樣は初めて顏を上げて、ニコニコと笑つて、話をして一寸《ちつと》も娘を自分の側から離すべとはしなかつた。さうして和子の病氣がけろりと良くなつた。長者夫婦も大喜びで、直ぐに婚禮の式を擧げて七日七夜の御祝ひをした。
(私が子供の時の遊び友達のハナヨと云ふ娘から
聽いた話。此女は早く死んだが、不思議にも多く
の物語を知つてゐた。今思ひ出すと百合若大臣の
話なども完全に覺えてゐた。私の古い記臆と云ふ
のは大凡《おほよそ》此娘から聽いたものである
らしかつた。
田中喜多美氏の話集にも此譚があつた。紫波《し
は》郡昔話にある譚と略々《ほぼ》同じであつた。
たゞ蛇の嫁子《あねこ》が、蛇の婆樣から姥皮《う
ばがは》の外に浮靴《うきぐつ》と謂ふものを貰
つてゐて、其靴で谷川を渡つたと云ふのが異つて
ゐた。)
[やぶちゃん注:この話、全般が「猿婿入り」譚の定型であり、後半は先の「扇の歌」の話を男女入れ替えた話譚であることが判る。それにしても、不審なのは、水銀を入れた瓢箪が沼の水に浮かんで沈まないという部分である。水の比重の十三・六倍の水銀を入れた瓢箪は水には浮かばないのだが?
「ハナヨ」昔話を驚くほど知っている夭折の少女というのは、これ、何んとも惹かれるフェァリーではないか!
「百合若大臣」ご存知ない方は当該ウィキを参照されたい。
「田中喜多美」既出既注。
「紫波郡昔話にある譚と略々同じ」佐々木喜善の本書より五年前の著「紫波郡昔話」(大正一五(一九二六)年郷土研究社刊)。国立国会図書館デジタルコレクションの原本を見る「六九」話の「姥皮」である。コンセプトは、ほぼ一致するが、そこでは、蛇を退治するアイテムは「縫針千本」のみであり、佐々木が附記で言う「浮靴」は出てこないのは不審である。酷似する話の中に出るのを記憶していて、うっかり行ってしまったものか。]
(其の二)
或山里に美しい一人娘を持つた爺樣があつた。この爺樣は前田千刈《まへたちかり》後田千刈《うしろたちかり》[やぶちゃん注:「た」の清音は「ちくま文庫」版の「後田」にのみ振られたルビを参考にした。]の田地を持つて居た。其田に水が一滴もないやうなギラギラ旱(ヒデリ)續きで、爺樣は每日每日田圃に出て見たり、天を仰ふで見たりして居たが、田の苗は段々と枯れて行くばかりであつた。旱なので遂に思案に餘つて、近くの山の谷合《たにあひ》にある大沼に行つて、何の後前(アトアキ)の考へもなくたゞたゞ田に水をかけたいばかりに、實際恐しい賴み事を其沼の主にしてしまつた。
主(ヌシノ)殿主殿お願ひだから、俺の二千刈の田に水を引いてくれぬか、若し此事が叶つたら俺の可愛い娘をお前の嫁に遣るから、どうか俺の田にばかりでもいゝから、雨を降らせてくれと言ふと、其晚方から空が一ペンに曇つて大雨がザアザアと降り出した。そして一夜のうちに爺樣の田にばかり水がタツプリと湛(タマ)つた。
爺樣はそれを見て一方では喜び一方では大層悲しんで、娘の座敷へ行つて、昨夜自分の持田にばかり雨が降つて水が湛つた事の譯を話し、どうか可愛想だがお前はあの沼の主殿の所へお嫁に行つてはくれぬかと言ふと、平素(フダン)から親孝行である娘であつたから、厭な氣もなく返辭をして、ではお父樣の言ふことだから行きませう。だが私に瓢簞《ふくべ》千個に小刀《こがたな》千丁、これだけ買つて來てくださいと言ふので、爺樣は直ぐ町へ行つて云ふ通りの品物を買つて來た。
さうして居る所へ表玄關に立派な若侍が傘をさしてやつて來て、お賴み申す、お賴み中申す、約東の娘さんを嫁に貰ひにまゐりましたと言つた。娘は瓢簞千個、小刀千丁を持つて其侍に連れられて山奧の大沼のほとりへ行つた。すると其男は、娘に此所が我が家だから入れと言ふので、主殿々々私は入つてもよいが、其前にこの瓢簞を沼の底に沈めさせ、この小刀を水の上に浮べてくれたら何でもお前の言ふ通りになりますと言ふと、侍は大きに喜んで、其瓢簞を沈めやう[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、小刀を浮べやうとあせつて居るうちに、段々本性を現はして大蛇となり、一生懸命にグレグレめかして働いたけれども、遂に瓢簞は水の中に沈まず、小刀は水に浮ばず、自分は疲れ切つて苦悶したあげくに死んでしまつた。
(秋田縣仙北郡角館町、高等小學一年生の鈴木貞
子氏の筆記摘要。昭和四年頃。武藤鐵城氏御報告
の分の四。)
[やぶちゃん注:第一話の「水銀」と、この話の「小刀」を水に浮かべよという条件、二話に共通する鉄製の針から、どうも、不審な「水銀」は水銀に鉄が浮く事実を知っていた原話者が、そうした水銀に針や小刀が浮ぶというシークエンスを持ち込んで話を作ったものの、伝承過程で、圧倒的に水銀の特性を認識していない伝承者が、訳が分からないうちに話を誤って作り変えてしまったのではないかという気が、私にはしてきた。
「武藤鐵城」既出既注。]