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2023/04/07

早川孝太郞「三州橫山話」 種々なこと 「座敷小僧」・「屋根裏で聞こえた三味線」・「佛檀に殘る子供の足跡」

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。今回はここから

 標題は「いろいろなこと」と訓じておく。なお、これが本文の最終パートとなる。]

 

 ○座敷小僧  北設樂郡本鄕村の、キンシと云ふ酒釀造家は四五十年前迄は非常に榮えた舊家だつたさうですが、この家の奧座敷には、座敷小僧が住んでゐると云つて、雇人《やとひにん》などが、夕方雨戶を閉めに行く時など、時々姿を見かけたと云ひました。十歲位の子供だつたと云ふ事は聞きましたが、確かな事は聞きません。其家は今は沒落して無いさうです。

[やぶちゃん注:「座敷小僧」ウィキの「座視坊主」を引く。『座敷坊主(ざしきぼうず)または座敷小僧(ざしきこぞう)は、日本に伝わる妖怪で、静岡県周智郡奥山村字門谷(現・静岡県浜松市)などに現れたと言われる』。『村の中のある家の主人がイノシシを落とし穴で捕らえた後、その穴に金を持った人が落ちて死んだ、または』、『盲目の金持ちをその穴に落として殺害したという話や』、『その家に泊まった坊主を殺害した、暗い中』(うち)『に連れ出して殺したなどの話があり』、『その死んだものの霊が現れるのだといい』(これは後でも述べられるが、典型的な異人殺しの「六部殺し」の結合型である)、『その家に泊まった人の床の向きを逆にしたり、枕返しをすると言われる』。『その姿は』五、六『歳ほどの子供のよう』であるとも、『坊主姿の按摩のようともいう』。『大津峠』(静岡県浜松市天竜区水窪町(みさくぼちょう)奥領家(おくりょうけ)にある大塚峠(グーグル・マップ・データ)か。現行、航空写真で見る限りは人家はなく、道はあるが、ストリートビューもない)『には、その殺された者を供養するためといわれる立て石があるが、その家には今なお祟りによって気のふれる者があるという』。『ほかの村でも坊主頭の按摩のようともいう』。『また』、『三河国北設楽郡本郷村(現・愛知県北設楽郡東栄町)では座敷小僧の名で伝わっており、ある酒屋を営む旧家に』十『歳ほどの子供のような姿で現れたといい、雇用人が奥座敷の雨戸を閉めに行ったときによく姿を見たという』(これ、出典は別だが、明かに本篇が原拠であることが明白である)。『南設楽郡長篠村大字横川(現・新城市)では、神田という裕福な家に座敷小僧が現れていたが、茶釜にツモノケ(機織りの器具)を当てるという禁忌を犯したため』、『座敷小僧が家を去り、家はそれ以来』、『衰退してしまったという』。『岩手県では旧家に座敷小僧が現れるといい、小児の姿をした家の神とされる』。『下閉伊郡岩泉町のある家では、奥座敷の真中の柱を踏むと枕元に現れたといい』、四、五『歳ほどの赤黒い裸の坊主で、身長は』二『尺ほど、赤い綺麗な顔をしていたという』。『岩手県紫波』(しわ)『郡のある旧家でも』、『赤い顔の座敷小僧がおり、夜』、『炉に現れて』、『火を起こしたりしたという。また』、『この地方では、座敷童子の正体をムジナとする説もある』。『宮城県本吉郡大島村(現・気仙沼市)でも座敷坊主が家に現れて枕返しをした事例がある』。『民俗学者』『佐々木喜善の著書においては』、『座敷坊主は座敷童子の一種として分類されており』、『六部(旅の僧)を殺して金銭を奪った者が祟りに遭うなどの「六部殺し」の話が座敷童子の性格に付加され、座敷坊主の姿となったとする説もある』とある。座敷童子(ざしきわらし)は「佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 一七~二三 座敷童・幽靈」や、『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 ザシキワラシ(一)・(二)』を参照されたい。当該ウィキも、まあ、コンパクトによく纏めてはある。

「北設樂郡本鄕村」愛知県北設楽郡東栄町(とうえいちょう)本郷(グーグル・マップ・データ航空写真)。]

 

 ○屋根裏で聞こえた三味線  明治二十四年頃の秋のこと、私の家で、村の女を多勢《おほぜい》雇つて、遠くの山へ草刈に行くとて、朝未だ暗い中《うち》、仕度をして、皆の者が門を出ようとする時、屋根裏で三味線の音が頻りにしたと云ひます。まだ家の中に居た者も、門の外に立つて居たものも明らかに聞いたと云ひました。家に三味線もなく、屋根裏に人間が住んでゐる譯もないので、皆不安に思《おもひ》にかられたと云ひましたが、祖母が、今日は親戚の娘の命日に當るから其娘の思ひが來て、彈いたのだらうと云ふ解決を與へて、濟んだと云ひました。

 其娘は、生まれながらの盲目であつた爲め、村のものが、蚯蚓《みみず》の生れ變りだなどと云つてゐたと謂ひますが、三味線を習つてゐて、十八の年に亡くなつたのださうです。

[やぶちゃん注:しみじみとした哀感に満ちた怪奇実話である。寧ろ、「祖母が、今日は親戚の娘の命日に當るから其娘の思ひが來て、彈いたのだらうと云ふ解決を與へて、濟んだ」古き良き本邦の民俗社会が羨ましい。垂れ流される見るからに人造されたエセ心霊映像やら、「口裂け女」や「ひとりかくれんぼ」なんどの糞都市伝説の蔓延る現代は、心霊的にも極めて貧しく、愚劣極まりない。

「明治二十四年」一八九一年。作者は当時、満二歳未満である。]

 

 ○佛檀に殘る子供の足跡  盆の十四日の夜は、精靈が還つてくるもの故、佛壇の前に、膳に白砂を盛つて供へて置くと、可愛らしい子供の足跡があると謂ひます。

[やぶちゃん注:「檀」と「壇」の混在はママ。なお、底本では、「供へて」は「供つて」であるが、後の『日本民俗誌大系』版の当該部で訂した。

「可愛らしい子供の足跡がある」かなり昔、「座敷わらし」を特集した雑誌で、出現することで有名な東北の旧家で、前夜に米を撒いておいた地面に、極めて小さいが、確かに、人の足型分の米が抜けた足跡がある写真を見たことがある。]

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