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2023/04/04

佐々木喜善「聽耳草紙」 二四番 窟の女

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題は「いはやのをんな」。標題の通し番号が「三四番」となっているが、誤植と断じ、訂した。]

 

     二四番 窟 の 女

 

 或所に貧乏な男があつた、多勢の子供等もあるものだから、食ふやうも飮むやうも出來ぬやうな身代(シンダイ)であつた。或年の暮に、何か、歲取仕度(トシトリシタク)でもするべえと思つて、家を出かけたが、ふところには錢(ゼニ)一文もなかつた。これこれ此の歲の瀨に何處かのアワテ者があつて、金でも落して居る者はないかなアと思つて、鵜の目鷹の目で道を見て行つたが、何も落ちて居ない。呆れ果てゝ押太息(オツタメキ)吐きながら行くと、道の辻に斯《か》う云ふ立札が立つてゐた。

   金欲しい者は

   この道を眞直(マツス)ぐに來う

   錢は望み通り…

  其男は眼明(マナクア)きだつたから、それを讀んで魂消《たまげ》て、何たら事もあればあるものだ。これこれと思つてその道を眞直ぐに、大急ぎで行くと、大きな岩窟(イワヤ)があつて、その入口に、此所《ここ》だ、と書いてあつた。

 男が其穴に入つて行くと、中は暗くて何も見えぬから、たゞ足探りにソロリソロリと步いて行つた。ずつと岩窟の奧の方にポツカリと明るい灯(ヒ)の光りコが見える。それを目當に行つたら其所に赤い障子コが立つていた。男はそこに立つて、申し申しと言ふと、内から柳の葉のやうな手で障子を明けてハイと言つて出て來たのは、目が覺(サ)めるやうな美しい女であつた。そこで男は、俺は辻の立札の表によつて尋ねて來た者だが、金をケるジ所は此所だべかと訊くと、ハイ此所だから内へ上れと言つて、其女は男の手を執つて内へ引き入れた。そしてうまい酒肴をうんと取り出して、男に御馳走をした。男は其女の愛嬌にほだされて、其處で三日ばかりただ遊んで居た。

 三日目の夜明けに、面白くて今迄すつかり忘れて居た家の妻子のことを、ふと思ひ出して、ハテハテ俺は斯うしてこんな所に面白可笑しく暮して居るが、歲取仕度に出はつたまゝ歸らない俺のことを家の嬶《かかあ》や子供(ガキ)どもは、どんなに心配して待つて居るべやい。これは俺ばかり斯《こ》んな事をし遊んで居てはならぬと思つて、女に、俺はちよつと家さ歸つて見て來るからと云ふと、女はひどく悲しんで、一度此所を出たら二度と來られないから、いつまでも私と一緖に斯うして樂しく暮らして居てクナさいと言つた。それでも何でも家ヘ歸りたくなつて、とにかくちよつと歸つて來るから、ほんのちよつと樣子を見て來るからと言ふと、女はさも恨めしそうに、そんなら仕方がないから、立札の表の通りに、金を遣ります。其所からお前の欲しいだけ、いくらでも持つて行きなされと言つた。さう云はれて岩窟の隅(スマ)コを見るとほんに山吹の花色した黃金が山のやうに積まれてある。男はその金を笊《ざる》で計つて持てるだけ風呂敷に包んで持つて、女に別れて其岩窟を出た。そして心覺えのある道をたどつて、吾が家のある村へ歸つて來た。

 村へ歸つて見ると、すつかり樣子が變り果て、何處が吾家のある所であつたか、見當もつかないほどであつた。呆れはてゝ此所《ここ》らが吾家のあつた邊だと思ふ所を探すと、其所に一軒の貧乏な家があつた。その家に立ち寄つて、斯う云ふ者の家は何所《どこ》だか知らないますかと訊くと、其所の婆樣は、つくづくと男の顏を見ながら、さう謂はれゝば俺ア曾祖母樣(ヒヽバサマ)から、此所にそんな名前の人があつて、或年の暮に何所さか行つてしまつて、行末不明になつたと謂ふ話を聞いたやうな氣持ちがします。それではお前は其人であつたかと云つて、大變怪訝な顏をした。

 男もさつぱり、何が何だか樣子が分らぬので、ほだらば其人の家の墓場は何所だますと訊くと、其婆樣はおれが敎(オセ)るから、此方《こつち》さおでアレ(來)と言はれて、村端《むらはづ》れの山端へ行つて見ると、いかにも雜草がぼうぼうと生へた[やぶちゃん注:ママ。]古墓があつた。これがさうだと云はれて、男はなんたらこと、それでは吾が妻子が此所の土の下に眠つて居るのかと、泣きながら、背丈(セダ)も伸びた草を一本々々むしつて行くと、なかなか根著《ねづ》いて拔け難い。それでも一生懸命にむしつて行くと、中に何だか棒杭のやうな物が立つてゐる。それを拔いたら妻子の者の髮毛のハジか、骨の折缺《をれかけ》でも出て來て見られるかと思うて、うんうんと唸りながら、一生懸命に取著(トツツ)いて引き拔くべえとすると、其棒杭のウラ端(先き)から、ジヨワシヨワと水が迸(ホトバシ)り出る。アレはツケ(冷)と思ふと目が醒(サ)めた。これは怠者《なまけもの》の長い夢であつた。

  (昭和三年四月五日の夜、村の小沼秀君の話の三)

[やぶちゃん注:「眼明(マナクア)き」これは思うに、文盲ではなく文字が読めることを言っていよう。

「昭和四年」一九二八年。]

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