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2023/04/22

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「南方雜記」パート 針山供養針千本

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。今回は、ここから

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文脈部分は後に推定訓読を添えた。太字は底本では、傍点「﹅」である。

 なお、「選集」では、標題の後に下方インデントで初出誌の丸括弧表記を二行目として、その前行に並べて同じ下インデントで『京都風来坊「針山供養針千本」参照』とある。筆者も内容も不明。]

 

     針山供養針千本 (大正三年十一月『鄕土硏究』第二卷第九號)

          (『鄕土硏究』第一卷第十號六三二頁參照)

 

 針千本(はりせんぼん)は河豚(ふぐ)類の魚で、學名ヂオドン・ヒストリクス、英語でシーヘヂホグ(海猬)、又、ポーキュパインフィシュ(豪猪魚)。此針だらけの魚が、河豚同樣、毬《まり》狀に膨(ふく)れて、每冬、海荒れる時、北國の濱に打《うちあぐ》るより、嫁の怨みと云ふやうな俗信を生じたものだらう。「日本書紀」卷二十六に、齊明天皇四年、出雲國言、於北海濱魚死而積、厚三尺許、其大如ㇾ鮐(あひ)、雀喙針鱗、鱗長數寸、俗曰雀入於海化而爲魚、名曰雀魚。〔出雲の國より言(まを)す。北海の濱に、魚、死にて積めり。厚さ三尺ばかり、其の大いさ鮐(あひ)のごとく、雀の啄(はし)、針(はり)の鱗(うろこ)あり、鱗の長さ、數寸(あまたき)なり。俗(くにびと)曰はく、「雀の、海に入りて化して魚(うを)と爲(な)れり。名づけて雀魚(すずみを)と曰ふ。」と。〕今云ふ雀魚(すゞめうを)は、學名オストラチオン・ジアファヌス、やはり河豚の類だが、鱗(うろこ)、無し。「和漢三才圖會」卷五十一にも、日本紀所謂者與今雀魚異〔「日本紀」に謂ふ所は、今の『雀魚』と異なる。〕とある。針鱗鱗長數寸〔針の鱗あり、長さ數寸〕とあれば、今の「針千本」を「雀魚」と謂ひ、『雀が化した』と云つたんだらう。「本草啓蒙」卷四十には、ハリフグ、雲州、每年十二月八日、波風、暴《あら》く、此魚、多く打上げられ、又、唐津でも四月八日に、此魚、自ら陸《をか》に上り死す、と出て居る。

[やぶちゃん注:「針千本(はりせんぼん)は河豚(ふぐ)類の魚で、學名ヂオドン・ヒストリクス」フグ目ハリセンボン科ハリセンボンDiodon holocanthus 。シノニムにDiodon hystrix holocanthus はあるが、熊楠の示した Diodon hystrix はシノニムではなく、誤用である(英文サイト“FishBase”の“Synonyms of Diodon holocanthus Linnaeus, 1758”を参照した)。

「英語でシーヘヂホグ(海猬)」Sea hedgehog。“Hedgehog”は哺乳綱真無盲腸目Eulipotyphlaハリネズミ科ハリネズミ亜科 Erinaceinaeのハリネズミ類を指す。当該ウィキによれば、『日本語では「ネズミ」と付くが、実際はモグラ』(真無盲腸目モグラ科 Talpidae)『に近』く、『ミミズなどを捕食する』点も似ている。『英語名のHedgehog(生垣のブタ)はブタのように鼻を鳴らしながら生垣をかぎ回ることに由来する』とある。

「ポーキュパインフィシュ(豪猪魚)」Porcupine fish。“Porcupine”は齧歯(ネズミ)目ヤマアラシ亜目ヤマアラシ科Hystricidae及びアメリカヤマアラシ科 Erethizontidaeに属するヤマアラシ類を指す。同種は漢字では「山荒」の他、「豪猪」とも書く。後者はヤマアラシの中文名でもある。

「日本書紀」の引用の訓読の一部は、国立国会図書館デジタルコレクションの黒板勝美編「日本書紀 訓読」下巻(昭和七(一九三二)年岩波文庫刊)の当該部を参考にした。問題は「鮐」の「あひ」という熊楠のルビであるが、そのままとした。但し、この「鮐」の音は「タイ」或いは「イ」であり、「あひ」という表記とは一致しない。仮に本邦の意義としても「ふぐ」或いは「さめ」他に「老人」の意である。「選集」では、この「鮐」には訓読した文(「選集」は漢文脈部分は原漢文を載せず、総て編者が勝手に訓読してしまってある。この訓読、時に原拠にちゃんと当たらずに、非専門家が勝手に訓読しているとしか思われない、誤読がしばしばあるのは甚だ困ったことだと考えている。今までの私の電子化注でも何度もそうした呆れかえる箇所が、多数、あった。次回に改修版を作る際は、専門家に総てチェックして貰うよう、強く要請するものである)の中で、能天気に「鮐(ふぐ)」と振ってある。それはしかし、私には近現代の解釈上の問題の内容に当てて都合よく読むためのお手軽な読みであり、出雲人たちや、「日本書紀」の記者たちが、そう発音していた、或いは、読んでいたとは、私にはそこまで能天気に読むことは、到底、出来ないのである。因みに、上記の黒板氏のそれでは、『鮐(えび)』と振ってある。「鮐」を「えび」と読む用例を知らないが、ここは大きさを示すのだから、寧ろ、ちょっと大きめの海老であってもおかしくはないとは言えるか。

