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2023/05/06

佐々木喜善「聽耳草紙」 六六番 上の爺と下の爺

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

    六六番 上の爺と下の爺

 

 昔、上《かみ》の爺と下《しも》の爺とで川さ笯(ドツコ)かけをした。朝早く、上の爺が笯上げに行つて見ると、自分の笯の中には大きな木の根(ネツ)コが、ゴロゴロ入つてゐたので、ひどくゴセを燒いて、何だこんな根コきれツと言つて、それを下の爺の笯に投げ込んで、下の爺の笯に入つてゐた雜魚(ザツコ)をばみんな取つて持つて來た。

[やぶちゃん注:「笯(ドツコ)」「ど・うけ・うえ」或いは「ふせご(伏籠)」等と呼び、「筌」(うえ:音は「セン」)の漢字や呼称の方が知られる。水中に沈めて鰻などを捕らえる漁具で、竹・木・金属などで筒状或いはずんぐりした籠の形に作ったもの。。グーグル画像検索「筌」を見られたい。

「ゴセを燒いて」「腹を立てて」の意の東北方言。個人ブログ「わたしのくらし」の「東北の方言3」に、『河北新報』(平成二二(二〇一〇)年)十一月二十四日附の志村文隆氏の『とうほく 方言の泉』からとして、「ゴシャク(怒る)」について、『腹を立てることと相手を叱(しか)ること。怒る意味を持つ東北方言にゴセヲヤク(ごせを焼く)、ゴシャクがある。仙台弁でも活発に使われる。「何そったにゴシャでんのっしゃ(何をそんなに怒っているの)」。東北六県と北陸に分布が見られる。同じ意味でゴセガヤケル、ゴセッパラガヤケルの形もある』。『由来は謎に包まれている。ゴセは「後世」とする説が有力だが、「強情(ごうじょう)」が変化したとする見方など諸説があり、それによって「焼く」の意味もさまざまにとらえられる』。『最も古い出典をたどると、江戸時代前期の仙台方言集』「仙台言葉以呂波寄(いろはよせ)」(享保五(一七二〇)年)に『「こせかやける」が見られ、これ以降の用例も東北や北陸地方に限られている』とされ、『ゴセ(後世)とは仏教用語で生まれかわった世界、来世の安楽のこと。「怒ることは後世を焼くこと」との解釈に立てば、むやみに怒ることを戒めるような示唆にあふれたことばにも見えてくる』とあった。]

 其次に下の爺が笯上げに行つて見ると、自分の笯の中に大きな木の根コが入つてゐるから、あゝあゝこれでも天日《てんぴ》で乾かして置いて割つてクベルといゝもんだと言つて、拾ひ上げて家に持還《もちかへ》つて日向《ひなた》コさ干して置いた。さうしていゝ加減に乾いたから割つて見るベえと思つて、斧を持つて來て、ガツキリ、ガツキリと割ると、其根コの中で、

   爺樣

   靜かに割れツ

   爺樣

   靜かに割れツ

と云ふ聲がした。これア不思議なこともあるもんだと思つて、言はれる通りに靜かに割ると、中からメンコイ(可愛いらしい)小さな犬コが一匹出て來た。そこで爺樣は婆樣として、爐傍《ろばた》の木尻(キニシリ)に置いて大事にして育てた。

[やぶちゃん注:「木尻(キニシリ)」囲炉裏端の末席。横座(主人の座)の対面で、使用人などが座る座を言う。薪をここからくべるので、薪の尻が向くことから生じた呼称。]

 この犬コは、なんたらメゴカベアと言つて、カサコで御飯を喰はせればカサコだけ、今度はお椀で喰はせればお椀だけ、今度は手桶で喰はせれば手桶だけ、臼で喰はせれば其臼のやうに大きくおがつた。

[やぶちゃん注:「メゴカベア」「なんとまあ、可愛らしいなあ」の意であろう。

「カサコ」東北弁で「木の椀の蓋」や「木の小皿」「小さな椀」を指す。「かさっこ」。]

