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2023/05/11

佐々木喜善「聽耳草紙」 七一番 猿と爺地藏(二話)

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

     七一番 猿と爺地藏

 

 或所に貧乏で小供の無い爺樣婆樣があつた。それでも澤山な畠を作つて、麥だの粟だのを每年多く穫(ト)つて喜んで居た。ところが或年、まだ麥や粟が實らない中《うち》に、山の猿や兎が來てみんな食つてしまつた。どんなに工風《くふう》して追つても追つても猿どもの方が賢(サカ)しくて、爺樣の手におへぬので、或日婆樣に白餅をこしらへさせて眞裸體になつて其れを體中に塗り着けて、地藏樣のやうな眞似をして畠に行つて、畠の傍らに座つて番をして居た。

 其日も山から猿どもがぞろぞろと下りて來た。そして爺樣がそんな風をして座つて居るのを見ると、一番の年寄猿が、やいやい此所に見た事の無い地藏樣が來て番をして居るから、此地藏樣を川向ふへ守(モ)り申してから、ゆつくり穗を食ふベアと言つて、猿どもが皆寄り集まつて手と手を組み合せて、其上に爺樣を乘せて斯《か》う云ふ歌を唄つて川を越して行つた。

   猿……

   地藏……

   ヤウヤラサン

   ヤウヤラサン……

 其時爺樣の體が少々傾いた。すると年寄猿が、やア地藏樣が轉びさうだ。早く千兩箱を持つて來て當てがへと言ふと、手下の猿どもが何所からか千兩箱を持つて來て、爺樣の膝の下に當てられた。すると又一方が傾(カシ)がつたら、それア今度は此方(コツチ)の方が曲(マガ)つたと言つて、又千兩箱を持つて來て當てがつた。そんな事をして川向ひの御堂に連れて行つて置いて、猿どもはまた元の畠に穀物の穗を食ひにぞろぞろと引ツ返して行つた。

 爺樣は其間に千兩箱を二つ引ツ擔《かつ》いで、さつさと家に歸つて、長者どんとなつた。

 此事を聞いた隣家の爺樣が、大層羨やましがつて、よしきた俺も一ツ地藏樣になつて隣家の爺々の眞似をやつて大金儲けをすべえと思つて、婆樣に白粉《おしろい》を練《ね》らせて體全體に塗つたぐり、自分の畠に行つて、山から猿どもの來るのを待つて居た。其時にも猿どもがぞろぞろと山から下りて來て、前の爺樣に言つた通りの事を言つて爺樣を川向ひに渡すことになつた。

 そこで猿どもが可笑しな歌を唄ふ時、隣家の爺樣がやつたやうに少々體を傾(カシ)げると、それアと言つて千兩箱を當てゝくれた。又少し傾げると千兩箱を當てがつてくれた。其時爺々は隣りは千兩箱二つだと言つたけが、どれ俺は三つ貰つてやれと思つて、前の方へ體を傾げると、それツ此所も傾げると言つて、前の方にも千兩箱を當てがつてくれた。其時擽《くす》ぐたくつて可笑しくなつて、いきなりあはははツはツと笑ひ出すと、猿どもは驚いて、組んで居た手をばらばらに離してしまつたので、爺々は川の中にどんぶりと落ちた。その上この爺奴、昨日も地藏樣に化けやがつて俺達から千兩箱を盜んだと言つて、大勢で爺の體を引ツ搔き廻して、ウソと泣かせて家に歸した。

 (秋田縣仙北郡角館町、高等科一年生の鈴木てい子

  氏、昭和四年某月某日の筆記摘要。武藤鐵城氏御

  報告の八。)

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。次の話でも同じ。]

 

     猿皮賣り(其の二)

 

 或所に爺婆があつた。爺は山にあらく(新畑)をきつた。秋になつて穀物の穗が實つた。すると奧山の猿どもが下(サ)がつて來て荒し散らして仕樣がなかつた。爺樣は猿追ひに大層おめをとつた(苦勞をした)。けれども追拂(オツパラ)ふことが出來なかつた。

 或日爺は婆樣に、婆樣々々、稈《わら》しとぎをこしらへてけ申(モ)さいぢやと言つて、稈しとぎを作つて貰つて、山畑へ持つて行つた。そして自分の體中にそれを二面に塗たぐつて、畠傍(《はた》ボトリ)に坐つて居た。

 其日も奧山の猿どもが多勢《おほぜい》山から下りて來たが、爺樣を見て、今日は畠の穀物を食ふよりは此の地藏樣でも向山(ムカヒヤマ)さ守り申《も》せと言つて、ズツパリ(多く)して手を組み合つて、其上に爺樣な乘せて谷川を渡つた。その時猿はかう唄つた。

   猿ぺのこ、よごすとも

   地藏ぺのこアよごすな……

 向山には御堂があつて其所に爺樣をば守り申した。そして猿どもは代《かは》り代《がは》りに爺樣の機嫌をとつた。すると爺樣が斯う言つた。これからお前だちは俺の言ふ事をきけ。男猿《をとこざる》は山さ行つて木を伐つて大槌《おほづち》をこしらえろ。女猿は町さ行つて布と針と糸を買つて來てそれで大袋をこしらえろ。えヘンえヘン。

 猿どもは直ぐに爺樣の言ふ通りにした。すると爺樣はまたお前だちは殘らずこの袋の中さ入(ハイ)ろと言つた。猿どもはぞろぞろとみんな袋の中に入つた。すると又爺樣は其袋の口を少し開けて、一匹々々と呼び出した。そして猿が袋の口から頭(アタマコ)を出すと直ぐ大槌で頭を撲《なぐ》つて一匹一匹殺した。そして皮や肉を町へ持つて行つて斯うフレ步いて賣つた。

   猿皮三十

   肉(ミ)は六十

   頭(カウベ)三百

   ハアちよん百

   ちよん百…

  さうして爺樣は俄《にわか》金持になつた。

  (大正十年の春頃、村の菊池梅乃と云ふ女房から
   聽いた。此人が、その祖母から聽いて覺えて居
   たものだと謂ふ。その老婆は橫懸のサセノ婆樣
   と言つて話識《はなしし》りの人であつた。)

[やぶちゃん注:「稈しとぎ」「しとぎ」は「粢・糈」と書き、本来は、水に浸した生米を搗き砕いて、種々の形に固めた食物を指す。神饌に用いるが、古代の米食法の一種とも言われ、後世には糯米(もちごめ)を蒸して、少し搗き、卵形に丸めたものをも指す。「しとぎもち」とも言う。しかし、ここでは「稈」(わら)と冠してあるので、本来は食用にならない穀類の藁(わら)を搗いて白粉状にしたものを指すようだ。]

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