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2023/05/21

譚海 卷之五 朝士平岩七之助殿家藏舊記の事

[やぶちゃん注:読点・記号を追加した。]

○平岩七之助殿と聞えし子孫、本所に住居(すまひ)也。其家に、七之助殿、年々の日記、自筆にて、しるしたるものを傳へたり、東照宮、御在世の時の日記にて、殊にめづらしきもの也。七之助殿、御側(おそば)にて、常に右筆(いうひつ)の役を勤られしゆゑ、筆まめにて、かく、日記も殘されけるにや、と、いへり。その日記は、半紙をはじめ、種々の紙をとぢあつめてかきたるもの也。反古(ほご)のうらなどに書(かか)れたるもあり、とぞ。又、七之助殿、陣中、帶せられし刀、有(あり)、長さ二尺餘(あまり)有(あり)て、みじかきものなれども、甚(はなはだ)大(おほい)なる刀にして、尋常の人の、もたるゝ物に、あらず、平岩氏、さのみ强力(がうりき)の聞えある人にもあらざりしが、希代のものなり。古人は、すべて、かやうなる物、多く帶(たい)せし事、有、人をきるべき爲(ため)のみにもあらず、たゝきふすほどの事なるべしと、いへり。

[やぶちゃん注:「平岩七之助」戦国時代から江戸初期の家康の幼い折りからの近臣(家康と同年齢)平岩親吉(ちかよし 天文一一(一五四二)年~慶長一六(一六一二)年)のこと。詳しくは、当該ウィキを読まれたいが、そこには、『親吉には嗣子がなかったため、平岩氏が断絶することを惜しんだ家康は、八男の松平仙千代を養嗣子として与えていたが、仙千代は慶長』五(一六〇〇)『年』『に早世した。ただし』、「徳川幕府家譜」では『親吉の養子になったのは、異母兄の松平松千代とある。如何に親吉が功臣としても、同母弟が後に御三家筆頭となる家系の兄を養子とするとは考えにくく、庶子の第二子である松千代の方が適当といえる』。『自身の死後、犬山藩の所領は義直に譲るように遺言していたといわれる。しかし家康は、親吉の家系が断絶することをあくまでも惜しみ、その昔、親吉との間に生まれたという噂のあった子を見つけ出し、平岩氏の所領を継がせようとした』が、『その子の母が親吉の子供ではないと固辞したため、大名家平岩氏は慶長』十六年の『親吉の死をもって断絶した(ただし、』「犬山藩史」では、『甥の平岩吉範が後を継いで元和』三(一六一七)『年』『まで支配したとされる)』。『親吉の一族衆の平岩氏庶家は尾張藩士となり』、『弓削衆と呼ばれた。また、江戸後期では姫路藩の家老職として存続し、現在でも兵庫県等で』、『その系統は続いている』とある。さて、では、本所に、当時、存命していた、『平岩直筆の日記を持つ平岩七之助殿と聞えし子孫』とは、一体、どの系統の子孫なのか? ちょっと、というか、かなり、怪しい感じがする。]

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