宇野浩二 「龍介の天上」 / 異本底本二ヴァージョン同時電子化
[やぶちゃん注:以下は、宇野浩二(明治二四(一八九一)年~昭和三六(一九六一)年)が後に盟友となる芥川龍之介と知り合った(大正八(一九一九)年七月二十八日、江口渙の「赤い矢帆」出版記念会で龍之介は発起人の一人で、宇野は江口と旧知であった。当時、宇野二十八歳、龍之介二十七歳)、その僅か三ヶ月後の大正八年十一月に発表した童話「龍介の天上」(「りゆうすけのてんじやう」)の異本底本二ヴァージョンである。ネット上では電子化されていない模様である。
増田周子(ちかこ)氏の「宇野浩二童話目録」(『千里山文學論集』五十一巻所収・関西大学大学院文学研究科院生協議会出版・一九九四年三月発行・「関西大学学術リポジトリ」のこちらからPDFでダウン・ロード可能)によれば、本作は雑誌『解放』の大正八年十一月一日発行)第一巻第六号に載ったものが初出であるが、その初出には、「付記」があって、
*
右はオランダ國の詩人、ラメエ、デタの著すところ「日本童話集」の中から、飜譯したものである。デタは幾多の詩集及び小說集の著者だと聞いてゐるが自分はまだそれ等を讀む機會を得ない。一はそれ等の英譯書がないからでもある。こゝに揭げた「龍介の天上」原名「鼻」は先に揭げた英譯書からの重譯で、所々固有名詞などは讀者の頭に入りよいやうにとの老婆心から、譯者が任意に變へたところもあることを斷つておく。尙デタの右の書物の中には、此の外色々興味の深い小說があるが、その中[やぶちゃん注:「うち」。]時々譯して讀者の淸鑑に資するつもりである。(譯者)
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とあった(原雑誌を私は確認出来ないが、以上の引用は正しく歴史的仮名遣で記されてあるので、初出「付記」に近づけるため、恣意的に漢字を正字化した)。
さて。まず、
■第一番目のヴァージョンの底本は、童話の体裁をしっかり保持した、
国立国会図書館デジタルコレクションの宇野浩二の本篇を書名とした単行本童話集『龍介の天上』(敗戦後の昭和二一(一九四六)年弘文社刊)の正字正仮名の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちら(リンク先は本文開始冒頭。挿絵が左ページにある。但し、この挿絵は最終シークエンスのものである。標題ページは前のここ)
を使用した。
太字は底本では傍点「﹅」である。漢数字を除いて総てにルビ(但し、これを一般に「総ルビ」と称する)附されてあるが、五月蠅いだけなので、示した方が躓かないと判断した箇所にのみ、読みを附した。踊り字「〲」(ルビにのみある)は生理的に嫌いなので正字で示した。
なお、一部、改行かどうかが物理的に判断出来ない箇所が一箇所あり、それは前後の表現様式から改行し、地の文内で改行しているにも関わらず、次行で一字空けがない箇所一箇所は、不自然なだけであるから、私の判断で一字下げを行った。また、直接話法の一箇所が文末に句読点等がなかったが、ここは句点よりも以前のシークエンスに徵して、口の中での唱えであっても、「!」であるべきでところと私は判断し、それらは特に注を入れぬが、底本と比べて戴ければ、判る。而して、この一番目の改行と、三番目の「!」は、電子化終了後に発見した以下に示した宇野の全集所載の、初出直後に書き変えたもので確認することが出來、私の判断した改行と「!」とになっていることが確認出来た。但し、二つめの改行はそちらでは、改行せずに続けているのであるが、私は底本の童話集を読んだ子どもたちの立場に立って、それに従わずに一字空け改行のままとして変更しないこととした。
ところが、以上を電子化した後に、改めて国立国会図書館デジタルコレクションを調べたところ、表記と内容が異なるものを(正字正仮名の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらに見出した。それが、
■第二番とした電子化ヴァージョンは『宇野浩二全集』第九巻(昭和四五(一九六九)年中央公論社刊)の正字正仮名の同名異稿
である。こちらは、第一ヴァージョンとは異なり、ルビが殆んどなく、漢字表記を格段に多く、表現にも異同が有意に見られ、特にコーダが異なる別ヴァージョンなのである。これは、同全集の「あとがき」によれば、大正九年一月聚英閣刊の単行本『海の夢山の夢』(他の資料で調べたところ、宇野の別な童話集の一冊で、一月十八日発行であるから、本篇初出から一月半後のことである)を底本としているとあるが、ルビが殆んどない点で、底本通りではないだろう。この状態では子供は読めないからである。いや、実は、これは童話の形を借りた、実際には、秘かに大人の読者をターゲットとして書かれたものであることが判然としてくるであろう。本ヴァージョンは、結末部分が大きく異なる点で、無視出来ないものであり、実は、時期的に見て、これこそが、或いは本篇の初出形に最も近い内容である可能性が高いと思われるので、煩を厭わず、後に続けて電子化した。
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さて。実はいろいろと述べたいこと(種明かし)はあるのだが、読み始めると、まんず、芥川龍之介好き(宇野浩二ではない)の方なら、この話、何だか、モヤモヤしてくるに決まってる。……それらについては、二種のテクストを示した後、一番、最後に種明かしをすることと致そう。……まずは、まず、童話を、お楽しみあれかし!]
