佐々木喜善「聽耳草紙」 七五番 ココウ次郞
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
七五番 ココウ次郞
昔々ざつと昔、あつとこに爺と婆があつた。爺は池に棲んでゐる蟹に每日握飯をやつて、ココウ次郞と呼んでかわいがつて居た。ある日、婆が爺のいない間に蟹を喰べてやらうと思つて、握飯を拵へ、[やぶちゃん注:底本では行末で読点がないが、「ちくま文庫」版で補った。]池のふちへ行つてココウ次郞々々々々々と呼んだら、蟹がワサワサと澤山出て來たので、婆は殘らず網で掬《すく》つて喰つてしまつた。そして甲羅は爺に知れないやうに垣根の向ふさ投げ棄てた。そこへ爺が歸つて來て、婆や握飯コこしらへろと云つて、握飯を作らせ、池さ持つて行つて、いつものやうに、ココウ次郞々々々々々と呼んだが、蟹は一匹も出て來ない。何遍も呼んで見たが蟹は一向に姿を見せない。[やぶちゃん注:底本では行中で句点なく以下に繋がっているが、「ちくま文庫」版で補った。]爺は不思議に思つて每日池さ行つて何遍も呼んだが、そんでも蟹は出て來なかつた。ある日のこと樹の枝に烏(カラス)が一匹とまつて。
かあらは垣根
身は婆(バンバ)
と鳴いたので、爺が急いで垣根のとこさ行つて見たら、蟹の甲羅が澤山散らばつてゐた。
(仙臺地方の話。昭和五年四月五日、三原良吉氏
採集御報告の分の二。)
[やぶちゃん注:「ココウ次郞」は、当初、固い甲羅を持った蟹で「硬甲次郎」か? ふと思いついた。しかし「硬甲」の音は歴史的仮名遣「カウカフ」で合わない(但し、方言表記とすれば問題はない)こと、また、「池」とはあるが、これが仙台地方の海浜近くの語り話であるなら、池は汽水のそれかも知れず、純淡水産の蟹に限ることは出来ないし(そもそも、純淡水産の本邦に棲息する蟹は、唯一種類、日本固有種(北海道は除く)である十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目サワガニ上科サワガニ科サワガニ属 Geothelphusa (タイプ種サワガニ Geothelphusa dehaani )しか棲息せず、しかも彼らの甲羅は硬いとは到底言えず、本邦産のカニ類の中でも寧ろ柔らかい甲といえるので相応しくない)、則ち、硬い甲羅を持つとなると、純淡水産で池中に棲息するという条件ではちょっと厳しいことになるので、この語源は当たらない気がした(海浜近い池や、汽水の池となれば、まず、短尾下目イワガニ上科ベンケイガニ科クロベンケイガニ属ベンケイガニ Orisarma intermedium を筆頭として、複数上げることが出来る。それらの同定候補は、たまたま先日電子化した『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「南方雜記」パート 蟹嚙に就て』で考証してあるので見られたい)。そこで仕切り直して、リセットし、ネットを調べたところ、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」のこちらで、『「蟹」と「おじいさん」と「酒」がでてくる日本の昔話を読みたい』という質問の回答を見つけ、それを見ると、本書の本話が紹介されているが、ご覧の通り、「酒」は出てこない。ところが、その資料に、自館の電子蔵書目録資料を検索したところ、『「蟹の甲(原題・蟹こと爺さま―蟹の報恩)」という話が載って』おり、『爺のかわいがっているカニを婆が食べ、爺がさがしに行くと、捨ててあった蟹の甲羅に酒がたまっていた、という話である』また、別資料には、『「蟹の恩返し」という話が載っており、よく似た内容だが「酒」が出てこない。巻末の「話型対照表」より、「蟹の恩返し」は『日本昔話集成』の「蟹の甲」を見ると良いことが分かる。そこで』その『資料』の『「蟹の甲」を見ると、地域によって微妙な違いがあり、青森県三戸郡に伝わる話には「酒」が出てくることが分かる』とあった。本篇はまず、一読、結末に欠損が感じられ(何よりも、蟹を食った婆様を爺様はどうしたのかが気になる)、蟹の干からびた殻の山のアップという殺伐としたシーンで終わっている(蟹喰い婆は、蟹の背の鬼の如き形相の鬼婆にでも変ずるか)が、寧ろ、話しを少しでも明るくする向きが、「酒を湛えた甲羅」には見られる。すると、「ココウ次郞」とは、蟹を大事にして呉れた爺様への、あの世の蟹たちからの恩返しという異類報恩譚の様相とコーダを見ることが出来るのである。さすれば、これは結果した「孝行次郎」(歴史的仮名遣「かうかうじらう」)という意味の縮約・転訛ではあるまいか? と私は、一人、合点はしたのである。]
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