佐々木喜善「聽耳草紙」 五六番 母の眼玉
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから(本文はそこで終わりだが、次のコマに附記がある)。]
五六番 母の眼玉
ある山里に、ひどく仲の良い夫婦があつた。別段何の不自由なこともなく暮しておつたが、ただ夫婦の間に子供の無いのが不足だつた。そのうちにあれ程丈夫であつた妻がフトした風邪がもとで死んでしまつた。
夫は泣く泣く野邊の送りを濟ませた。けれどもそれからは全く氣が拔けたやうに、ぼん
やりとして月日を送つて居た。すると或日のこと、何處から來たのか、若い美しい姉樣が來て一夜の宿を貸してクナさいと賴んだ。男も淋しくて居た時だから、入つて泊つてもよいと云つた。其晚女は泊つて、翌朝になつたが立つて行くフウもなく、いろいろと家の仕事をして居た。其翌日も女はさうして居るので、何時の間にか二人は夫婦になつてしまつた。
月日は經つて女は懷姙をしたと云つた。やがて生み月になつた。女が夫に云ふには、妾《わらは》のお產の時には圍《かこひ》を造つてクナさい。そして妾が產の紐を解いて出て來るまで、產室の中を決して決して覗いて見ないでクナさいと諄《くど》く諄く云つて賴んだ。夫はそれを承知して、俄に圍を造つて其中に女房を入れた。女はなほも繰返し繰返し決して此内を覗いて見てクナさるなと念に念を押して產室に入つた。
男は初めのうちは女の云ふことを聽いて產室の中を見ないで居たが、一日經ち二日經ちするうちに、どうしても内の樣子が心配でたまらず、ハテ女房は今頃は子供を生んだか、それとも病んで苦しんで居るのではないかと思つて、女には決して氣づかれないやうに、コソツと忍び寄つて行つて、靜かに圍の板の小さな節穴コから窃《そ》つと内の樣子を覗いて見た。すると中には一疋の恐ろしい恐ろしい大蛇が赤子を眞中に置いてとぐろを卷いて居た。それを見て男はあまりの恐ろしさに思わず聲を立てやう[やぶちゃん注:ママ。]としたが、否々《いやいや》こゝで心を落着けなくてはならぬと思つて、なほまた例へどんな魔性の物だとは云へ、一度は夫婦の契りを結んだものだもの、あゝ俺は見ては惡い物を見てしまつたと後悔して、そのまゝ又そつと足音を立てないようにして母屋《おもや》の方に引ツ返して來て默つて居た。
その中《うち》に七日の枕下げも過ぎたから、女は圍の中から綺麗な男の子を抱いて出て來た。そして暫時《しばらく》さめざめと泣いて居たが、妾はお前と末永く夫婦の契りを結びたいと思つて子供まで生んだが、もう今日きりこれで別れねばならない。どうしてお前はあれ程見てくれるなと賴んだ產室の中を覗いて見たかと歎いた。それでお前に妾の本體を見られゝば、もう恥かしくて此所に止まつて居ることが出來ないし、又永く人間の姿もして居られないから、妾はもとの山の沼へ還るから、この子供ばかりは大事にして育てゝクナさいと言つて泣いた。男は待て々々、見るなと云ふたのを見たのは俺が惡かつた。それもこれもみんな俺がお前の體を案じてしたことであるからどうか惡く思つてくれるな。今お前に此の赤子を置いて行かれたら乳も無いし、俺がナゾにして育てることが出來るか、せめて此子が三つ四つになる齡頃《としごろ》まで居てくれろと賴むと、女はそれでも妾は一旦本性《ほんしやう》を見られゝば、どうしても行かねばならぬから行くことは行くが、本當にこの子もムゾヤ(可愛想)だから、それでは此子が泣く時にはこれを甞《な》めさせてクナさいと言つて、女は手づから自分の左の眼玉をクリ拔いて取つて置いて、忽ち大蛇に化(ナ)つてずるずると山の沼ヘ走つて行つてしまつた。
