大手拓次 「風の言葉」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』以後(昭和期)』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正一五・昭和元(一九二六)年から昭和八(一九三三)年までの、数えで『拓次三九歳から死の前年、すなわち四六歳までの作品、四九四篇中の五六篇』を選ばれたものとある。そこから原則(最後に例外有り)、詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ。この時期については、本パートの初回の私の冒頭注を参照されたい。]
風の言葉
こは自らの影を帝王切開するの歌にして
無限の實在たる神の意識へ昇華せむとす
るわが最初にして最後の里程標なり
秋の日は 眼をとぢ、
風は みえがくれに わたしの心を 追つてきたのだ。
風は ながれの枝をふりかざして、
うなだれた わたしの心を むちうつのだ。
風は みづにおぼれた銀色の言葉をもつて、
ゆれてゐる わたしの心を さそふのだ。
風は おちちる ひとひらの木の葉をもつて、
地にふしてゐる わたしの心に よりそふのだ。
しろざめて すぎゆく風は
そのおとづれもなく ひかりのはねにかくれて、
わたしの さだめない心の月を おびやかす。
風は 微笑の丘をきずつけて めぐり、
うつうつとした うまれない花の幻を うばふのだ。
風は ところもあらず しろいかげをよびかはし、
まよひゆく ひとみのやうな大空をゑがくのだ。
風は とぎれとぎれに はなれゆき、
すがたもない 心のたそがれを みおくるのだ。
風の脚は くさのあひだに いざよひ、
また みづのおもてに 眠り、
はつるところなく その波立てる小徑(こみち)をあゆみ、
うすぐもる 黃金の鐘を 鳴らすのだ。

