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2023/04/26

下島勳著「芥川龍之介の回想」より「芥川龍之介のこと」

 

[やぶちゃん注:本篇は末尾の記載に『昭和二・八・三・改造』とあるのだが、これ、諸資料を調べるに、昭和二(一九二七)年九月発行の『改造』が初出が正しい。或いは、下島の記憶違いではなく、執筆のそれを記してしまったものかも知れない。この八月三日には先の『下島勳「芥川龍之介終焉の前後」』(『文藝春秋』昭和二(一九二七)年九月発行の『文藝春秋』の「芥川龍之介追悼號」に寄稿されたもの)の下島の末尾クレジットと一致するからである。後の下島勳氏の随筆集「芥川龍之介の回想」(昭和二二(一九四七)年靖文社刊)に収録された。或いは、本篇の内容のから見ると、先に以上の『文藝春秋』の依頼原稿を受けた直後に改造社からの依頼が舞い込み、まず、『文藝春秋』の原稿を書いてあったか、書いたかした後に、続けて、内容がダブらないように気を使って書いた可能性が高いようにも思えるのである。頭で「雜用も多く、それに心身も疲勞してゐるので、落ちついて書くことが出來ない」という言い訳は、同じクレジットを持つ『下島勳「芥川龍之介終焉の前後」』の書き振りとは、余りにも差があり過ぎるからである。

 なお、私はサイト版で本篇を十一年前に電子化しているが、これが決定版となる。

 著者下島勳氏については、先の「芥川龍之介終焉の前後」の冒頭の私の注を参照されたい。

 底本は「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で上記「芥川龍之介の回想」原本の当該部を視認して電子化した。幸いなことに、戦後の出版であるが、歴史的仮名遣で、漢字も概ね正字であるので、気持ちよく電子化出来た(但し、単行本刊行時期のため、正字と新字が混淆してはいるので、そこにはママ注記を入れた)。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので正字化した。一部に注を挿入した。また、本篇にはルビが一切ないが、なくても概ね読めるが、一応、若い読者のために、ストイックに《 》で推定で歴史的仮名遣で読みを振った。]

 

芥 川 龍 之 介 の こ と

 

 芥川氏のことについては、書きたいことは隨分あるやうな氣もするが、今は雜用も多く、それに心身も疲勞してゐるので、落ちついて書くことが出來ない。これは改造社に對しまた讀者に對し、相すまぬことである。

 芥川氏と私とは十二年の長い間の接觸で、單に醫者としてばかりでなく、老友として、また年こそ違へ私の師として、種々の敎へを受けてゐたのである。

 世間の人々は、私が醫者であるがために、直ぐ芥川氏の體質や病氣のことを聞きたがる。現に改造記者も、そんなことが注文の主要事項のやうだつた。

 芥川氏の體質や病氣については、世閒にいゝ加減な臆說や誤りが流布されてゐる。また種々の尾鰭がつて、肺結核だの甚だししきは精神病者とまで傳へられてゐる。これは醫者としてまた友人としても忍びがたいことであるから、この機會においてその妄《まう》を辨じておく。

 その一は肺結核說である。なるほど、あの瘦せた身長五尺四寸以上[やぶちゃん注:一メートル六十三・六センチメートル超え。]、頸のたけまでひよろ長い、しかも聊か前屈の姿勢で、日本人には稀に見る、あのバイロン卿の寫眞でも拔け出したやうな、眼の麗はしい白哲の美貌家に接したなら、誰でもが一見、肺でも惡るさうな第一印象をうけるに不思議はない。現にさう云ふ私でさへ、初對面がそれであつた。

[やぶちゃん注:「バイロン卿」イギリス・ロマン主義を代表する詩人で、ロシアを含むヨーロッパ諸国の文学に影響を与え、本邦でも明治以来、英詩人中、最もよく知られたイングランドの詩人ジョージ・ゴードン・バイロン(バイロン卿・第六代バイロン男爵)(George Gordon Byron, Lord Byron , 6th Baron Byron  一七八八年~一八二四年)のこと。バイロンは「ギリシャ独立戦争」へ身を投じたが、現地で熱病により亡くなった。満三十六であった。]

 併し見ると實際とは違ふことがある。殊に藝術家の體格や體質は、餘程注意しないと、見そこなひに終ることがある。尤も芥川氏などは、幼年時代に頭腦の發達が早い方で、斯ういふ人の常として兎角、肉體の方は餘り健康ではなかつたらしい。よく風邪をひく、氣管支加答兒《カタル》に罹る。と云つたやうなことから、ほんとう[やぶちゃん注:ママ。]に肺でも惡くすると困るといふので、もとの高輪病院の院長瀨脇ドクトルの注射治療を受けたことがあるさうでゐる。