 其犬コが或時、爺樣々々今日は山さ鹿取りに行きますべと言つた。さうして爺樣の斧だの鎗《やり》だのお晝飯(ヒル)だのを俺に背負(シヨ)わせろと言ふから、否々(インニヤ)そんな物は俺が持つて行くからいゝと云ふと、いゝからつけろ、いゝからつけろと言ふから、そんな道具を犬コの背中に附けると、犬コは爺樣の先に立つて、チヨシコ、チヨシツコと山さ走せて行つた。そして爺樣さ[やぶちゃん注:「爺様さ」以下は犬の台詞。]

   彼方(アツチ)の鹿も此方(コツチ)ヤ來ウ

   此方(コツチ)の鹿も此方ヤ來ウ

と呼べと言ふから、爺樣がさう呼ぶと、彼方《あつち》の鹿も此方《こつち》の鹿も、みんなビングリ、ビンゲリと駈けて來たので、犬コはそれをみんな喰ツけアし(喰ひ殺し[やぶちゃん注:噛み殺し。])てしまつた。そして其鹿を犬と爺樣として背負ひ切れない程背負つて來て、町さ持つて行つて高く賣つて、赤い着物や米肴をたくさん買つて來て、爺婆して着つたり喰つたりして喜び繁昌ウして居た。

[やぶちゃん注:「ビングリ、ビンゲリ」鹿がホッピングするのをオノマトペイアしたものであろう。]

 上の家の婆樣はそれを見て、下の家の人達ナ、お前達ア何處からどうして、みんな美しウ衣物《きもの》を着たり米の飯を食つたりして居申《をりまう》せヤと言ふから、俺ア家の犬コを山さ連れて行つて、

   彼方(アツチ)のスガリも此方(コツチ)ヤ來ウ

   此方のスガリも此方ヤ來ウ

[やぶちゃん注:「スガリ」「すがり」は「すがる」で、歌語(「古今和歌集」・「山家集」に用例有り)で「鹿」を指す。これは「蜾蠃」で、元来は「蜂」、特に腰のくびれた「ジガバチ」(細腰(ハチ)亜目アナバチ科ジガバチ亜科ジガバチ族 Ammophilini の狩り蜂であるジガバチ類)を指し、これは古く「万葉集」に出るが、一説に、ジガバチのように腰が細いというところから、それを鹿に当てたともされる。さても、ここが眼目!]

 と呼ぶと、彼方の山の鹿も此方の山の鹿もビンゲリ、ビングリと駈けて來たから、それを殺して町さ持つて行つて賣つて、衣物だの米だのを買つて來たのシと言つた。すると婆樣は、あれアそれでア俺ア家の爺樣も鹿取りにやりたいから、其犬コを明日貸してケ申せヤと言つて連れて行つた。そして犬コが山さ行くべとも言はぬうちに首に繩を結び着けて、ムリムリ山へ引つ張つて行つて、

   彼方のスガリも此方ヤ來ウ

   此方のスガリも此方ヤ來ウ

 と呼ぶとさあ事だア、あちらのスガリもこちらのスガリも山中の蜂どもが、ガンガンと唸《うな》りながら飛んで來て、上の爺樣のケエツベ(睾丸)をさつぱり刺してしまつた。爺樣は雷樣《かみなりさま》のやうに怒つて犬コを打ツ殺して、コメの木の下に埋めて來た。

[やぶちゃん注:「ケエツベ(睾丸)」語源不詳。

「さつぱり」これは単なる推理だが、「さっぱり」は「全然」の意があり、現代でも、誤りであるが、盛んに慣用表現される「全然、いい」のような用法ではないか? 「すっかり」「しっかり」蜂に「さんざん」刺されたという言い方ではあるまいか?

