佐々木喜善「聽耳草紙」 三三番 カンジキツクリ
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。「かんじき」(樏・橇・檋・梮)は一度だけ、若い頃、積雪の中をワンダーフォーゲル部の引率で山行した際、先輩教師の作られたそれを、一度だけ、履いたことがある。アイゼンより遙かに軽く、使い勝手がとても良かった。]
三三番 カンジキツクリ
或所に五右衞門と云ふキヤジキ(カンジキ)作りの爺樣があつた。いつものやうに山でキヤジキをこしらえて居ると、五右衞門、五右衞門と呼んで爺樣の火の側へ大きな狢《むじな》がやつて來た。誰だと思つたら狢か、今日は寒いからあたれと言ふと、狢は火の側へ寄つて持前の大睾丸《おほきんたま》を出して、溫(ヌケタ)まつた。そして氣持ちがよくなつたもんだから、そろそろと廣げ出した。爺樣はこの野郞、いつもの癖を出しやがつたなアと思つて、キヤジキを曲げて居た手を不意に放すと、强い小柴がパチンと彈(ハツ)けて行つてその睾丸に當つた。狢はアツといつて引ツ繰り返つて死んでしまつた。
(秋田縣角館小學校、高等科、淸水キクヱ氏の筆記、摘要。
武藤鐵城氏御報告の三。)
[やぶちゃん注:「狢」この場合に限っては、「大睾丸」の披露から、話者は明らかにタヌキ(ホンドタヌキ)を指していると考えてよい。「ムジナ」は狸の異名として、地方ではよく用いられる。但し、私は、「ムジナ」はニホンアナグマを指す別異名でもあったと考えている。詳しくは博物誌及び民俗学的呼称の一般論については、「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貍(たぬき) (タヌキ・ホンドダヌキ)」の私の注を見られたいが、民俗社会の認識を私が掘り下げたものとしては、『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) むじな・たぬき 猫虎相似附錄 猫虎相似の批評』の私の注をお勧めしたい。さらに言えば、後者で私が示した通り、ごく近代まで、一部の地方の、しかも猟師の間でも、「タヌキ」と「ムジナ」は別な動物と誤認識されていた事実もあった。大正一三(一九二四)年に栃木県上都賀郡東大芦村(現在の鹿沼市)で発生した狩猟法違反事件「たぬき・むじな事件」(リンク先は当該ウィキ)に見るように、専門の狩猟者でも、「タヌキ」と「ムジナ」は別種という弁別混乱(法律用語で「事実の錯誤」)が平然として、あった、のである。
「武藤鐡城」(明治二九(一八九六)年~昭和三一(一九五六)年:佐々木より十歳年下)は秋田県出身の考古学者・民俗学者でスポーツ指導者でもあった。本書刊行時(昭和六(一九三一)年)は移住した角館にあった。当該ウィキはかなり細かく事績が書かれてあるので見られたい。既出既注であるが、再掲した。]