[やぶちゃん注:「加答兒」英語「catarrh」とは、一般には、粘膜で起こる滲出性炎症を指す。

「高輪病院の院長瀨脇ドクトルの注射治療を受けたことがある」このような事実は私は知らない。この「瀨脇」医師の名も初めて聴いた。一応、下島が芥川家主治医になる頃までの、新全集の年譜を確認したが、そのような事実は記されていない。]

 先年支那視察に行かれたときは、感冒後の氣管支加答兒が全治しないのを、種々の都合で決行した。案じた如く大阪の宿で發熱する。無理に船に乘つて上海へ上陸早々肺炎を起して入院する。と云つたやうなことではあつたが、それも間もなく治療して、あの困難な支那旅行を終へて歸つたほどである。

[やぶちゃん注:「芥川龍之介中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈」の「八七五」から「八八三」までの芥川龍之介書簡を読むのが、経過を細かに知るには最適である。但し、龍之介が入院した病院の現在の状態などを見たければ、「上海游記   芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」(教え子の撮ってくれた写真が多数ある)の「五 病院」までの部分を読むに若くはない。

 その後も流行感冒に罹つたこともめるが。大した後害など貽《のこ》さずに治癒してゐる。から、假りに少牟時代に疆い肺炎加答兒ぐらいやつたことがあつたにしても、少くと私の知つてからの芥川氏に、肺結核の症狀のなかつたことだけは、保證出來る。

 その二は胃のアトニーである。この病氣は三年ばかりこのかたのことで、始めは獨立してゐたわけではなく、神經症狀に伴なつてゐた。即ち神經症狀のよいときには胃もよく惡いときにはいけないといつたやうなことで、胃のアトニーとして症狀の獨立したのは、最近一年ぐらいのことである。

[やぶちゃん注:「胃のアトニー」「アトニー」は “atony” “Atonie”で「非活動的状態」を意味するギリシア語「アトニア」由来。過去に「胃下垂」「胃痙攣」「胃酸過多」「神経性胃炎」というように呼ばれていた症状と同義で、現在は医学的には「機能性ディスペプシア」(Functional Dyspepsia)と呼ぶ。「済生会」公式サイト内の新潟病院消化器内科医長岩永明人氏の本疾患についての解説によれば、『「機能性」は形態的異常、つまり形が変わったり、傷がついていたりといったことがないにもかかわらず』、『症状を起こす状態のことを指し』、『「ディスペプシア」はギリシャ語に由来し、dysbad=悪い)+ pepteindigestion=消化)、すなわち』、『胃や十二指腸に関連した「消化不良」を意味』し、『機能性ディスペプシアとは、検査で異常が確認できないにもかかわらず、胃もたれや胃痛といった症状が続く病気』を指すとあり、附記があって、『「慢性胃炎」という聞き慣れた病名もあ』るが、『これはピロリ菌による病気で、胃もたれや胃痛といった症状とは直接関連しないことが分かってき』た、とあった。]

 食事は隨分注意する方で、もう二年ぐらい一日二食であつた。酒は飮まず特別これと云ふ嗜好を持つてゐない同氏にとつての唯一の嗜好は莨《たばこ》であつた。莨は洋の東西を問はず何でも用ひられたが、晚年はおもに日本製であつた。殊に創作は多く夜中になるので、朝の莨の吸ひ殼の量は、讀者の想像におまかせする。だから、芥川氏の莨の消費量は恐らく創作に比例したものと云つても差し閊《つか》へないであらう。

 時をりは苦《つら》い忠告を試みたが、こればかりはと哀願しものである。云ふまでもなく藝術家の生命は創作である。よし胃はおろか、體全體に良くない影響があるとしてからが、創作を妨げるのは忍びないことであり。芥川氏の場合など實にそれであつた。

 その三は痔疾である。これは脫肛として現はれる種類のもので、寒い夜中の勉强が過ぎたり、或は氣候の惡い時分に創作をしたりするときに起る。時々疼痛の劇しいため苦しむこともあるが、出血したり或はコンニヤクやハツプなどで溫めて、安臥してゐれば充血が去つて收縮する程度のもので、手術の必要ありなど認めたことは一度もない。この起り始めは胃病と同時ごろか、或は少し前であつたか判然しない。

 その四は神經衰弱である。芥川氏の神經衰弱は頗る有名なものである。だが、同氏の神經衰弱を談《かた》る前に是非知つておかねばならないのは、同氏がもつ腦神經の作用である。私は私の乏しい經驗の上において、異常な神經の作用を持つものも少しは識つてゐた。併し末だ曾て芥川氏の如き異常な神經のの所有者に接したことはない。西歐のことは暫くおき我日本にあつて、天才の有無など餘り問題にしなかつた私が、一たび芥川氏に接してからは、始めて天才と云ふものもあると云ふことを識つたのである。なぜなら、それは單に謂ゆる頭腦がイイとか記臆力[やぶちゃん注:ママ。]が非常に發達してゐるとか云ふ種類のものでなく、異常の上の異常、寧ろ不可思議な作用を持つてゐたからである。このことについては、何れ書くつもりでゐるから、こゝに、唯一二の例を擧げるに止《とど》める。