「コメの木」Q&Aサイトのこちらで、アセビやムラサキシキブを挙げつつも、多数意見と判断されるのは、ムクロジ目ミツバウツギ科ミツバウツギ属ミツバウツギ Staphylea bumalda である旨の記載があった。]

 下の爺の家では上の爺樣が次の日になつても、メンコ犬コを返してくれぬので、行つて見ると、なに、犬ツあの犬のお蔭で俺アこんなに體中蜂に刺されて寢起きもロクロク出來ねえやうになつた。彼《あ》の畜生は打ツ殺してコメの木の下さ堀込《ほりこ》[やぶちゃん注:「堀」はママ。]んで來れアと上の爺は言つた。

 そこで下の爺樣は泣きながら、そのコメの木を伐つて來て、座敷の眞中にゴザを敷いて、木摺臼《きすりうす》を置き其上にコメの木を立てゝ、

   錢金(ゼニガネ)ア降れエバラバラツ

   米、酒ア降れエバラバラツ

 と言つてホロク(搖《ゆす》る)と眞實《まこと》に錢金や米や酒の入つた錫《すず》コなどが降つて來て、まアた長者どんになつて、米の飯を煑て食つたり酒コを飮んだりして居た。

[やぶちゃん注:「錫コ」は「錫子」か。思うに、錫製のものが多い「銚釐」(ちろり)様のものを指しているのではないか。中国から渡来した、酒を温めるのに用いる金属製の容器で、銀でも作る。やや尻つぼみになった円筒形で、注ぎ口と取手が付いている、現在でも酒の燗をつけるのに使われている。「銚子」。]

 其所へまた上の家の婆樣が來て、あれア、汝達(ヲンダチ)はまた米の飯だの酒コを飮んで居るア、ケナリ(羨ましい)事ケナリ事と言ふので、譯を言つて其のコメの木を貸して遣ると、上の家の爺婆は座敷の眞中にゴザを敷いて其上に其木を立てながら、

   牛(ベコ)の糞ア降れエベダベダア

   犬(イン)の糞ア降れエベダベダア

   猫(ニアゴ)ア糞ア降れエベダベダア

 と唱へると、眞實に牛や犬の汚い糞が座敷中一杯に降つて臭くて臭くて、迚も寄ツ着《つ》かれなかつた。上の爺樣はひどく怒つて其木をヘシ折つて竃ノロさクベてしまつた。

[やぶちゃん注:「寄ツ着かれなかつた」近くに寄ることも出来なかった。]

 次の日になつても上の爺樣がコメの木を返さないので下の爺樣が行つて見ると、上の爺は大變怒つて、何のコメの木、あれア糞ばかり降るのでヘシ折つて火さクベてしまつたと言つた。それでは其灰コでもいゝからと言つて、其灰コを持つて來た。そして夕方になつたから屋根の上へ登つて、

   雁(ガン)ア目(マナク)さ入れツ

   雁(ガン)ア目さ入れツ

 と呼んで其灰を蒔くと、恰度《ちやうど》其時空を飛んで通る雁々の目サ灰が入《はい》つて、雁々がぽたぽたと下へ落ちて來た。それを拾つて下の家では雁汁《がんじる》を煮て食つて居た。

 其所へまた上の家の婆樣が來て、あれア汝達はケナリこと、何處から其んな雁を捕つて來て、雁汁など煮て食つて居申せヤと言つた。そして譯を聞いて、それでア俺家の爺樣にも雁を取らせるから、其灰コを貸せと言つて持つて行つた。そして上の爺樣は雪隱《せつちん》の屋根に上つて、

   爺々(ヂンヂ)ア眼さ入れツ

   爺々ア眼さ入れツ

 と呼んで灰を蒔くと、ほんとう[やぶちゃん注:ママ。]に爺樣の眼に灰が入つて、目が見えなくなつて、屋根の上からゴロゴロと轉がり落ちた。下で棒を持つて雁が落ちるのを待ち構へて居た婆樣は、それア大きな雁が落ちて來たアと言つて爺々を棒で叩き殺して、大きな鍋に入れて煮てしまつた。

[やぶちゃん注:最後が、なかなか――クる――ものがある。]

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