佐々木喜善「聽耳草紙」 六〇番 お菊の水
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
六〇番 お菊の水
紫波郡片寄《かたよせ》村中曾根屋敷に十兵衞と云ふ狩獵の名人があつた。荒熊を手取りにしたり、五郞沼の大蛇を打ち殺したりする程の剛《かう》の者であつた。或時孕《はら》んだ猿に出會《でくは》して鐵砲を差し向けて、猿が淚を流し手を合はせて拜むのを擊ち殺して家へ持つて還つた。其時懷姙中であつた女房は其猿のことを痛く嘆いていたが、やがて產月《うみづき》が來て生んだのが熊の手足に猿の顏の子供であつた。そんな奇怪な子供を三度も續けて生んだが、四度目に生れたのが玉のやうな女の子であつた。夫婦は喜んでお菊と名をつけて可愛がつて居た。
お菊は二十一の齡(トシ)になつた。降るやうに方々から申込まれる緣談などは耳にも入れなかつた。そして或日父親に向つて、
雨と降らせて行くべか
風を吹かせて行くべか
と言つた。そして必ず必ず妾《わらは》の室を覗いて見てはなりませんと言つた。
父親は娘の言葉を不審に思つて、堅く々々覗いて見るなと言はれた娘の室を覗いて見ると、十六の角(ツノ)をさゝえた大蛇が長持(ナガモチ)を卷いて播踞(ウヅクマ)つていた[やぶちゃん注:「播」はママ。「蟠」の誤記か誤植。]。あうして父親に言葉をかけた。妾は元は五郞沼の主《ぬし》のお前に殺された大蛇である。どうかしてその怨恨(ウラミ)を晴らさうと思つて、母の胎内を借りて人間と生れて來たけれども養育の恩に感じて恨みも罪も忘れてしまつた。正體を見られた上は親子の緣もすでにこれまでであると嘆いて、長持から一個の珠(タマ)を取り出して父親に與へた。
此玉にむかつて妾の名前を呼んだら、何時でも妾は今までの姿となつて現はれませう、亦若し父樣に飢渴の苦しみがある時には、この玉を嘗《な》めて居てクナさい。これから妾は隣國の仙臺領東山ホロハ山《さん》の麓の深谷《ふかだに》を棲家として身を隱しましせうと言ひ棄てゝ、大暴風雨を起して飛び去つた。
然しながら保呂羽山の麓の大權現に恐れて、その深谷には入れず、道を轉じて南小梨《みなみこなし》のマタカの堤に移つた。それでも、また神樣達の怒りに觸れ、雷神が頻りに祟るので止むなく北小梨川へ飛び込んで、橋を流したり堤を破つたりして川を下つた。其のために黃海《きのみ》などは海のやうになつた。そして大蛇は追はれに追はれて遂に北上川に入つたが、そこで雷神に打たれて七裂(サキ)八裂(サキ)にされてしまつた。此時の大洪水は寬政三年十月十六日の大暴風雨で、お菊の水と云つたと謂ふ。
(千葉亞夫氏御報告の二。大正十二年秋の頃。)
[やぶちゃん注:この手の龍蛇の人に変じた伝承で、コーダに実際の年月日まで登場するというのは、その洪水被害を後世に記憶させる大事なポイントとして機能していることは言うまでもない。寬政三年十月十六日は、グレゴリオ暦一七九一年十一月十一日である。
「紫波郡片寄村中曾根屋敷」現在の岩手県紫波郡紫波町(しわちょう)片寄(かたよせ:グーグル・マップ・データ航空写真)。西部が山間に繋がる。また、同地区には小字名を「鍛冶屋敷」とするものが残っている。「ひなたGPS」の戦前の地図では、「中曾根屋敷」或いは「中曾根」はなかったが、同地区に「萩屋敷」の地名(現行もある)を見出せる。
「五郞沼」片寄の東直近の紫波町南日詰(みなみひづめ)箱清水(はこしみず)のここに現存する。岩手県観光ポータルサイト「いわての旅」の「観光スポット」のこちらに、『平泉・藤原氏初代清衡の孫、樋爪太郎俊衡が建立した樋爪館跡の南にある五郎沼は、春は桜、冬は白鳥が飛来し訪れる人を楽しませています』。七『月には駐車場隣の蓮池で、中尊寺で泰衡の首桶から見つかった種を復活させた古代蓮(中尊寺ハス)が美しい花を咲かせます。東岸には、昔、度重なる沼の堤防決壊を食い止めるために人柱にされた女性の泣き声がするという伝説のある夜泣石と呼ばれる石碑があります』とあり、或いは、この「五郎沼経塚跡」というのが、それに関連するのかも知れない。而して、この奇怪な話は、実はおぞましい女人の人柱伝承を内に隠したものであるとなら、クレジット明記というのも甚だ納得出来るのである。
「仙臺領東山ホロハ山」「保呂羽山」現在の宮城県本吉(もとよし)郡南三陸町(みなみさんりくちょう)志津川上保呂毛(しづがわかみほろけ)にある保呂羽山(ほろわさん)。標高三百七十二メートル。山頂からは、東方に南三陸金華山国定公園に含まれる志津川湾を一望の下に見渡せる。本話では「麓」とあるが、山頂に「保呂羽権現」が、非常に古くから祀られてきている。
「南小梨のマタカの堤」「南小梨」川は岩手県一関市を流れる(グーグル・マップ・データ。以下、同じ)。
「北小梨川」不詳。但し、前の南小梨川の位置関係からは、太平川(おおだいらがわ)がそれの旧川名のように思われる。
「黃海」南小梨川・太平川の原水系である一関市の黄海川(きうみがわ)。
「千葉亞夫」同じ水怪伝承の「一四番 淵の主と山伏」の報告者。]