■単行本童話集『龍介の天上』(昭和二一(一九四六)年弘文社刊)所収版
龍 介 の 天 上
一
今は昔、あるところに、龍介といふ、大へんいたづらずきな男がすんでゐました。
龍介は、兩親には早く死にわかれたのですが、わづかながら財產を殘されましたので、別にこれといふしごともせずに、年中あそんでくらしてゐました。ですから、なほのこと、いたづらすることばかり考へてゐました。
けれども、毎日のことですから、しまひにはそのいたづらの種もつきてしまひまして、なにもすることがなくて、退屈で退屈でこまつてゐました。
ところが、ある日のこと、龍介は何かいたづらの種はないかと思つて、押入の中をかきさがしてゐますと、ふと片すみにへんな小箱があるのが目に止まりましたので、明けて見ますと、中に古ぼけた小さなつちがはひつてゐました。
「何だらう?」と思つて、しばらく首をかしげてゐましたが、やがて龍介は思はず膝をたたいて、
「これはいいものが見つかつた!」と喜びました。
それは彼の父の金助(きんすけ)が死ぬときに、
「この中には小さなつちがはひつてゐる。これは家(うち)の大事な寶(たから)だからむやみに人に見せてはいけない。またお前もこれは一生に一度しか使つてはならないよ。だが、とにかく、その使ひ方を敎へておかう……」
といつて、金助がせつめいするには、これはまことふしぎなつちで、たれか人に向つてこれを振りながら、こちらの思ふ高さになるまで、
「あの人の鼻高くなれ!」
ととなへると、その人の鼻がいくらでも高くなるし、また
「その人の鼻低くなれ!」
といふと、その人の鼻がいくらでもつちを振つてゐる間(あひだ)は低くなるといふのでした。
龍介は、今それを思ひ出しますと、根がいたづらずきな上に、每日退屈でこまつてゐた時ですから、
「どうせ、人間は生身のからだだ。いつなんどき死ぬかも知れないのだから、さつそく使つてやらう。」
と、かう思ひ立ました。
ちやうど、その翌日が村のお祭で、鎭守のけいだいに芝居がかかりましたので、彼はそつとその小づちをふところにして、何食はぬ顏をして、けんぶつに出かけました。
見ると、龍介のすぐそばのせきに、おともの女中を三四人もつれた、それはそれはきれいな娘が、同じやうに見物に來てゐました。
これは、きつとよほどよい家(うち)の娘にちがひないとは、たれが見ても思はれました。
そこで、「同じためすなら、こんな娘に一つためしてやらう。」と思ひつきましたので、龍介はそつとふところから例の小づちを取り出しまして、誰(たれ)にも氣がつかれぬやうに、
「この娘の鼻高くなれ!」
と口の中でとなへて見ました。
すると、思つたとほり、そのきれいな娘の鼻が、見る見るうちに高くなつて行きました。
面白いので、龍介はてうしに乘つて、いつまでも小づちを振りながら、
「この娘の鼻もつとのびろ、もつとのびろ!」
と口の中でとなへつづけました。ところが、娘の鼻は、ずんずんのびて行つて、たうとう向ふの舞臺の背景につかへてしまひました。
當人(たうにん)の娘はいふまでもありませんが、大ぜいの見物人も、みなみな目を見はつて、
「おやおや、あの肉の柱(はしら)のやうなものは、あれは一たいなんだらう?」
と口々(くちぐち)にさけびながら、よく見ますと、その柱の根もとが、きれいな娘の鼻なのですから、びつくりしてしまひました。
そのうちに、舞臺でしばゐをしてゐた役者たちも、しばゐが出來なくなつたものですから、さわぎ出しました。
しかし、どうにも手のつけやうがありません。
そのうちに、娘の家(うち)に知らせにゆく者なぞがありしたので、家(うち)からはお醫者やら、人足(にんそく)やらがかけつけて來ました。さうして、やつとのことで、まるで神輿(みこし)をかつぐほどの人數(にんず)で、大の男が大(おほ)ぜいよつて、その鼻をかついで娘を家(いへ)へつれてかへることになりました。[やぶちゃん注:「人足」はこの場合、この豪家に、常時、雇われている、主に荷物の運搬や普請などの力仕事に従事している人夫を指すのであろう。]
