「近代百物語」 巻一の二「いふにかひなき蘇生の悅び」
[やぶちゃん注:明和七(一七七〇)年一月に大坂心斎橋の書肆吉文字屋市兵衛及び江戸日本橋の同次郎兵衛によって板行された怪奇談集「近代百物語」(全五巻)の電子化注を始動する。
底本は第一巻・第三巻・第四巻・第五巻については、「富山大学学術情報リポジトリ」の富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」のこちらからダウン・ロードしたPDFを用いる。しかし、同「ヘルン文庫」は、第二巻がない。ネット上で調べてみたが、この第二巻の原本を見出すことが出来ない。そこで、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載るもの(底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていないことが判ったばかりであった)を底本として、外の四巻とバランスをとるため、漢字を概ね恣意的に正字化して用いることとした。なお、「続百物語怪談集成」からその他の巻もOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
本「近代百物語」について及び凡例等は、初回の私の冒頭注を参照されたい。
字体は略字か正字かで迷った場合は、正字を採用した。また、かなりの読みが振られてあるが、振れそうなもの、難読と判断したもののみをチョイスし、逆に読みが振られていないが、若い読者が迷うかも知れないと判断した箇所には、推定で歴史的仮名遣で読みを《 》で挿入した。踊字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので、正字或いは「々」などに代えた。句読点は自由に私の判断で打ち、また、読み易くするために、段落を成形し、記号も加えてある。注はストイックに附す。ママ注記は五月蠅くなるので、基本、下付けにした。
なお、本書には多数の挿絵があるが、「ヘルン文庫」の四巻はPDFから挿絵部分をJPGに変換して絵のみをトリミングしたものを、画像修正は加えずに適切と判断した箇所に挿入する。同リポジトリのこちらの「貴重図書について」に『・展示/出版物掲載で利用される際には、原本が富山大学附属図書館所蔵である旨を明示してください。』とあることから、使用は許可されてある。挿絵ごとに、この明示をする。]
いふにかひなき蘇生の悅び
世に、狐・たぬき・犬・描など、「人に託(つ)く」と、いひふらし。
其所以を問へば、『科(とが)なきに殺生し、打たゝきなどするときは、かれらがたましゐ、皮膚に、わけ入り、人をして、病(やま)しむ。』と、醫書にも邪崇(じやそう)の論方(ろんはう)あれば、全く虛言とも、いひがたし。
今はむかし、ひたちの國、桜田村とかやいふ所に、六兵衞といふ農民、男子(なんし)一人ありけるが、六之介と名をつけ、夫婦の中のひとり子なれば、蝶よ花よと愛せしが、いかなる過去のいんぐわにや、生れつき、病身にて、兩親(ふたおや)の心づかひ、常に、くすりのたゆるひまなく、食物(しよくもつ)、よろづ、氣をつくれど、其かい、さらに、あらしは、おろか、風がはやれば、人よりさきに、やむ身よりは、見る目とて、六兵衞もやまひのたね。はたけへゆけど、我子の身のうへ、わする事もなかりしが、六之介、十二のとし、きさらぎのころよりも、時疫(じゑき[やぶちゃん注:ママ。])、諸こくに、はやりければ、はや、六兵衞がむねにこたへ、
「わづらはぬ、そのさきに。」
と、灸をすへさせ、くすりをもちひ、ころばぬさきの杖の養生、なさけなや。
「此村の、たれと、誰(たれ)とが、時疫にあたり、きのふより、大ねつ。」
と聞くと、ひとしく、六之介、三番目とは、さがらぬ弱(よわ)もの、
「どふやら、頭痛がするやうな。」
と、いふが、序(しよ)びらき[やぶちゃん注:「序開(じよびら)き」で、以下に同じ。]、病(やまひ)のはじまり、さやうにおもへば、やまひ、おもる。
「まづ、四、五日は、見あはせ。」
と、ふとんうちきせ、食事をすゝめ、二、三日も、すておきしが、大ねつといふにも、あらず。
氣色(きしよく)をとへば、
「わるい。」
と、ばかり、夜昼となく、もだへ、くるしみ、此あいだとは、容躰(ようだい)かはり、惣身もひへて、絕(ぜつ)しよくすれば、ふたおやは、大ひにあはて、常にたのみし医者をまねき、くすりを用ひて看病すれども、每日、よはりに、正氣もなく、今は此世のゑんつきて、たゞ十二歲を一期(ご)とし、つぼめる花を春かぜの、よけてもふかで、おちければ、父母のなげきのほど、けふをかぎりのわかれぞと、よそに見る目のいじらしさ、もらひなみだに、そで、しぼる、おりこそあれ、表のかたに、
「そりや、追(おへ)、」
「喰(くわ)すな、打(うて)、」
「たゝけ、」
「南無さん、くはへた、」
「ハア死んだ、」
「運のつきじや。」
と、人々の、右往左往のあしおとに、
[やぶちゃん注:底本の富山大学附属図書館所蔵「ヘルン文庫」のもの。キャプションは、
*
鼬(いたち)といふ物(もの)
何(なに)のがいもな
さゞるこもの也
常(つね)にいづくに
すむともさだか
に
知(し)らずひそか
に
鼡(ねつみ[やぶちゃん注:ママ。])などこれ喰(くらふ)に
ねこなどの
ごとく
あらはならず
《以下中段、右。》
やれぶつかへせ
《以下中段、左。ここは左は左から右に書かれてある。》
やろ
たすけて
いたちを
*]
「何事やらん。」
