大手拓次 「ペルシヤ薔薇の香料」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』以後(昭和期)』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正一五・昭和元(一九二六)年から昭和八(一九三三)年までの、数えで『拓次三九歳から死の前年、すなわち四六歳までの作品、四九四篇中の五六篇』を選ばれたものとある。そこから詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ(数篇である。原氏はそこで、詩集「藍色の蟇」について、『内容自体に問題がある』とされ、『自選詩稿をもとにしたとはいえ、配列の順序を変え、それ以後の作品をなかば恣意的二編集者』(友人逸見享)『が加えて、四半世紀にもわたる詩集を整理もせず一冊に盛りつけている』と痛烈に批判され、『したがって、本文庫の作品選択は、既刊本『藍色の蟇』の内容に左右されていない』と断り書きさえ記されておられる)が、一番最後に配する予定の「みづのほとりの姿」は同詩集にあるものの、表記が有意に異なることに気づいたので、特異的に採ることとした。
底本の底本の原氏の詳細な年譜によれば、昭和二年は、『健康すぐれず』、『長期欠勤をくりかえすが、詩作はかえって旺盛』であったとする。昭和三年も引き続き詩作がなされ、『この年、下宿に朔太郎、犀星の訪問を受けているが、月日不詳』とある。昭和四年の条には、引き続き、『健康すぐれず、会社欠勤の日が多いが、仕事に熱心で、社内の広告洋書研究会で「広告に対する心理的態度」「『近代感覚』と鋭覚的表現に就いて」等の研究発表を』しており、『前者は『ライオンだより』第』二十一『号に掲載される』とあって、さらに『詩作はこの年、本格詩のほか文語詩、口語詩の小曲が多作され「ふるへる微笑」(四十四篇)ほかの詩作ノートを残す』とある。昭和五(一九三〇)年一月には、『日本橋の』『病院に入院、痔の手術をする。三月より出社』している。この年は多数の文語詩を創作した。『また、昭和二年以降のおびただしい文語体小曲を「九月の悲しみ」と題する詩集仕立てのノート数冊に、浄書して残す』とあり、注記で『死後、昭和十五年に刊行された詩画集『蛇の花嫁』』(私のサイト内の「心朽窩新館」に、正規表現・PDF縦書ルビ・オリジナル注附版で公開済み)『は、「九月の悲しみ」稿より採られたものである。なお、これらのおびただしい文語詩は、すべて特定の女性目あてに書かれたもの。「わたしはつねに思ふのは相変らずひとりの人である。そしてその人を対象として詩ができるのである。無限に出来るのである」(詩稿欄外メモより)』とある。昭和六年には、『ふたたび本格的な口語詩作活発化するが、心境的な文語詩は、別に日記にも多くを残す』とある。昭和七年、『一月、白秋会に出席』、『八月』には、『ライオンだより』六十三号に『「『朝は子供に』に就て」(会社が白秋にいらして五月にできた虫歯予防のPRソング「朝は子供に」の解説文)を書く。研究論文「一九三二年の広告と近代画との関係」を、同誌』六十二号と六十四号に『分載』したとあり、他にも同氏への執筆作が挙げられてある。拓次は相応に自社への貢献をしていることが判る。しかし、『十一月、結核の症状』、『悪化し、転地療養おため伊豆山温泉、中田屋旅館に投宿、そのまま越年』したが、翌昭和八年『二月、寒気と粗食に耐えられず帰京』した。『二月』に『兄孫平』が郷里『磯部で死去』したが、拓次は『高熱のため葬儀にも出席不能』であったとあり、『会社にも出勤できず、下宿で療養する』も、『三月、茅ヶ崎、南湖院十二号室に入院。病床で六月まで連詩「薔薇の散策」』(詩集「藍色の蟇」に所収)『ほかを力をふりしぼって制作、八月『中央公論』に詩「そよぐ幻影」(絶筆)』(詩集「藍色の蟇」に所収)『を発表』とある。昭和九(一九三四)年、『四月十八日、午前六時三十分、南湖院にて誰にも見とられず死去』したのであった。]
ペルシヤ薔薇の香料
小鳥よ はねをぬらせよ、
をかのかなたに 日はあたたかに
銀の冠毛のふはふはとして、
草はとびらをひらき、
むらさきいろの月をさがす。
[やぶちゃん注:「ペルシヤ薔薇」サイト「LOYAL BAZAR」の「about rose」の「バラの歴史」に、『ペルシャなど中東地域では』、『古くから宗教儀式や生活の一部にバラを取り入れていました。バラの花びらを蒸留した透明なローズウォーターが生産され、その蒸留方法は、十字軍の遠征をきっかけに広くヨーロッパに伝えられます。この頃からもうペルシャはバラの蒸留の高い技術を誇り、現在に至っています。今でも一年に一回メッカのカアバ神殿のすす払いが行われるときにはイラン産のバラ水による清めが行われているのです』。『バラはペルシャ絨毯の模様としてもひんぱんに用いられます』。『イスラム世界では白バラはムハンマドを表し、赤バラは神アラーを表します。「千夜一夜物語」やウマル・ハイヤームの「ルバイヤート」にもバラについての記述があります』とある。ペルシャ產のバラとして、現在、よく知られるのは、「ダマス・クローズ」(Damask rose)の別名を持つバラ目バラ類バラ科バラ属バラ品種ロサ・ダマスケナ Rosa × damascena であろう。当該ウィキを見られたい。]