佐々木喜善「聽耳草紙」 三七番 よい夢
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
三七番 よ い 夢
昔はありましたとサ。ある所の家の童(ワラシ)は、朝(アサマ)に起きると、
あゝ良(エ)夢見た
あゝ良(エ)夢見た
と言つた。このワラシア何そら程良(エ)夢見たてヤ。サベて(言つて)知(スカ)せでなエかと母(アツバ)が聽いた。それでも童は、
あゝ良夢見た
あゝ良夢見た
と言ひ續けて居るので、此の童ア馬鹿になつたフダ、流してやらねアばなねアと言つて、舟(フネコ)さ入れて流してやつた。
童がだんだん沖の方へ流れて行くと、遙か向ふの岸の上で鬼どもがそれを見て、あれア、人蟲(ヒトムシコ)ア流れて來た。捕つて食へでアと言つて、皆で海の水を呑み始めた。
大きな口を開けて、どくどくと呑み始めると、段々海の水が無くなつて、しまひには鬼の國の方へ小船がだんだんと流れ込んで行くので、童は、
シズコ
ポンポン
と言つて、自分の睾丸《きんたま》コを叩くと、鬼どもはあははツと笑つて、呑んだ水を皆ホキ出してしまつた。すると童の船がまた沖の方へと流れ戾つた。
ああ良夢見た
ああ良夢見た
とまた言ひ續けて行くと、先の鬼どもは今度こそはと、再び海の水をどツくどツくと呑み出した。童の船は忽ちにまた鬼の國の側へ流れ込んで行つた。そこでまた童が、
シズコ
ポンポン
と言つて叩いて見せると、鬼どもは、あはははツと笑つて、せつかく呑んだ水をみんな吐き出してしまつた。そこで今度は鬼どもが、いつたいお前は良(エヽ)夢見た見たと言ふが、どんな夢を見たか、話して聽かせろ。そしたら寶物をやると言つた。童がその良夢のことを話すと鬼どもは寶物を與へた。その寶物は水の上を渡る浮靴《うきぐつ》と、死んだ物を甦(イ)かす生針(イキハリ)であつた。
童は鬼からもらつた浮靴を履いて陸へ上つた。そしてそこについてゐる細道を辿つて行くと、駒が死んで人々が騷いでゐた。童がその駒の傍《かたはら》へ行つて、生針で刺すと駒は一聲《ひとこゑ》嘶《いなな》いて甦生(イキカヘ)つたので、人々は神樣のやうにありがたがつた。
その駒に乘つて行くと、向ふの村に大きな長者の館があつて、一人娘が急病で死んだと言つて、皆オイオイと泣いてゐた。
童は私が甦生(イカ)してあげますと言つて、その娘に生針を立てると、これも急に眼をパツチリと開いて生き還つた。長者どのの喜びは限りなく。[やぶちゃん注:句点はママ。]その童を養子にして娘と夫婦にすることにした。ドツトハラヒ、
(田中喜多美氏御報告の分の六。摘要。此の話は
まだまだ複雜であつたと思ふが、姉に聞き返すと
以上の如くであつたと言つて居られる。誰が見て
も不備な點がある。殊に死馬を甦生《いきかへ》
させるには村人と何かの約束があつたから、生か
してから其の馬に乘つて行つたことであらう。江
刺の話と比較して見ると内容がよく分るやうに思
はれる。)
[やぶちゃん注:「田中喜多美」既出既注。
「江刺の話」不詳。]