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2023/04/04

「曾呂利物語」正規表現版 第五 / 第五目録・一 龍田姬の事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。今回はここ。なお、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。

 なお、挿絵があるが、今回分は幸いにして底本(保護期間満了)に挿絵があるので、それをダウン・ロードし、トリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。]

 

曾呂利物語卷第五目錄

 

 一 龍田姬の事

 二 夢爭ひの事

 三 信玄逝去の謂(いは)れの事

 四 信長夢物語の事

 五 因果懺悔(さんげ)の事

 六 萬(よろづ)上々(うへうへ)のある事

 

 

曾 呂 利 物 語 卷第五

 

     一 龍 田 姬 の 事

 何某(なにがし)の娘、成人する儘に、女房達、數多(あまた)、付け侍る。

 爰(こゝ)に何處(いづく)ともなく、いとあてなる女、一人(ひとり)、佇(たゝず)みて、

「宮仕へ、望み侍る。」

由(よし)、云ひければ、

「幸ひ、御内(おんうち)にこそ、御身(おんみ)のやうなる人を、尋ね侍るなれ。いざ、給へ。北の御方に、斯(か)くと申さん。」

とて、云ひければ、則ち、とゞめて置かれけり。

 彼(か)の宮仕への、心に入りたる事は、さて置き、繪描き、花結び、手蹟、美しく、縫ひ物などは、七夕(たなば)の手にも劣るまじく、物の色合ひなど、染めいだせる事は、龍田姬も恥ぢぬべき程なり。

 

Nekotatuta

 

[やぶちゃん注:本挿絵は、特異点で、挿絵の中に三箇所、キャプションがある。右上に「たつたひめの事」、右中央に「きたのかた」(北の方=主人の妻)、左上に「くひを置きかねつける」(首を置き、鉄漿を付ける)とある。]

 

 ある時、北の方(かた)、女の部屋を垣間見(かいまみ)しに、夜(よ)、いたく更けて、燈火(ともしび)、かすかなるに、己(おのれ)れが首、とりて、前なる鏡臺(きやうだい)にかけ置きて、鐵漿(かね)をつけ、化粧して、又、わが軀(むくろ)につぎて、さあらぬ體(てい)にてぞ、ゐたりける。

 怖ろしとも云はん方(かた)なし。

 さて、主(あるじ)の殿(との)に、

「かかる事侍るを、いかゞに計らひ給ふぞ。」

と云ヘば、

「先づ、何となく、暇を出だせ。」

と云ふほどに、女を近づけ、

「近頃、云ひかね侍れども、人多く侍れば、『一人も、二人も、暇(いとま)を出だせ。』と宣(のたま)ふ間(あひだ)、そなたのやうなる重寶(ちやうはう)の人は、ましまさぬほどに、『いつまでも。』と思へど、いづれも、譜代の者にて、暇、いだされぬ者共なれば、まづまづ、何(いづ)かたへも、出でられ候へ。その上、良人(をつと)の命(めい)、背(そむ)き難く侍れば、重ねて、娘(むすめ)嫁入りの折節は、迎へ侍らん。」

と云ふ。

 其の時、女、氣色(けしき)變りて、

「さては。何ぞ、御覽じて、斯く仰せ候ふやらん。」

と、そばへ、近く居寄(ゐを)れば、

「其の方は、何事を云ふぞ、又、やがてこそ、呼び侍らん。」

と、さりげなく宣へども、

「いやいや、淸(きよ)くもなき事なり。」

とて、飛びかかりけるところを、男、かねて心得けるにや、後(うしろ)に立ち添ひけるが、刀(かたな)を拔き、

「はた」

と切る。

 切られて、弱るところを、引直(ひきなほ)し、心の儘に、切れば、年經(としへ)たる猫の、口は、耳まで切れて、角(つの)、生(お)ひたるにてぞ、おはしける、其の名を「龍田姬」と云ひ侍るとぞ。

[やぶちゃん注:本篇の転用は、「諸國百物語卷之二 七 ゑちごの國猫またの事」。類話としては、「宿直草卷四 第二 年經し猫は化くる事」や、『西原未達「新御伽婢子」 遊女猫分食』等が挙げられる。

「花結び」糸や紐を、色々な花の形に結ぶこと。また、結んだもの。衣服・調度の飾りにする。「新橋結び」・「梅結び」・「あやめ結び」・「菊結び」などの種がある。

「七夕」岩波文庫の高田氏の注に『たなばた姫。織女。織り物の女神』とある。

「龍田姬」「延喜式」に見える女神で、大和竜田山の神で,斑鳩町の竜田神社に祀られている。奈良の西に当たることから、五行説の影響を受けて、「秋を司る神」とされ、春を司る「佐保姫」と対とされる。また、「風の神」としても信仰されている。

「重寶」「便利で役に立つことの意の「調法」の宛て字。

「淸(きよ)くもなき事」岩波文庫では、高田氏が注されて、『原本「清く」。意によって改』とあって、本文を「曲もなき事」と手を加えられた上で、『「曲もなき」は、情のない、すげない、の意』とする。穏当な改変である。]

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