大手拓次 「五月の姉さんへ」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』時代Ⅰ(大正前期)』に載るもので、同パートについては、先のこちらの冒頭注を見られたい。]
五月の姉さんヘ
わたしの好きな五月の姉さん、
せうせうお待ちください、
あなたのおみやげをよろこんで拜見いたしますから。
さつぱりとした五月の姉さん、
おわらひにならないで、
わたしの妙な物言ひぶりをごらんください。
おお もうあなたはお口のあたりに微笑をたたへていらつしやる。
わたしはいま、あさみどりのふくろから いろいろの物をとりだしました。
そつとわたしの手につかんだのは
やはらかな それでゐてしやんとした白いつつじの男花、
それから 手のひらにのせてみたのは
あをい木蔦(きづた)にからまれた眞珠のやうなマアブルのきざみ像、
サイネリアと、あやしい吸枝(きふし)をふくらませる黃色い蘭の大輪の花、
それから すつとわたしの指にふれてなまめいたのは
わかい女の人たちのよくゆめにみるチユウリツプ、
またにやにやとうすわらひするのは
毛むくぢやらな室咲(むろさ)きのイスピシア、
おとなしくわたしの手にだかれたのは
おもはゆいやうな顏をした淡紅色(ときいろ)のばらの花、
そのあとにおともしたのがヒアシンスの紫の花、
ああうれしい、わたしの好きな五月の姉さん、
あさみどりのふくろからまだころびでるのはなんだらう、
水色と紺との羽根をはやし すいすいととぶ銀とんぼ、
ぱらぱらとまくやうにおちてくるのは
さくらんぼ、いちごやぐみの漿果(このみ)のあられ、
夜(よる)と晝とをからみつける
うすくらがりの沈丁花、
くらい樹立(こだち)にまようてゆく隱し兒のやうないぢらしい
野のあらそだちの白い小花の名無し草、
ああ だれもみんなおいで、
わたしはお前たちをみんな抱いてやる、
さうしてかはいがつてやりませう、
ひとりごと言ひながらはしやいでをりますと、
いつとはなしに
しめつぽい雨がふる、
閒遠に屋根をうつひつそりかんとした雨が
五月の姉さんの背中をはつてゆく。
わたしの好きな五月の姉さん、
五月はゆめをみる月です、
黃色い花や白い花がみじまひをして
たちうちをする男こひしい闇の月。
[やぶちゃん注:この詩、妙に私は惹かれる。太字は底本では傍点「﹅」。「姉」には「姊」の異体字があるが、「閒」とともに、詩集「藍色の蟇」での用字に従った。「姉さん」は私は「ねえさん」と読んでいる。「あねさん」では、ヤクザの舎弟みたようで、気持ちが悪いから。
「つつじの男花」「男花」は「雄花」で「をばな」、双子葉植物綱ツツジ目ツツジ科ツツジ属 Rhododendron の合弁花の雄蕊(おしべ)部分。なお、僕らはよく、花を摘んでその花弁元を吸ったものだが、ツツジ科 Ericaceaeの全種の全草に有毒なグラヤノトキシン(Grayanotoxin)を持っている。これは細胞膜上のナトリウム・イオンチャネルに結合し、興奮と膜電位の変調を継続させ、カルシウム・イオンを流入させるため、骨格筋や心筋の収縮を強めたり、迷走神経を刺激した後に麻痺させる作用も持っており、蜜にも含まれる。ツツジ由来の蜂蜜から検出されることがあり、蜂蜜店では、よく小児向けの注意喚起があるのはご存知であろう。この毒性は、古くから知られており、古代ローマの博物学者プリニウスが、既に、ツツジ属Rhododendronの蜜由来の蜂蜜による中毒例を記録している(この毒性についてはウィキの「グラヤノトキシン」を参照した)。
「木蔦(きづた)」セリ目ウコギ科 Aralioideae亜科キヅタ属キヅタ Hedera rhombea 。常緑蔓性木本。落葉性の蔦(ブドウ目ブドウ科 Vitaceae)と異なり、常緑性で、冬でも葉が見られるので「フユヅタ」(冬蔦)の別名がある(当該ウィキに拠った)。
「マアブル」marble。大理石。
「サイネリア」キク亜綱キク目キク科キク亜科ペリカリス属シネラリア Pericallis × hybrida。北アフリカ・カナリヤ諸島原産。冬から早春にかけて開花、品種が多く、花の色も白・靑・ピンクなど多彩。別名フウキギク(富貴菊)・フキザクラ(富貴桜)。英名を“Florist's Cineraria”と言い、現在、園芸店などで「サイネリア」と表示されるのは、英語の原音「シネラリア」が「死ね」に通じることから忌まれるためである。しかし乍ら、“Cineraria”という語自体が“cinerarium”、実に「納骨所」の複数形であるから、“Florist's Cineraria”とは英名自体が「花屋の墓場」という「死の意味」なのである――余りに美しすぎて他の花が売れなくなるからか? グーグル画像検索「Cineraria」をリンクさせておく。拓次は詩集「藍色の蟇」の「香料の顏寄せ」に「うづをまくシネラリヤのくさつた香料、」と登場させている。
「吸枝(きふし)」植物学・園芸用語。英語では“sucker”(サッカー)或いは“Primocane”(プライモーケン)と称し、植物の根元や地下茎から生えだす枝を指す(時に切り株や幹・枝から出る不要な枝についてもかく呼ぶ)。植物本体から栄養を奪うことから、除去の対象となることが多い。
「蘭」単子葉植物綱キジカクシ(雉隠し)目ラン科 Orchidaceae。
「チユウリツプ」単子葉植物綱ユリ目ユリ科チューリップ属 Tulipa 。
「室咲(むろさ)き」温室咲き。
「イスピシア」単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科イキシア属 Ixia のことか(タイプ種はIxia polystachya )。総て南アフリカ、特にケープタウン付近が原産。花は当該ウィキを参照されたい。
「ばら」バラ目バラ科バラ属 Rosa 。
「ヒアシンス」キジカクシ目キジカクシ科ツルボ亜科ヒヤシンス連ヒヤシンス亜連ヒヤシンス属ヒヤシンス Hyacinthus orientalis 。
「銀とんぼ」蜻蛉(トンボ)目不均翅(トンボ)亜目ヤンマ科ギンヤンマ属ギンヤンマ亜種(東アジア産)Anax parthenope julius 。
「さくらんぼ」本邦では、ヨーロッパ・北西アフリカ・西アジアに自生するバラ亜綱バラ科サクラ亜科サクラ属サクラ亜属セイヨウミザクラ(西洋実桜)Prunus avium の果実を指す。
「いちご」狭義には栽培種であるバラ科バラ亜科オランダイチゴ属オランダイチゴ Fragaria × ananassa を指すが、広義にはオランダイチゴ属 Fragaria 全体を指す。移入は明治以降。
「ぐみ」バラグミ科グミ属 Elaeagnus の総称で、ここはその果実。漢字表記は「胡頽子」で、「ぐみ」は大和言葉である。本邦では十数種がある。当該ウィキによれば、『方言名に「グイミ」がある』。「グイ」は「とげ」(刺)の意、「ミ」は「実」を指し、『これが縮まってグミとなったといわれる。その他』、『中国地方ではビービー、ブイブイ、ゴブなどとも呼ばれている』とあった。
「沈丁花」フトモモ(蒲桃)目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属ジンチョウゲ Daphne odora 。]