いつの間(ま)にか、それを聞きつたへてあつまつて來た人人(ひとびと)で、娘のとほる道すぢは、けが人が出來(でき)るほどのさわぎでした。
娘ははづかしいやら、苦しいやらで、氣をうしなつてしまひました。
やがて、やうやうのことで娘を家(うち)につれて歸りましたが、門(もん)をくぐるのにも、げんくわんを通るのにも、なかなかてまが取れました。それに、今までのやうに、四疊半(でふはん)の部屋では、鼻だけでもはひりきれませんので、幾間(いくま)も部屋をあけはなして、やうやうのことで橫向きに娘をねかしました。
それから、村の醫者はいふにおよばず、方々(はうばう)の村々、遠方の町々から、呼べるだけのお醫者を呼んで、なんとかちれうをしてくれと賴みましたが、どの醫者もどの醫者も、
「こんなふしぎな病氣は、今まで話にも聞いたことがありません。どんな本を見ても、こんな病氣のことは出てゐません。いくらお禮をいただいても、私どもに手の下(くだ)しやうがありません。」
といひました。
さういふわけで、どうにも手のつけやうがなく、家中(うちぢゆう)の者はただうろうろとしてゐるばかりでした。
兩親はいふにおよばず、あつまつて來たしんるゐの人たちも、途方にくれて、泣いてゐるばかりでした。
そのうちに、氣つけぐすりだけはきゝましたので、きぜつしてゐた娘はやつと正氣にかへりましたが、そのために、娘はなほのこと、はづかしいのと、苦しいのとで、一晩ぢゆう泣きつづけました。
すると、その翌朝(よくあさ)のことでした。おもての通(とほり)を、
「どんななんびやうでも、ちれうするまじなひ! まじなひ!」
と呼びながら、りつぱな房(ふさ)のついた、そのくせ小さな、古ぼけたつちをふりながら、通る男がありましたので、なんでもためしに呼んで見ようといふので、さつそくその男をむかへました。
その男とは、いふまでもなく、いたづら者の龍介であります。
龍介はさつそく病室に通されますと、しさいらしく病人をしんさつするまねをしてから、
「これはめづらしい病氣です。が、御安心なさい。きつと私(わたくし)がなほして上げます。」
と、いかにもえらさうにいひました。
「なほりますか?」
と娘の親は、うれしさに、とび立つやうな聲を上げて、
「もしなほりましたら、娘はあなたにさし上げませう。また、あなたがおひとり身なら、どうぞ娘のむこになつて下さい。そして、この家(うち)の後(あと)をとつて下さい!」といひました。
そこで、龍介はもつたいをつけて、長い間、口の中ででたらめのおまじなひのやうなことを唱(とな)へてから、れいの小づちを手に持つて、それをうやうやしくふりながら、口の中で人には聞えぬやうに、
「この娘の鼻低くなれ、低くなれ!」
といひますと、さしもの長い鼻が、しだいしだいに低くなつて、わけなくもとの通りになりました。
娘はいふまでもなく、兩親の喜びは口でいへないほどでした。
そこで約束どほり、龍介はその娘のむこになって、まんまとその家の若主人(わかしゆじん)となることになりました。
で、さつそく、今まで、娘の鼻のために、ぶツ通しにあけてあつた部屋を式場にして、そこに赤いまうせんをしくやら、床の間に花をいけるやら、金びやうぶを立てるやら、大さわぎをして、めでたいこんれいの式をあげました。
二
さて、なにをいふにも、龍介はその家(うち)の一人娘の命(いのち)の親(おや)のやうな者ですから、一家(か)の人人(ひとびと)に大へん大事にされましたので、今までよりももつともつときらくな身分になりました。それとともに、からだがますますひまになりましたので、性來(しやうらい)のいたづらずきな龍介には、まつたくもつてこいの身分なのでした。
