大手拓次 「綠の締金 ――私の愛する詩人リリエンクローンヘ――」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅰ(大正前期)』に載るもので、同パートについては、先のこちらの冒頭注を見られたい。]
綠の締金
――私の愛する詩人リリエンクローンヘ――
葡萄の實をふくんだやうにすずしく、
おまへの唇がわたしの思ひでとなつて生きるとき、
太陽はきいろく、マルメロのやうにかをりはじめる。
太陽は上手な庭師のやうに樹樹(きぎ)に花をつけ、葉をつける。
かげをつくつて、そのしたにゆきどころのない憂鬱をあそばせる。
太陽は わたしの胸へ勿忘草(わすれなぐさ)の芽をうゑる。
おお おお よろこばしい黃色い太陽よ、
わたしはこのうすいろの帶についた綠の締金(しめがね)をかたくしめて、
ゆかうよ、堆肥(つみごえ)のあたたかく蒸(む)れる畑の隅へ、
ゆかうよ、ねむさうな眼をした牛がおたがひに顏をなめあつてゐるところへ。
[やぶちゃん注:「リリエンクローン」ドイツの詩人デトレフ・フォン・リーリエンクローン(Detlev von Liliencron 一八四四年~一九〇九年)。当該ウィキによれば、『キール出身』で、一八六六『年より軍隊に入り』、『普墺戦争』・『普仏戦争に従軍』し、『負傷』した。『軍隊を退いたあとは』、『一時』、『アメリカ合衆国に渡った。帰国後』、『プロイセンの官吏となり』、三十『代で詩作を始め』、「副官騎行」(Adjutantenritte:一八八三年刊)で『注目を集めた。軍人気質の実直さや』、『文学的な伝統にとらわれない感覚的な詩風で、印象主義の詩人として人気があった。劇作や小説も残している』とある。既電子化注の『大手拓次譯詩集「異國の香」 麥畑のなかの死(デトレフ・フォン・リーリエンクローン)』を参照されたい。
「マルメロ」漢字表記「榲桲」。バラ目バラ科シモツケ亜科ナシ連ナシ亜連マルメロ属マルメロ Cydonia oblonga。一属一種。ウィキの「マルメロ」によれば、中央アジアを原産とし、『果実は偽果で、熟した果実は明るい黄橙色で洋梨形をしており』、長さ七~十二センチ、幅六~九センチあり、『果実は緑色で灰色~白色の軟毛(大部分は熟す前に取れる)でおおわれている』。『果実は芳香があるが』、『強い酸味があり、硬い繊維質と石細胞のため生食はできないが、カリンと同じ要領で果実酒(カリン酒に似た、香りの良い果実酒になる)や蜂蜜漬け、ジャムなどが作れる』とある。江戸時代に既に渡来している。私の「耳嚢 巻之七 かくいつの妙藥の事」を参照されたい。
「勿忘草(わすれなぐさ)」シソ目ムラサキ科ワスレナグサ属 Myosotis の総称。和名シンワスレナグサ(真勿忘草)Myosotis scorpioides に与えられているものの、園芸界で「ワスレナグサ」として流通している種は、ノハラワスレナグサ Myosotis alpestris・エゾムラサキ Myosotis sylvatica、或いはそれらの種間交配種である。]