『「和漢三才圖會」卷五十一にも、……』私のサイト版「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「すゞめうを うみすゞめ 綳魚」を見られたいが、私は、良安がそこで引いている元の李杲(りこう)「食物本草」及び「日本紀」の記述しているものは、

フグ目ハリセンボン科ハリセンボンDiodon holocanthus

若しくは、その近縁種である、

ネズミフグDiodon hystrix

ヒトヅラハリセンボンDiodon liturosus

イシガキフグChilomycterus reticulates

等を指しており、良安自身が記載している種は、眼上棘の記載に不審はあるものの、同フグ目の、

ハコフグ科コンゴウフグ属ウミスズメLactoria diaphana

若しくはその近縁種である、

シマウミスズメLactoria fornasini

コンゴウフグLactoria cornuta

等を指していると考えて間違いない、と比定した。今も私の比定は修正する必要を感じない。

『「本草啓蒙」卷四十には、ハリフグ、雲州、每年十二月八日、波風、暴《あら》く、此魚、多く打上げられ、又、唐津でも四月八日に、此魚、自ら陸《をか》に上り死す、と出て居る』とあるが、これは抄録切り張りで、引用とは言えないので、『 』で示すのをやめた。小野蘭山の「本草綱目啓蒙」には、無許可である弟子が編纂したものを含め、複数の版があるが、これと同文のものは見当たらないのではないかと思う。私は国立国会図書館デジタルコレクションの以下の二種を確認したが(リンクは南方の示した当該部相当箇所)、

「本草綱目啓蒙」四十一巻(文化二(一八〇五)年跋)「河豚」の項では、ここの右丁四行目下方から

で、

「重訂本草綱目啓蒙」同巻同前(弘化四(一八四七)年刊)では、ここの左丁五行目下方から

である。孰れも非常に読み易いので比較されたい。]

〔(增)(大正十五年九月記)大正十年十二月、紀州日高郡南部町(みなべ《ちやう》)日高實業學校女子校友會發行『濱ゆふ』に、由良興國寺寶物に、法燈國師傳來の九條袈裟あり、京極女院《にようゐん》一針三禮の作といふ。「俳諧歲時記」、二月事納め、武江の俗、二月八日、婦人は針の折れたるを集めて、淡島の社へ納め、一日、絲針の業を停《とど》む。是を針供養といふ。南部(みなべ)地方でも、お針屋で、折れ針を集めて、蒟蒻《こんにやく》にさし、之を海へ、はめる。之を針供養といふ、とあり。「話俗隨筆」蒟蒻の條(本書二〇八頁「紀州の民間療法記」)を參看せよ。〕

[やぶちゃん注:「紀州日高郡南部(みなべ)町日高實業學校」現在の和歌山県立日高高等学校・附属中学校(グーグル・マップ・データ。以下同じ)の前身である和歌山県立日高高等女学校が大正三(一九一四)年に創立されているが、場所が異なるので違う。現行の和歌山県日高郡みなべ町はここ

「由良興國寺」和歌山県日高郡由良町(ゆらちょう)にある臨済宗妙心寺派鷲峰山(しゅうほうざん)興国寺。地元では「由良開山(ゆらかいさん)」と呼ばれて親しまれている。当該ウィキによれば、同寺は安貞元(一二二七)年、『高野山金剛三昧院の願生』(俗名は葛山景倫(かずらやまかげとも)が、『主君であった源実朝の菩提を弔うために創建したもので、創建時は真言宗寺院で西方寺と称していた。葛山景倫は承久元』(一二一九)年、『実朝の暗殺を機に出家』し、『実朝の生母』『北条政子は願生の忠誠心に報い、願生を西方寺のある由良荘の地頭に任命した』。『願生は親交のあった心地覚心(法燈国師)』(本文にも出るが、当該ウィキを参照されたい)『が宋から帰国すると、正嘉』二(一二五八)年に『西方寺の住職に迎えて開山とした。その後、後醍醐天皇より寺号の興国寺を賜ったという。覚心は、普化尺八を奏する居士』四『名を宋から連れ帰り、興国寺に住まわせたので、以後』、『当寺は普化尺八の本山的な役割を持つようになった。その弟子の一人、虚竹禅師(寄竹)が尺八の元祖といわれている』とある。

「京極女院」洞院佶子(とういんきつし/藤原佶子 寛元三(一二四五)年~文永九(一二七二)年)は亀山天皇皇后にして後宇多天皇生母。京極女院は女院号。二十八で早逝している。

「一針三禮の作」『濱ゆふ』は見出せなかったが、「紀州文化讀本」(南紀土俗資料刊行會編昭和二(一九二七)年刊)の渡辺みさを女史の「一針三禮」を見つけた。この左ページから、その謂われが記されてある。

「はめる」海に沈めるということであろう。

「淡島の社」ウィキの「淡島神」(あわしまのかみ)によれば、『和歌山県和歌山市加太の淡嶋神社』(ここ)『を総本社とする全国の淡島神社や淡路神社の祭神であるが、多くの神社では明治の神仏分離などにより少彦名神等に置き変えられている。淡島神を祀る淡島堂という寺も各地にある』。『婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神とされ、江戸時代には淡島願人(あわしまがんにん)と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がった』とある。

「針供養」当該ウィキを参照されたい。もう疲れた。

『「話俗隨筆」蒟蒻の條(本書二〇八頁「紀州の民間療法記」)』この指示しているのは、『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 紀州の民間療法記』の「補訂」部の「蒟蒻」に関わる記載だが、針供養とは関係がないので。参看する必要はない。]

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