それにこの家(うち)は、近在(きんざい)での、第一番の物持(ものもち)でしたから、したいはうだいのことが出來るわけで、又どんなことをしても、けつして誰(たれ)もしかるものはありませんでした。
それといふのも、みな死んだ父の金助がのこしてくれた、あの寶の小づちのおかげだと思ふと、龍介はつくつく父の金助をありがたいと思ひました。
が、また、一生に一度しか使つてはいけないといふゆゐごんを思ひ出しますと、ふふくでなりませんでした。もう自分が生きてゐるうちに、あれが使へないのかと思ふと、なんだか使つてしまつたのを、後悔するやうな氣にさへなりました。[やぶちゃん注:「ゆゐごん」戦前には、この歴史的仮名遣が通用していたが、現在は歴史的仮名遣としても「ゆいごん」が正しいとされている。]
それにしても、いくらしたいはうだいのいたづら出來る身分なつたとはいひながら、すぐそのいたづらの種がつきてしまひましたので、また前のやうな退屈な日を送らねばならなくなりました。
秋とはいひながら、じこうはまだ夏のとほりで、朝から家(うち)の中が暑くてたまりませんので、龍介は、庭のふんすゐのそばの草原にねころんで、凉(すゞ)しい風に吹かれてゐました。[やぶちゃん注:「ふんすゐ」これも敗戦前は、かく書かれることが圧倒的であったが、中国音韻の研究が進んで、現在は「噴水」の歴史的仮名遣は「ふんすい」でよい。]
やがて、晝飯もそこへはこばせて、腹ばひになつてそれを食べてしまひますと、又ごろりとあふむけになつて、なにか面白いいたづらをすることがないか、と、しきりに考へてゐました。
さうして、ぼんやりとして、高い、靑い空を見上げたり、また低く目をおとして、すぐ自分の鼻のさきをながめたりしてゐますと、ふとこの自分の鼻がれいの小づちでどのくらゐのびるものか、ためして見たくなりました。
さう思ひたつと、龍介は、
「一生に一度しか使つてはならぬ。」
といふ死んだ父のゆゐごんも何も忘れてしまひました。
ちやうど、晝休みのじぶんで、家の者たちはみんな晝ねをしてゐるやうでしたから、
龍介はそつと自分で小づちを持ち出して來まして、またもとのところで仰向けになつて寢ころびながら、
「おれの鼻高くなれ、高くなれ!」
かう口の中でとなへながら、少しも休まずに、大いそぎで小づちをふりはじめました。
すると、鼻はだんだんのびて行つて、見る見るうちに、たうとう雲の中(なか)まで入つて行きましたが、てうしに乘つた龍介は、それでもなほ止(や)めないで、
「もつとのびろ、もつとのびろ!」
と、いつまでもいつまでも、小づちをふつてゐました。
そのうちに、眠氣(ねむけ)がさして來て、うとうとしながらも、やつぱり少しも小づちをふる手を止(や)めないで、むちゆうで、
「もつとのびろ、もつとのびろ!」といつてゐました。
と、とつぜん、遠くの鼻のさきの方(はう)が、ちくりちくりと痛むのを覺えましたので、龍介はびつくりして、目をさましました。
龍介は急にあわて出して、
「俺の鼻ちぢまれ、ちぢまれ!」
と、となへながら、あらためて大いそぎで、小づちをふりはじめました。が、もう、その時は、いつの間にか、誰(たれ)が見つけるともなく見つけて、家(うち)の人人(ひとびと)も、村の人人も、さてはよその村の人人も、思ひ思ひに一かたまりになつて、このふしぎなありさまを眺めてさわぎ出しました。
龍介は、それと知ると、きまりが惡いやら、何やらでますますあわてて、むちゆうで小づちをふりまはしましたが、遠くの方の鼻のさきの痛さは、少しもなほらないばかりでなく、ふしぎなことには、小づちをふつて、
「ちぢまれ、ちぢまれ!」
といふ度(たび)に、だんだん自分のからだが、地べたをはなれて、持ちあがつてゆくのです。
