佐々木喜善「聽耳草紙」 六一番 雪姬
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
六一番 雪姬
或所に、大變な地所や下人を持つた長者があつた。下男下婢の數は三百六十五人、恰度《ちやうど》一年の月日の數程《かずほど》あつたので、一日休ませると、丁度一年休んだことになると言つて雨風を咀ふ[やぶちゃん注:ママ。「のろふ」で「詛」の誤字か誤植である。「ちくま文庫」版に『詛(のろ)う』とある。]位《くらゐ》貪婪《どんらん》であつた。長者の妻女が、或年火難に遭つて家屋(イヘ)倉《くら》を悉く失(ナク)してしまつたので、あまり悲嘆したあげく氣が狂つて、お庭の池に身を投げた。すると忽ち髮が振り亂れ口は耳の根まで引裂けて、額に角の二本生えた蛇體になつた。そして其邊で、アレアレと言つて立ち騷ぐ人々を取つて食つた。其後其池を廣めて棲居《すみか》としたが、或時池の中から大きな聲で村中に聞えるやうに斯《か》う叫んだ。
一年に一人宛《づつ》
良い娘を喰(ク)はせねアごつたら
此所邊(コヽヘラ)中《ぢゆう》泥の海に
してしもウぞツ
それからと謂ふものは、其村では一年に一人づつの娘を、池の主《ぬし》に生贄(イケニエ)に供へなくてはならなくなつた。若しそれを守らないと鄕《さと》一體が泥の海にされる筈だつた。ところが或年に鄕の豪家の一人娘の順番になつた。其家ではひどく嘆いて、娘の代理に立つ者を諸々方々《しよしよはうばう》の村々に人を出して探させた。
一人の使者(ツカヒ)が、生贄になる娘を尋ねて或山中に差しかゝつた。そしてあまり疲れたので谷間の一軒家に立寄り、少々憩《やす》ませて貰ひたいと言つて入つて行くと、其家に母娘の者が二人ツきりで[やぶちゃん注:底本は「きりて」。「ちくま文庫」版で訂した。]住んで居た。そして心よく使者(ツカヒ)を憩ませた。使者がよく見ると、娘の美しいことは、世に類ひ[やぶちゃん注:ママ。]ないほどであつた。そこで娘さんの名は何と言ひますかと訊ねると、母親はこれは雪姬と云ふ子だますと言つた。使者はこの娘なら主人の愛娘《まなむすめ》の身代りにしても恥かしくないと思つて、自分の役目を其所で打明けた。さうして俺はさう謂ふ人買ひいである。私にこの娘御を賣つてくれぬか、代價は黃金を山に積もうと言つた。雪姬はそれを聽いて、はい私でよければ買はれて行きますと言つた。そして嘆く母親を慰めて、暫時(シバラク)の間の別れだから決して心配しないで居《ゐ》てがんせ、私は用がすんだら直ぐ歸つて來ますからと言つて、その人買ひと一緖に家を出て行つた。
長者の家では、雪姬を見て、お前のお蔭で一人娘の生命《いのち》が助かると言つて非常に喜んだ。そして雪姬は村の人達に見送られて、池のほとりの櫓《やぐら》の上に登つた。大蛇は雪姬の影が水に映(サ)すのを見て、水の上に體を現はし、只一口に雪姬を呑まうとした。その時雪姬はアアこれこれ魔神(マシン)のものしばらく待てツと言つて、何やら御經を口の中で誦(ヨ)んだ。すると今までの恐しい形相《ぎやうさう》の蛇體から額の角がポロリポロリと滴(コボ)れ落ち、鱗の生へた顏が梅ノ花(ハナコ)のやうに美しくなつた。そして元の長者の妻女の姿に返つて淚を流して、雪姬の前に伏して厚く御禮を言つた。それから村の態(サマ)も昔通りの靜かな里となつた。
雪姬は長者からは餘分の黃金を貰ひ、また蛇體であつた妻女からも、御禮だと言つて、寶《たから》ノ珠《たま》を貰つて、元の山中の母親の許へ歸つて來た。家へ還つて見ると、戀しい母は居ないで後(ウシロ)の山の方で、
雪姬戀しいぢやホウイ
雪姬戀しいぢやホウイ
と叫ぶ聲がした。雪姬は泣きたくなつて後(ウシロ)の山へ走つて行つて見ると、母は娘戀しさに目を泣き潰して盲目となつて、鳥《とり》コを追つてゐた。
雪姬は[やぶちゃん注:「は」は底本では脱字。「ちくま文庫」版で補った。]貰つて來た寶珠《はうしゆ》で潰れた母親の目をコスルと眼が開いた。母親は喜んで家に還つた。さうして長者どんから貰つた黃金で一生豐かに暮した。
(大正三年頃、岩手郡瀧澤《たきざは》村で小學校敎員をして居《を》られた武田彩月兄《けい》からの報告に據るその三。別に村の大洞犬松爺が話した「蓑笠の始まり」と謂ふのには、或所の長者が、家來下男を三百六十五人使つて居《を》つた。其多くの召使人を寢《ねか》せる時は一本の長い材木を枕にさせて置いて、朝未明に其端を大槌でどンと打つて皆を起した。又その當時は十日に一度の雨降りがあつたが、一日休ませると一年の月日を休ませたと同じだといつて、その家のお内儀(カア)樣は蓑笠といふ物を工風《くふう》して、それを下人に被《かぶ》せて雨天でも野良へ働きに出した。そんなことから神樣が怒つて、月に三度ではなく不規則に雨を降らせるやうになつたとも謂ふてゐる。)
[やぶちゃん注:最後の附記は以上の通り長いので、全体が二字下げポイント落ちであるが、読み難くなるだけなので、冒頭も引き上げ、全体を本文と同ポイントで示した。
「岩手郡瀧澤村」「ひなたGPS」の戦前の地図でここ。盛岡の北西の現在の岩手県滝沢市。]
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