佐々木喜善「聽耳草紙」 六五番 蛇と茅と蕨
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
六五番 蛇と茅と蕨
或時野原の蛇が茅萱畑(チガヤバタケ)に晝寢をして居た。ぐつすりと眠つて居るうちに茅の芽が萠《も》え出て自分の體を貫(ツラヌ)いて伸びてゐた。
蛇は前へも行かれず後《あと》にも退《ひ》かれず、體が動けなくなつて困つてゐると、其所へ蕨(ワラビ)の芽が萠え出《だ》して蛇の體を自然と持ち上げて、茅の芽から拔いてくれた。
だから野原などで蛇を見たら斯《か》う云ふ呪《まじな》へ語(ゴト)を唱へれば害はせぬといふ。
蛇々
茅萱(チガヤ)畑に晝寢して
蕨の恩顧(オンコ)を忘れたか……
アプラウンケンソワカ
斯う三遍唱へれば、蛇は蕨の恩顧を思ひ出して必ず路を除《よ》けてくれると謂ふ。
(私の幼時の記憶。村のお秀婆樣からの傳授。又
村の子供達が夏の野などを行く時の蛇除けの文
句は斯う言ふ。
蛇ア居たら、
ガサガサ
大工殿の鐵火箸
赤く燒いてれ
打つけんぞツ
打つけんぞツ)
[やぶちゃん注:「茅萱畑(チガヤバタケ)」「茅萱」は単子葉植物綱イネ目イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindrica 。当該ウィキによれば、『かつて、茎葉は』、『乾燥させて屋根を葺くのに使い、また』、『成熟した柔らかな穂は』、『火打石で火をつけるときの火口(ほくち)に使われた』し、『乾燥した茎葉を梱包材とした例もある』とある。わざわざ畑に植えなくても、野原に繁茂するが(寧ろ、現在は厄介な雑草である。私はあの穂が大好きなのだが)、『尖った葉は、昔の日本で邪気を防ぐと信じられていて、魔除けとしても用いられた』。また、『この植物は分類学的にサトウキビ』(イネ科サトウキビ属サトウキビ Saccharum officinarum )『とも近縁で、根茎や茎などの植物体に糖分を蓄える性質があ』り、『外に顔を出す前の若い穂はツバナ』(茅花)『といって』、『噛むと』、『かすかな甘みがあって、昔は野で遊ぶ子供たちがおやつ代わりに噛んでいた』。『地下茎の新芽も食用となったことがある。万葉集にも穂を噛む記述があ』り、『日本では古くから親しまれ、古名はチ(茅)であり、花穂はチバナまたはツバナとも呼ばれ』、「古事記」や、既に述べた通り「万葉集」にも、その名が出ているとあり、現在では、『葉が赤くなる性質が強く出るものを』『園芸』として『栽培する例がある』ともあった。まあ、この場合の「茅萱畑」は、実際のチガヤを植えた「畑」ではなく、「茅萱の群生する野原」の謂いであろう。
「蕨(ワラビ)」シダ植物門シダ綱シダ目コバノイシカグマ科ワラビ属ワラビ亜種ワラビ Pteridium aquilinum subsp. japonicum 。私は好きな山野草の一つだが、近年は発癌物質を含むことで、人気が落ちた。ワラビはウィキの「ワラビ中毒」によれば、牛・馬・羊などの家畜などはワラビ摂取によって中毒を起こし、牛では重症化すると死亡することが知られ、ヒトの場合も中毒を起こすことがあり、『適切にアク抜きをせずに食べると』、『ビタミンB1を分解する酵素が』、『他の』摂餌した食物の『ビタミンB1を壊し、体がだるく』、『神経痛のような症状が生じ、脚気になる』場合『もある』。『一方、ワラビ及びゼンマイはビタミンB1を分解する酵素が含まれる事を利用して、精力を落とし』、『身を慎むために、喪に服する人や謹慎の身にある人、非妻帯者・単身赴任者、寺院の僧侶たちはこれを食べると良いとされてきた』とあり、また、発癌性も指摘されており、ウィキの「ワラビ」によれば、発癌物質とされる『プタキロサイド』(ptaquiloside)『はアクの部位に多いが、アク抜きしても発ガン性は残存』し、『ラットの発ガン率は、処理なし78.5%に対し、灰処理25%、重曹処理10%、塩蔵処理4.7%と低下はするものの』、『残存』することが証明されてはいる。
「アプラウンケンソワカ」「アビラウンケンソハカ」(アビラウンケンソワカ)が正しい。「阿毘羅吽欠蘇婆訶」で大日如来に祈る際の呪文(真言呪)。「アビラウンケン」はサンスクリット語の音写で、「地水火風空」を表わし、「蘇婆訶」は、同じ語の音写で、「成就」の意を表わす。]