佐々木喜善「聽耳草紙」 七九番 田螺と狐
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
七九番 田螺と狐
昔はありましたとサ。恰度《ちやうど》ここらだと下久保のやうな所を、一匹の赤狐が、田の畦(クロ)を、向ふの方からシヨンシヨンシヨンシヨンと步いて來た。
其時また、お天氣がよいのでヅブも田の中をスルリスルリと步いてゐた。狐は田圃の中になにか美味いものでもあるかと、遠見彼見(トウミカウミ)して來かゝると、水の中にいたヅブが、フト天上の方を見て狐を見つけ、
燒野が原の赤狐
口の尖(トガ)りは
おかしおかし
とやつた。何だか田の中で聲がすると思つて、狐が振返つて見ると田螺(ツブ)がゐるので、
谷地田の中の
塵(ゴミ)かむり
尻(ケツ)のとがりは
をかしをかし
と返した。するとヅブは愛想よく時に狐どのナ、何所へ御座るナと訊いた。すると狐は、いや何所へでもないが、そなたこそ何處サ御座るナと問ひ返した。時に狐どのナ餘りお天氣もよし、俺と上方見物したらなぢよでござるナ。俺はハなんでもないが、其方(ソナタ)その姿態(ナリ)で步けるかナ。いやいや俺こそ心配はないが、そなたこそこの俺にかつついて來(キ)れるのかナ。よし、そんだら俺と上方參りの賭《かけ》だ。そして狐とヅブとは上方見物に出かけた。するとずるいヅブは、狐の尾サぴつたりくつついていつた。
狐は足が達者だから、ヅブなどが仲々かつつけるものでないと、安心しながらシヨンシヨンシヨンシヨンと街道を盛岡の方へ來た。少し草臥(クタビレ)たので先づ一休みしやう[やぶちゃん注:ママ。]と傍らへ寄つて腰を下すと、狐どの今かなと言ふ者がある。狐が休む心算《つもり》で腰をおろした時、ずるいヅブはそのしつぽから離れて、夙(ト)くに來て待つて居た振りをした。いやいや俺は今はヤグド負けた、この次にあ負けないと言つて今度はプンプンプンプンと步き出した。狐は又草臥たので一休みしやう[やぶちゃん注:ママ。]とし、後からヅブの來るのを待たうと思つて休むと、又先の方で、狐どの今か、俺アいつつに來て待つだと言ふのを見ると、如何にもヅブは、夙《とう》から來て待つてゐた顏つきで居た。今度こそ負けてならないと、一生懸命になつて狐はプングリプングリプングリと跳ね出した。するとまたずるいヅブはその尾にぴつたり着いていつた。そして上方に着いて今度こそは勝つたと思つて鳥居の所で後《うしろ》を振返つて見ると、その拍子に尾から離れたヅブは狐どの今かなと言つたとさ。ドツトハラヒ。
(七四番同斷の一二。)
[やぶちゃん注:「かつつける」宮城方言に「かつける」があり、「他人になすりつける・かこつける」の意があるが、ちょっと意味が合わない。私は、幾つかの地方に住んだが、どこの用法だか忘れたが(多分、富山県高岡市伏木)、「まあ、これ見よがしにやりやがったな!」の意で使うことがある。それだと、ここに合う。
「ヤグド」岩手方言で「わざと・故意に」の意。
「いつつに」秋田方言で「とうに・とっくに」の意がある。]
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