早川孝太郞「三州橫山話」 川に沿つた話 「河童ではないか」・「これも其類か」 / 川に沿つた話~了
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。今回はここ。
なお、これを以って「川に沿つた話」は終わっている。]
○河童ではないか 此川が寒狹川へ流れ落ちる所を獅子岩と言つて、其處を一丁[やぶちゃん注:百九メートル。]程降《くだ》ると、先に謂つた二ノ瀧がありますが、今から約五十七八年前、二の瀧の上の淵の岩に髮を奇麗な禿《かむろ》にした、五六歲とも見える子供が腰かけてゐるのを、私の父が見たと謂ひましたが、其時傍に居た人が、彼所《あそこ》に河小僧《かはこぞう》がゐると言つて騷いだので、忽ち川の中へ飛込んで再び姿は見せなかつたと謂ひます。
[やぶちゃん注:「此川」前の「蜘蛛に化けて來た淵の主」を受けるので、旧「大荷場川」、現在の「七久保川」(グーグル・マップ・データ航空写真。以下、無指示は同じ)を指す。
「獅子岩」この附近となるが、どこかは不詳。
「二の瀧の上の淵の岩」この附近と思われる。]
○これも其類か 八名郡山吉田村の豐田新右衞門と云ふ酒屋の裏の小川に、權現淵と云ふ淵があつて其淵では每日夕方になると、杵《きね》で臼を搗くやうな音がしたと謂ひます。其家や附近の者は、其音で、雨の降る日などは夕飯の時刻を知つた程永い間續いたと謂ひます。すると或時此の後家が、月の物の汚れを洗ひに其淵へ行くと、傍の岩の上に十歲位の美しい童子が腰をかけてゐたさうですが、女の姿を見ると、淵の中へ飛び込んでしまつたので、薄氣味惡く思つて、洗ひ物も勿々[やぶちゃん注:ママ。「匆」の誤植。]にして家へ歸ると、心持が惡いと云つて床について、家の者に其話をすると、家内中が不安に思つて、滿光寺と云ふ寺の住職を招いて、相談すると、何等か不祥の前兆かも知れないとあつて、翌日其淵で施餓鬼を行つて、旗などを淵に流したさうですが、其頃から夕方には必ず聞えた音もしなくなつて、淵もいつとなく淺くなつてしまつたと謂ひます。其頃から其家の家運も次第々々に衰へて不幸のみ續いたと謂ひました。凡《およそ》百年程前の事ださうですが、其淵は現今巾三尺程の水もあるか無いかの流れになつてゐます。
[やぶちゃん注:「八名郡山吉田村」何度も出たが、新城市下吉田五反田附近。
「權現淵」山吉田地区は黄柳川(つげがわ)が貫流するが、その「小川」であり、位置は不詳。
「百年程前」本書は大正一〇(一九二一)年刊であるから、文政初期となろう。]
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