と、六兵衞、たちいで、物かげよりうかゝへ[やぶちゃん注:ママ。]ば、としふる鼬鼡(いたち)の、犬にかまれて、半死半生、四そくを、のべて、かた息になりければ、六兵衞、見るに、いたはしく、
「せめて我が子の菩提のため、いのちを、たすけ得させん。」
と、水をそゝぎ、なでさすれど、大疵(《おほ》きず)の毛は、血まみれ、何かはもつてたまるべき、
「きつ」
と、一聲、鳴(ない)たが、さいご、そのまゝ、息は、たへけるが、ふしぎやな、鼬鼡の口より、けぶりのごとき、白氣(はくき)を、ふき出し、
「六兵衞が家に、入るぞ。」
と見へしが、おしよせおきし六之介、[やぶちゃん注:最早、命終と諦めて、部屋の隅に押し寄せておいたのであろう。]
「むくむく」
と、よみがへり、そこらあたりを、はひまはれば、六兵衞は、ゆめ見しこゝち、
「そりや、目でたいは。」
と、家内のよろこび、旦那寺へは、人をはしらせ、
「御出で無用。」
の、ことはり、いひやり、またまた、
「くすりよ。」
と、もてかヘす。[やぶちゃん注:もと通りの位置に戻して、療治を再開したことを言うのであろう。]
六之介は、足、たゝねど、はひまわる。
そのいきほひ、平日(つね)にまされる顏色(がんしよく)なれども、やまひのゆヘに、啞(おし)とやなりけん、
「きよろきよろ」
と、座中を見まはし、「ねこ」を見ては、はなはだ、おそれ、鼡(ねずみ)、はしるあしおと聞きては、目をいからして、かけまはる。
五、六日は、食をも、くはず。
六兵衞はじめ、一門ども、食をあたへて、こゝろみるに、犬・ねこ・馬のしよくするごとく、座敷もいとはず、ふりまきて、口をさしよせ、喰ふありさま、「ちくしやう道(だう)」より、よみがへりしか。
さはいへ、我子の事なれば、むごらしう殺しもならず、
「よし、なににもせよ、生きたが、大慶(たいけい)。びやう後(ご)の『らん氣』とおぼゆれば、次第に、心もしづまるべし。」
と、なをも[やぶちゃん注:ママ。]、養生おこたりなく、半ねんばかりすぎけれども、はじめにかはらぬ容体(ようだい)なれば、一門中より、聞出《ききだ》し、
「相模の國に、名を得たる灸治の上手(じやうず)、安部川道仙(あべかはだうせん)、『今を日の出』と、いひふらす。せむし・盲目・あざ・しら髮・いぐち・巻足・かなとこ・つんぼ・吃子(どもり)・むつゆび・ろくろくび、いづれも、一火で、その座に、いゆる。」
と、いふに、とびたつ六兵衞夫婦、竹輿(かご)にのせつれゆきて、道仙の灸てんうけ、一火すゆれば、コハいかに、
「きち、きち、きち、」
と、なく。
容躰、人間ならぬ聲音(こはね)のひゞきと、ことならず。」
と、また、つれかへり、
「とかく、變化(へんげ)の所爲(しよい)なるべし。神佛のちからにあらでは、本心には、かへるまじ。」
[やぶちゃん注:底本の富山大学附属図書館所蔵「ヘルン文庫」のもの。キャプションは、
*
邪(じや)は正(せい)にあらずとて道德(どうとく[やぶちゃん注:ママ。])めでたさ
僧(そう)まへにてはおのづうからやう怪(くわい)も
きへぬべしことことしく粒珠(じゆす)を
つみ(、)だんをかざりたりとも德(とく)
なき人(ひと)は益(えき)なかるべし
《下段、右。》
ありかたふ[やぶちゃん注:ママ。]
ござり
ます
《下段、左下。》
小児たり
とも
かなら
す
まこと
を
つくす
べし
*
それにしても、本書の挿絵は、どれも特異的である。以上の絵や絵に添えたキャプションから見ると、作者自身が本文をサイドから補塡するような指示や書き込みをしているように思われ、非常に興味深い。]
と、同村に閑居して、道德兼備の僧ありければ、これ、さいわひに、いのりを、たのみ、壇(だん)をかまへて、七日があいだ、せめかけ、せめかけ、いのらるれば、七日にあたる、ほのぼのあけ、六之介が口中(こうちう)より、けぶりのごとき白きもの、ぬけ出て、とびされば、たちまちに、息、たへて、死かばねばかり、のこりけり。
「これそ[やぶちゃん注:ママ。]、まつたく鼬鼡の氣、六之介がかばねをかり、しばらく、奇怪をなせし。」
とて、ある人の、かたられし。
[やぶちゃん注:「鼬鼡」(正字は「鼬鼠」)は食肉(ネコ)目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属 Mustela に属する多様な種群を指す。本邦ではニホンイタチ(イタチ)Mustela itatsi(本州・四国・九州・南西諸島・北海道(偶発的移入):日本固有種:チョウセンイタチMustela sibirica の亜種とされることもあったが、DNA解析により別種と決定されている)がタイプ種であるが、古来より、狐・狸・川獺と並び、ここに出るように、人に憑依する妖獣と認識されていた民俗誌がある。また、形状と生息域から江戸以前にはネズミの仲間と認識されていた(実際にはネズミの天敵の一種である)。さらに同種群の一種チョウセンイタチ亜種ニホンイイズナ Mustela itatsi namiyei (青森県・岩手県・山形県(?):日本固有亜種。キタイイズナより小型で、日本最小の食肉類とされるが、東北地方や信州では「飯綱(いづな/イイズナ)使い」「狐持ち」と呼ばれる家系が存在し、それを使役して妖術を使うともされた、強力な妖獣の一種としても捉えらえていた。詳しくは「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち) (イタチ)」の私の注を参照されたい。]
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