「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「南方雜記」パート 鹽食はぬ人
[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。
以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。今回は、ここ。
注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。
なお、本篇は前回の南方熊楠の大正三年二月の論考「山人外傳資料」の追補的投稿である短い記事である。]
鹽 食 は ぬ 人 (大正四年五月『鄕土硏究』第三卷第三號)
(『鄕土硏究』第一卷第十二號七三一頁參照)
昔、西印度諸島に住んだカリブ人は、鹽は人を殺す物と信じ、又、豚を食へば、眼、細くなると信じた。然《しか》るに、彼輩《かのやから》、鹽食《えんしよく》はないでも、生れ付いて、皆、眼が細かつたと、ド・ロシュフヲールの「西印度博物世態誌(イストア・ナチユラル・エ・モラル・デ・イル・アンチユ)」(一六六五年、ロテルダム板)一九一頁に見ゆ。右、鷄肋《けいろく》ながら、原書は、一寸、吾邦に見得ぬ本に有ㇾ之《これあり》、序《ついで》あらば、採錄を乞ふ。
[やぶちゃん注:『ド・ロシュフヲールの「西印度博物世態誌(イストア・ナチユラル・エ・モラル・デ・イル・アンチユ)」(一六六五年、ロテルダム板)』フランスの博物学者シャルル・ド・ロックフォール(Charles de Rochefort 一六〇五年~一六八三年)の ‘Histoire naturelle des iles Antilles de l'Amerique’ (「アメリカのアンティル諸島の自然史と道徳史」)が正しい。「Internet archive」の原本ではここが当該部だが、例によって熊楠はページ・ナンバーを誤っている。ここは、各個魚類の記載の一部である。フル・テクストで、「sel」(フランス語の「塩」)で検索した結果、漸く見出せた。明後日の「465」ページであった。
「鷄肋」ニワトリ(鶏)の肋骨(あばらぼね)のこと。「たいして役に立たないが、捨てるには惜しいもの。」の喩え。「食べるほどの肉もないが、捨てるには惜しい。」という意で、三国時代の魏の丞相曹操の軍が漢中を平定し、さらに蜀の劉備を討とうとしたが、進撃にも守備にも困難であったため、態度を決めかねていた。その時、曹操は、ただ一言、「鶏肋のみ。」と言い、部下らは、その真意を解しかねていたが、一人、楊修だけが、その意を悟って、「鶏肋は食えば、得るところなく、捨てれば、惜しむべきがごとし。」といって引き揚げたと伝える「後漢書」の「楊修伝」による故事成語(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。]
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