譚海 卷之五 諸國寺社什物寶劔の事
[やぶちゃん注:読点・記号を追加した。]
○有德院公方樣[やぶちゃん注:徳川吉宗。]、諸國寺社に納(をさめ)ある什物を御取(おとり)よせ、上覽ありしに、刀劍の數(かず)は、おほく僞物にて、正眞のものは、わづかに、かぞふる程ありしとぞ。常陸鹿島神宮に、「ふつのみたまの賓劍」といふもの、あり。「世に名高きものなれば、上覽あるべし。」と仰出されけるに、「此御劍は、往古より、巖石の下に納在(をさめあり)て、終(つひ)に拜見せしもの、なき。」よし、神主、言上しければ、「さもあれ、まづ委敷(くはしく)糺すべき。」由にて、上使、參り向ひ、せんさくありしに、件(くだん)の巖石を、引(ひき)のけたれば、石槨(せきかく)の中に寶劍とおぼしきもの、袋に納めて、堅く封じ、「開(ひらく)ベからざる」よし、書付ありしかば、上使、歸りて、言上せしに、「左樣ならば、上覽に及ばず。但(ただし)、其御劍の形、いかやうなるものにや、袋の上より、探りて、委敷申上(まをしあぐ)べし。」と有(あり)。「さぐりて見たるに、誠に寶劍のやうに思はれ、殊に、太く、大(おほ)ふりなるものに覺えし。」とぞ。其次第、言上に及び、上覽なくて、止(やみ)ぬるとぞ。
[やぶちゃん注:「ふつのみたまの賓劍」底本の竹内利美氏の注に、『ここでは鹿島神宮の宝剣の名であるが、本来フツノミタマ(布都御魂)は奈良県石上』(いそのかみ)『神社の祭神で、神武天皇熊野入り折、天神の与えた霊剣の名である』とある。「鹿島神宮」公式サイトの「武甕槌大神と韴霊剣」(たけみがづちのおおかみとふつのみたまのつるぎ)を参照されたいが、ここに書かれた同剣は鹿島神宮の宝物として現存し、国宝に指定されている。全長二・七メートルを『超える長大な神剣「直刀」』で、『この直刀の製作年代はおよそ』千三百『と推定され、伝世品としては我が国の最古最大の剣』であるとあり、写真も載る。而して、『これは、神話の上では』、『この韴霊剣が武甕槌大神の手に戻ることなく、神武天皇の手を経て石上神宮に祀られたことから、現在では「二代目の韴霊剣」と解釈され、現在も「神の剣」として鹿島神宮に大切に保存されて』ある由が記されてある。]
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