「近代百物語」 巻二の一「矢つぼを遁れし狐の妖怪」
[やぶちゃん注:明和七(一七七〇)年一月に大坂心斎橋の書肆吉文字屋市兵衛及び江戸日本橋の同次郎兵衛によって板行された怪奇談集「近代百物語」(全五巻)の電子化注を始動する。
底本は第一巻・第三巻・第四巻・第五巻については、「富山大学学術情報リポジトリ」の富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」のこちらからダウン・ロードしたPDFを用いる。しかし、同「ヘルン文庫」は、第二巻がない。ネット上で調べてみたが、この第二巻の原本を見出すことが出来ない。そこで、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載るもの(底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていないことが判ったばかりであった)を底本として、外の四巻とバランスをとるため、漢字を概ね恣意的に正字化して用いることとした。なお、「続百物語怪談集成」からその他の巻もOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
本「近代百物語」について及び凡例等は、初回の私の冒頭注を参照されたいが、この第二巻は以上の通り、欠損しているため、「続百物語怪談集成」の本文を参考に、手入れは初回通り、漢字を概ね正字化し(第一巻の表記は敢えて参考にしなかった。例えば、「鼡」とか「礼」などを指す)、自由に句読点・記号を追加・改変して、段落も成形した。また、そちらにある五幅の挿絵をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入する。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]
近代百物語巻二
一 矢つぼを遁れし狐の妖怪
今はむかし、足利尊氏の幕下に、栗塚八郞景綱とて、大膽無敵の士(さむらひ)ありしが、一とせ、新田・楠木とたゝかふて、尊氏、大に、はいぼくし、西國におちられしとき、此栗塚も、したがひけるが、備後の沖にて、天氣、かはり、俄(にわか[やぶちゃん注:ママ。])の大雨、しやぢくをながし、鞘(とも)うらに、船、こぎよせ、しばらく、晴(はれ)をまちし所に、其夜に、あめは、やみたれども、風、逆(さか)ひて、出ふねもなく、五、七日も滯留せしが、たゞさへ、旅はうきものなるに、落人(おちうど)の身は、いやましに、古鄕(こきやう)のかたの、なつかしく、終日(ひねもす)、酒宴に日をおくる。
景綱の祕藏の家僕に、和田伴内(わだばんない)といふものあり、大兵(だいひやう)の强弓(つよゆみ)ひき、翔鳥(かけとり)などを射させて、百(もゝ)に百矢をはづさぬ達人、
「もろこしの養由(やうゆう)にも、おとるまじ。」
とぞ、讃美せり。
[やぶちゃん注:「栗塚八郞景綱」不詳。
「和田伴内」不詳。
「鞘(とも)うら」現在の広島県福山市鞆地区の沼隈半島南端にある港湾である「鞆の浦(とものうら)」。ここ(グーグル・マップ・データ)。尊氏は、この時の敗北から反撃に転じ、建武三(一三三六)年、「多々良浜の戦い」で勝利し、京に上る途中、この地で光厳上皇より「新田義貞追討」の院宣を受けている。]
ある日、景綱伴内に、いひけるは、
「汝、明日、陸(くが)にあがり、何なりとも、射て、歸れ。此ほどの、つれづれを、なぐさまん。」
と、ありければ、
「かしこまり候。」
とて、翌朝未明に、弓と矢、引きさげ、家僕(けらい)もつれず、たゞ一人、蔀山(しとみやま)にわけ入りて、
『鹿なりと、鳥なりと一矢(や)。』
と思ひ、あたりに、まなこを、くばれども、雀一羽も、手に入らず。
[やぶちゃん注:「蔀山」現在の広島県福山市西深津町に蔀山稲生神社(伝・足利義昭居館跡)があり、その後背部に蔵王山を始めとする丘陵地があるので、その辺りであろう(グーグル・マップ・データ航空写真)。「ひなたGPS」で戦前の地図を見ても、地名としての以上の山麓の平地の地名として「蔀山」はあるが、山としての蔀山は見当たらない。]
なを[やぶちゃん注:ママ。]、山ふかく入る所に、三十ばかりと見へつる女の、その長(たけ)尺[やぶちゃん注:二・四二メートル。]ばかりなりしが、伴内を見て、あゆみより、
「汝、何ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、こゝに來たれる。はやく、かへりて、主人へ告げよ。此山に殺生せば、景綱に、さいなん、あらん。」
と、いひすて、ゆくを、伴内、引きとめ、
「何奴(なにやつ)なれば、存(ぞん)ぐはい、千(せん)ばん。誰(たれ)にたのまれ、かく、いふぞ。につくき奴。」
と、ぬき討ちに切るぞとおもひ[やぶちゃん注:ママ。]ば、たちまち、うせて、はるか、むかふの岩かどに、
