佐々木喜善「聽耳草紙」 八三番 狐と獅子
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
八三番 狐と獅子
或時、日本の狐が唐(カラ)に渡つて住んで居つた事があつた。或日山の獸だの野原の獸だのが大勢寄合ひをして、各々(メイメイ)に自慢話をおツ初めた。大勢の獸どもががやがやと話すのを、獅子が聽いてうるさそうな顏つきをして、誰がなんて言つたつて世界中で俺にかなう者はあるまい。俺が一聲唸れば十里四方が大地震で、それや人間の家の鍋だの釜が殘らず引繰(ヒツク)り返つてしまうんだぞ、おフフン、と言ふと、威張屋の虎が、でも親方、俺の千里の藪の一走りツてのの眞似はできなかんべえと言つた。
それを聽いて目本から行つて居た狐が、ははア斯《か》う言つては何だけれど、いくら獅子親方だつて虎兄貴だつて俺の手業(テワザ)にや及ぶまいと言ふと、虎は怒つて、そんだら俺と千里の藪を走《は》せ較(クラ)べしてみろと言ふ。よかんベアと言つて虎と狐とは走せ較べをした。いつの間にか狐は虎の背中に飛び乘つて居たもんだで、千里の藪の果てに着く間際に、ブンと背中からブツ飛んで狐が三間[やぶちゃん注:五・四五メートル。]ばかり前に出たので、虎の負けになつた。そこで狐は大威張りでみんなの所へ戾つて來た。
獅子はその態《さま》を見てひどく怒つて、この小獸め、俺樣の唸り聲でも聽いて頭(カラコベ)でも打(ブ)ツ割れツと言つて、ウワワワワアと唸つたけれども、其時には逸速《いちはや》く狐は土の中の穴に入つて居たので、平氣で、親方お前は噂に聽くとはテンカ(天)とウンカ(小蟲)ぐれえ違つて居る。俺アいゝ心持ちでうとうとして睡氣(ネム《け》)さして聽いて居たと言ふと、獅子はカンカンに怒つて此下者これでも聽いてくたばれ(死ね)ツと言つて、ワオアツと總體の力を打ツ込めて吠えると、勢いが餘つてスポンと首が拔けて吹ツ飛んだ。
狐は笑ひながら其の獅子の首を背負(セオ)つて日本に歸つて來た。唐に居ては後の祟り(タタリ)が怖(オツカナ)かつたからである。其時の獅子の首は今でも祭禮の時にかぶつて步くあれである。
(和賀郡黑澤尻町邊の話。村田幸之助氏の御報告の
分の一。)
[やぶちゃん注:本話の前半は「戦国策」の「楚策」のそれで知られる「虎の威を借る狐」を借りた話譚であろう。後半は、獅子舞いの被り物の伝来由来譚として面白い。無論、中国には獅子のモデルであるライオンはいないのだが、それがまた、本邦の岩手に伝承されているというのが、フォークロアの異界と通底していて、やはり、面白いではないか。
「和賀郡黑澤尻町」現在、岩手県北上市黒沢尻(グーグル・マップ・データ)があるが、旧町域は遙かに広い。「ひなたGPS」の戦前の地図を確認されたい。]
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