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2023/05/23

只野真葛 むかしばなし (65) /「むかしばなし 五」~始動

[やぶちゃん注:只野眞葛の「むかしばなし 五」の電子化注に入る。彼女については、私の「只野眞葛 いそづたひ」のブログ版、或いは、同縦書ルビ附PDF版の私の冒頭注、及びウィキの「只野真葛」を参照されたい(長男早逝の脱落以外はよく書けている)。

 本書は所持する現在の最新の校合テクスト(但し、新字体)である一九九四年国書刊行会刊の「江戸文庫 只野真葛集」(鈴木よね子校訂)所収の東北大学附属図書館医科分館蔵底本ものを用いたが、恣意的に漢字を概ね正字化し、読み易さを考え、句読点や記号を補い、適宜、段落・改行を成形した。また、殆ど読みがないので、底本の読みは《 》示し、甚だ難読或いは誤読し易しと判断した部分は、私が( )で読みを添えた踊り字「〱」は正字化した。【 】は原本の傍注・頭注・割注である(その違いはそこで示した)。ストイックに注を附した(纏めて段落の後に附したものの後は一行空けた)。標題などはないので、通し番号でソリッドな部分と判断した箇所で切って分割して示す。なお、疑問の箇所は、所持する底本は一九六九年三一書房刊「日本庶民生活史料集成 第八巻」所収の中山栄子氏校訂(正字版)と校合した(正字正仮名のこちらを底本としなかったのは、本篇には漢字の使用が少ないこと、大形本であるため、OCR読み込みに少し面倒であったからに過ぎない。また、個人サイト「伝承之蔵」で画像化されている「仙臺叢書」第九巻(仙台叢書刊行会編大正一四(一九二五)年九月刊)の「昔ばなし」(正字正仮名。底本明記がないが、底本と同一(以下に示した)と鈴木氏は推定されておられる)も参考にした。

 底本解説によれば、底本の親本は文化九(一八一二)年序で、文政二(一八一九)年筆写になる六巻三冊本の佐々城直知編「朴庵叢書」所収で東北大学附属図書館医科分館所蔵のものが使用されている。なお、標題は冒頭で「昔ばなし」と出るが、底本の総表題に従った。

 同じ鈴木氏の解説に従うと、本篇の執筆は真葛(本名あや子)が『仙台へ移ってから』(寛政九(一七九七)年あや子三十五歳の時に仙台藩上級家臣只野行義(つらよし ?~文化九(一八一二)年:通称、只野伊賀)と再婚することとなったが、その頃、行義の江戸定詰が終わっていた)『十四年後の文化八年辛未』(かのとひつじ)『(一八一一)、四十九歳の冬から書き始められ、翌年春』に『完成した』とされ、『当時』は、仙台藩江戸詰の医師であった父平助も、父が工藤家の将来を託した弟源四郎も亡くなっており、『工藤家は母方桑原』(くわはら)『家のいとこが養子になって相続していた』。当初の『執筆の動機は、母の思い出を妹のために書き残すためであった』『が、しだいに父の実家長井家や養家工藤家の先祖のこと、また工藤家と桑原家の紛争や、その原因として〆(しめ)という』『母方の』『叔父の乳母の怨念が書かれるようにな』り、『そして自分自身の江戸での思い出や聞き書き、さらに巻五・六で奥州での聞き書きも加わり、膨大な内容になっていく。そのうち』の『奥州での聞き書きは、後年『奥州ばなし』に発展する。なお、どうしたわけか系譜と相違し、母方祖父が孤児であったという話を書いている』とある。ここに出る実録怪奇談集「奥州ばなし」はこの前に本カテゴリ「只野真葛」で既に電子化注を終えている。]

 

昔ばなし 五

 

 貞山樣と申せし殿樣、京にて、よき「うづら」有(あり)しを、鳥屋(とりや)によらせられて、

「いかほど成(なる)。」

と、とわせ[やぶちゃん注:ママ。]られしに、鳥屋の男、

『是ぞ、高直(かうぢき)に申(まうす)べき時。』

とや思ひつらん、

「百兩なり。」

と、莫大の直(ぢき)、申上(まふしあげ)たりしを、聞(きか)せられて、

  立(たち)よりて

    きけばうづらの

   音(ね)はたかし

     さてもよくには

        ふけるものかな

と被ㇾ仰しを、きゝて、おほきに恥ぢまどひて、あたひ、なしに、奉りしとぞ。

[やぶちゃん注:和歌は二字下げベタだが、分ち書きとした。以下も同じ。

「貞山樣」かの仙台藩初代藩主伊達政宗の諡(おくりな)。]

一、此御家に富塚半兵衞といふ人、有り。親は歌人にて、おほく、よみたりしを、子なる半兵衞は、常には、よまねど、花の折(をり)、月見の夜など、題を賜われば、かたわならず、よみて出(いだ)せしを、人每(ひとごと)に、

「親の多くよみたるを見いでゝ、出すならん。」

と云(いひ)あへりし、とぞ。

 ある秋十五日、例の如く、よみて奉(たてまつり)しを、そこなる人の中よりいふ、

「そなたのいださるゝ歌は、今、考たるには、あらじ。親のよみ置(おき)しふる哥なるべし。」

と、いひしを、取あへず、其人の袖をひかへて、

  かゝる時

     おもゑぞいづる

    大江山

   ゆくのゝ道の

       とほきむかしを

といひし故によめる哥なる事、人々の、うたがひ、晴しとぞ。

[やぶちゃん注:歌の第三句目「ゆくに」の右に「いイニ」と振ってある。意味不詳。表は「幾(い)く野の道」の「意に」の意か。「日本庶民生活史料集成」にはないが、「仙臺叢書」第九巻(仙台叢書刊行会編大正一四(一九二五)年九月刊)版には、ある。]

 此人、一代、「をどけもの」にて、打向ひば[やぶちゃん注:ママ。]、おのづから、人の笑(わらひ)をふくませし、となり。しかつべらしく、云い[やぶちゃん注:ママ。]だせし顏付、いかばかりか、おかしからまし。

 極(きはめ)て貧なりしが、

「居屋舖(ゐやしき)の、圍(かこみ)、あれたり。」

とて、事を司どる役人より、度々、

「つくろへ。」

と、いはれし事ありしに、其いひいるゝ人も、したしく來かよふ中(なか)なりしが、御用むき故、しばしば、ことはりしなり。

 或時、其人の、きたりて、酒などのみし時、

  我宿の

    くものすがきも

   あらがきも

     貧のふるまひ

         かねてしるしも

と、かきて、出(いだ)せし、とぞ。

[やぶちゃん注:「富塚半兵衞」確かに伊達仙台藩にこの名の家臣がいる。但し、歴代名乗っているので、どの人物かは、私には判らない。]

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