「すつく」
と立ちて、あざ笑ふ。
伴内も、たまりかね、
「目に物見せん。」
といふまゝに、持ちたる弓と矢、うちつがひ、能引(よつ《ぴ》)いて、
「ひやう」
ど、射ければ、其の矢を、つかんで、投げかへす。
伴内が額(ひたい[やぶちゃん注:ママ。])のまん中、一文字にさす矢なれば、身をしづめて、矢つぼをはづれ、又、
「射とめん。」
と、
「吃(きつ)」
と見れば、ふしぎや、霧、ふり、闇夜(あんや)のごとし。
さすがの伴内、ぜんごを忘(ぼう)し、こゝよ、かしこと、さまよひて、やうやうと、道を求め、いそぎかへりて、景綱に、
「かく。」
と告ぐれば、ひざ、立てなをし[やぶちゃん注:ママ。]、
「おもしろし。我、此ほどの旅路の鬱氣(うつき)、山狩りして、散ぜん。」
と、宵より、手勢に觸(ふれ)きかせ、まだ、夜のうちに、手くばりして、千々《ちぢ》に得物の鎗・長刀(なぎなた)、景綱、いさんで、大音(《だい》おん)、あげ、
「狐、たぬきは、いふにおよばす[やぶちゃん注:ママ。]。眼にだに、さへぎらば、鼠も、むしも、ふみころせ。」
と、一度に
「どつ」
と山に入り、十町ばかりあゆみしが、鳥のこゑ、かすかに聞へ、松ふく風のおとのみにて、兎一疋いでばこそ、景綱、無興(ぶけう)し、
「くち借し。」
と、いよいよ、ふかくわけ入るところに、狐一疋、狩り出だし、矢ころになれば、景綱、いかつて、
「おのれ、きのふの返禮に、此の雁股(かりまた)を、いたゞけ。」
と、きつて、はなてば、射ぞんじて、狐は、はるかににげてゆく。
[やぶちゃん注:キャプションは、
*
諸〻(もろもろ)の
けだもの
中(なか)に
きつね
など
あやし
きを
なすの
多(おゝ[やぶちゃん注:ママ。])き
物なし
中にも
官職(くわんしよく)あり
れいげん[やぶちゃん注:「靈驗」。]を
あらはすも
《右下方に続く》
なきに
あら
す[やぶちゃん注:ママ。「ず」。]
《景綱らしき人物の右足の部分に彼の台詞》
ゆるしは
せぬぞ
《左中段の二人の下人の後に》
まつげを
こするな
*
一般には、狐に騙されないようにする咒(まじな)い眉毛に唾して、眉手をくっ付けて数えられないようにすると、騙されない、というのが普通だから、半可通の下人の一人が睫毛をこすっているので、同僚が、その誤りを正したものか。]
景綱、こらへず、あし場も見ず、追(お)つめ、追つめ、射けれども、一と矢もあたらず。他矢(あだ《や》)となれば、景綱、いかりのがんしよくにて、五、六町[やぶちゃん注:約五百四十六~六百五十五メートル。]も、おふて行く。
近習の士、これを見て、あとにつゞひて走りしが、また、矢ごろにもなりしかば、景綱、すかさず、
「ひやう」
と射る。
鳴彈(つるおと)ともに、何かはしらず、石火矢(いしびや)を、はなつがごとく、山谷(さんこく)、一度に鳴動して、雲・きり、おほひて、目さすも、しれず。
[やぶちゃん注:キャプションは、
*
狐(きつね)は
陰(いん)に
して
化(ばけ)ること多(おゝ[やぶちゃん注:ママ。])く
女(おんな[やぶちゃん注:ママ。])に
して
男(おとこ[やぶちゃん注:ママ。])を
たぶら
かす
となり
《中段少し下左。下男の台詞であろう。》
おそろ
しい
女
じや
*]
しばらくありて、晴れ間をみれば、きのふの女、あらはれ出で、
「なんぢ、逆賊尊氏に屬(ぞく)して、皇都を犯したてまつり、楠木・新田に追つ立てられ、此の所に、おち來たり、我が山に入り、殺生す。其罪、はなはだ、輕からず。はやく、善心に立ちかへり、官軍に降參して、粉骨をつくすべし。背(そむ)かば、たちまち、身を滅(ほろぼ)し、家名を、ながく、斷絕せん。其のしるし、これ、見よ。」
と、いふかとおもへば、雲、きり、おほひ、ぜんご・左右も見へばこそ、
「あら、心得ず。」
と、柄(つか)に手をかけ、ためらふうち、俄(にわか[やぶちゃん注:ママ。])に、雲、霧、
「さつ」
と、晴るれば、景綱がたのみし「士(さむらひ)四天王」といわれ[やぶちゃん注:ママ。]し勇者(ゆうしや)、伴内を、さきとして、鷺坂(さぎさか)一平、志賀久四郞、安藤彥七、四人のもの、みぢんにくだけて、死しければ、景綱、これに、おそれをなし、
「いざ。まづ、皆々、しりぞくべし。」
と、殘る士卒(しそつ)を引きつれて、晚(くれ)におよびて、船に、かへれり。
げにも、前表(ぜんひやう)のことばにたがはず、「湊川のたゝかひ」に、景綱は、步(ふ)に、くび、とられ、男子、二人、ありけるが、景綱がうたれし日、二人ともに、血を吐きて、卽座の急死に、あと絕へしと、まことに無双(ぶそう[やぶちゃん注:ママ。])の怪なりと、今につたへし物かたり。
[やぶちゃん注:「鷺坂一平」「志賀久四郞」「安藤彥七」全員不詳。
「步(ふ)」身分の低い徒立(かちだち)の無名の歩兵。]
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