男は子供の名前を、坊太郞とつけて、泣く時は、そのオフクロ(母親)の眼玉をサヅラセて育てて居た。坊太郞は其眼玉をサズツたり持つて遊んだりして育つて居たが、日數《ひかず》が經つうちに眼玉がだんだん小さくなつて、遂々《たうとう》みんなシヤブリ上げてなくしてしまつた。眼玉が無くなると、坊太郞は泣いてどんなにダマシ(あやし)ても泣き止まぬので、父親は仕方なく、坊太郞をオブつて坊太郞の母を尋ねに出かけた。たづねてたづねて山の奧の奧の沼に行つた。そして沼のほとりに立つて、坊太郞アオガア(母)どこだべなア、坊太郞アオガアどこだべなアと呼ばると、沼の中から大蛇が出て來て何しに來たマスと言つた。夫は俺ア何しにも來ないがお前が居なくなつてから、此子に每日每日お前の眼玉をサヅらせて、今日まで育てて來たけれども、もうその眼玉も甞めあげてしまつたので、坊太郞が泣いて仕方がないから來たと云ふと、大蛇は悲しさうなフウをして居たが、父《とと》な、それではもう一ツの眼玉をあげるが、これで妾の眼玉はもう一ツも無くなつて、夜明けも日暮れも解らなくなり、不自由になるから、お前がこの沼のほとりに鐘を釣るして、明け六ツ、暮れ六ツの時刻に、その鐘をついて鳴らして知らせてクナさいと言つて、手ずから自分の殘りの右の眼玉をクリ拔いて、それを坊太郞の手に持たした。そして別れるのは悲しいがコレで妾は還ると言つて顏を血だらけにして沼の中に沈んでしまつた。[やぶちゃん注:「明け六ツ、暮れ六ツ」不定時法。「明け六ツ」は夏至の頃(①)で午前四時頃、春分・秋分の頃(②)で五時半頃、冬至の頃(③)で午前六時半過ぎ頃、一方、「暮れ六ツ」は①で午後八時前、②で午後六時半過ぎ、③で午後五時半頃となる。]
父親は妻の大蛇が目が無くて不自由だらうと思つて、沼のほとりの峯寺《みねでら》に大鐘を納めて明けの六ツ、暮れの六ツにその鐘搗いて、時刻を知らせた。
坊太郞は眼玉をサヅつてだんだん大きく育つた。そして俺の母が沼の中に入つて居ると云ふことを聞き、或日沼のほとりへ行つて、坊太郞アオガア出ておでアれ、坊太郞アオガア出ておでアれと呼ぶと、大蛇の母はもとの人間の姿になつて出て來た。それでも盲目だから坊太郞が見れないので、坊太郞の顏を手さぐりにさぐつて見た。坊太郞はお母をおぶつて家に連れて歸つて、座敷を造つて其所に入れて置いて、每日々々母の好きな物を食はせて孝行した。
(江剌郡梁川《やながは》村字口内《くちない》邊《あ
たり》にあつた話、菊池一雄氏が母上から聽かれて知ら
してくれたものである。昭和三年の冬の分。同氏御報告
分の二。)
[やぶちゃん注:なにか、しみじみとした哀感のある異類婚姻譚である。大蛇が人の「女」となって男と交わるという型は、全国的に見れば、それほどポピュラーではないと思われる。ただ、最終段落で、夫が語られないのは、ちょっと残念である。夫は坊太郎が成長して程なく、亡くなったということだろうか。にしても、後に別な話者によって子ども向けに追加されたハッピー・エンドデ追加されたのだろうが、何となく唐突な感は免れない。なお、「盛岡市上下水道局」公式サイト内に「盛岡弁で聞く水にまつわる岩手の民話 ~水と私たちの今、昔~」があり、畑中美耶子さんの朗読になる、本話の話が「6」の「おがぁの目玉」で聴ける。是非、お聴きあれかし!
「江剌郡梁川村字口内」旧梁川村は旧江刺郡で、奥州市江刺地区の北北東に当たる、現在の岩手県北上市口内町(くちないちょう:グーグル・マップ・データ航空写真)。中央と南東を除く三方は山間地である。「ひなたGPS」で戦前の地図と国土地理院図並べて見ると、溜池とは思われるが、谷奥に多数の池沼らしきものが、今も現認出来る。
「菊池一雄氏」「御報告分の二」「一」は「五二番 蛇息子」で、話柄内容の類似性は認められないが「蛇」絡みという点では通性はある。]
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