 試みに芥川氏の讀書するところ一見したもので、その速度に愕かぬものはないであらう。それは普通に云ふ早さなどではなくて、邦文ものなどは、恰《あたか》も銀行會社の職員が計算表でもめくつてゐるのと同じやうである。また雜誌の小說などは、人と談話をしながらサツサと讀むし、それでゐながら確實なことは愕くべきものがある。

 曾て大阪の新聞社に用事があつて出張したときの如き、京都に一週間ばかり滯在を見こんで、部厚な洋書を五六册携帶したのであつたが、列車が京都の停車場へ到着するころは、のこらずそれを読みつくして、滯在中は京都にゐる友人から借りて讀んだといふやうな直話がある。

 また元祿以後明治大正に至るまで著名な俳人の俳句の代表的のものなどは、年代を逐《お》つて記憶しをり、俳談の場合などには、隨一分人を愕かすことがあつた。室生犀星氏など時々――嫌になつてしまう[やぶちゃん注:ママ。]と、嘆聲を發したこともある。

 故鷗外先生も當時記憶力の雄をもつて聞へた[やぶちゃん注:ママ。]人でゐるが、迚《とて》も芥川氏のやうな異常性はなかつたらしい。

 氏は自分でよく云つた。――俺の神經は細くて弱いが、腦髓の丈夫失なことは誰にもまけないと。これは一寸非科學的のやうに聞こえるが、實は芥川氏の腦神經はこれで說明が出來るのである。例へば二晝夜の不眠不休も、腦そのものは大した疲勞を感じない、即ち腦の中樞はまだ充分餘裕があるのに、神經の疲勞が來ると云ふやうなわけである。頭痛などといふことは、一度も聞いたためしがない。

 時として、――俺は氣ちがい[やぶちゃん注:ママ。]になるかも知れない、などと云ふこともあつた。さういふときには私は、――その埋智の飽くまで發達してゐる頭腦と、その聰明さでは、迚も氣ちがひなどにはなれ得ないと云つたものである。だから芥川氏の神經衰弱は、普通の意味の神經衰弱などとは大いにその趣きを異にしてゐる。況んや、精神錯亂などとはとんでもない誣妄《ふまう》といはねぱならぬ。その證據は、「舊友に送る手記」でも遺書でも、また「西方の人」などを讀んでみても略《ほぼ》わかることであらうと思ふ。

[やぶちゃん注:「誣妄」偽って言うこと。ないことをあるように言って、人を落とし入れること。

「舊友に送る手記」「或舊友へ送る手記」の誤り。私のサイト版をどうぞ。

「遺書」私の強力なサイト版「芥川龍之介遺書全六通 他 関連資料一通 ≪2008年に新たに見出されたる遺書原本やぶちゃん翻刻版 附やぶちゃん詳細注2009年版≫」を参照されたい。

「西方の人」私のサイト版「西方の人(正續完全版)」を見られたい。]

 遺傳については近いところに存在する。併し芥川氏の如き人にとつて、それが果して重大な意義をもつだらうか、なぜなれば、精神病の遺傳或は神經性遺傳などといふものは、實はいゝ加減なもので、嚴密に檢べたら、遠近の差こそあれ必ず出てくると云ふても、過言とは思はれぬ。要するに人間は或る意味において、悉く精神病者たり得べき素質をもつてゐからである。

[やぶちゃん注:「遺傳については近いところに存在する」芥川龍之介自身が恐れた、実母フクのそれを指す。しかし、私は、フクの精神疾患については、遺伝性のものではないと考えている。それはさんざん書いているので、ここでは控える。]

 終りに芥川氏は菊池氏の謂《いは》ゆる文壇第一の學者であつた。このかくれもなき博學賢明の小說家に、自殺問題について批判のないわけがない。現に彼《か》の有名な某將軍の自殺にも、或は某文學者の死にも、禮讃することの出來なかつた芥川氏が、恬然《てんぜん》として自殺するに至つたのは、果して何を語つてゐるのであらうか? 謎は自然に解かるべきである。

(昭和二・八・三・改造)

[やぶちゃん注:「有名な某將軍の自殺」乃木希典の殉死を指す。

「某文學者の死」有島武郎の心中自殺を指す。

「恬然」 何事も気にすることなく、平然としているさま。]

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