これは一たいどうしたわけかといふと、龍介の鼻はいつの間にか天までとどいてゐたので、それが天の川の川上の、たなばた川(がは)といふ川をつきぬけたのです。すると、ちやどそのたなばた川で、橋をかける工事中だったので、とつぜん川の中からぬツと突き出て來た、ゑたいのしれない柱に、人々は一時(じ)はびつくりしましたが、天國の人人は、地上の龍介よりはもつといたづらずきと見えて、これはさいはひ橋ぐひにいいといふので、にはかにそれに穴をあけてよこげたをさしこんだのでした。
龍介が遠くの鼻のさきに痛みをおぼえて、目をさましたのは、その時でした。
ですから、いくら「俺の鼻短くなれ!」と叫んだところが、なるほど鼻は短くなつて行くのですが、さきを止められたものですから、からだの方が持ち上げられて行くわけなのでした。
けれども、如何(いか)にりこうな龍介も、そんなこととは知りませんから、ますますあわてて、
「おれの鼻短くなれ、短くなれ!」
とさけびながら、やたらに小づちをふりましたが、さうすればさうする程、からだがだんだん上にあがつて行くのでした。
そのうちに、にはかに空がくもつて來て、ぴかぴかと電(おなづま)が光つて、雷(かみなり)がなりはじめたかと思ふと、たちまち、さつと夕立がふつて來ました。その中を龍介のからだは、ばたばたと手足をはんもんさせながら、上へ上へと上(あが)つて行きましたが、さつきからあまり小づちをふりつづけてゐましたので、手がしびれて來ました上に、夕立にはげしく打(う)たれたために、その手が次第に冷たくかじかんでしまつたものですから、たうとう天まで行(ゆ)かないうちに、小づちをおとしてしまひました。[やぶちゃん注:最後の「小づち」の「づち」は傍点がないのは、ママ。]
ですから、龍介は、いまだに雨が降つても、風が吹いても、雷が鳴つても、天にもとどかず、地にも落ちず、雲の中に宙(ちう)ぶらりになつてゐるさうです。
■『宇野浩二全集』第九巻(昭和四五(一九六九)年中央公論社刊)の所収版
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。ルビは完全に採用した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。一部、物理的に改行かどうかが判らない部分は、私の判断で改行した箇所がある。特にそれは指示しない。]
龍介の天上
一
今は昔、あるところに、龍介といふ、大變いたづら好な男が住んでゐました。彼は、兩親には早く死に別れたのですが、僅ながら財產を殘されましたので、別にこれといふ仕事もせずに、年中遊んで暮らしてゐました。ですから、尙のこと、いたづらすることばかり考へてゐました。けれども、毎日のことですから、終(つひ)にはそのいたづらの種も盡きてしまつて、何もすることがなくて、退屈で退屈で困つてゐました。
ところが、或日のこと、龍介は何かいたづらの種はないかと思つて、押入の中を搔き探してゐますと、ふと片隅に變な小箱があるのが目に止りましたので、開けて見ますと、中に古ぼけた小さな槌が入つてゐました。
「何だらう?」と思つて、暫く首を傾(かし)げてゐましたが、やがて龍介は思はず膝を叩いて、「これはいゝものが目付(めつ)かつた!」と喜びました。それは彼の父の金助が死ぬ時に、
「この中には小さな槌がはひつてゐる。これは家(うち)の大事な寶だから無暗に人に見せてはいけない。又お前もこれは一生に一度しか使つてはならないよ。だが、兎に角、その使ひ方を敎へておかう……」と言つて、金助が說明するには、これは誠不思議な槌で、誰か人に向つて、これを振りながら、こちらの思ふ高さになるまで、「あの人の鼻高くなれ!」と唱へると、その人の鼻がいくらでも高くなるし、又「その人の鼻低くなれ!」といふと、いくらでも槌を振つてゐる間は低くなると言ふのでした。
龍介は今それを思ひ出しますと、根がいたづら好きな上に、每日退屈で困つてゐた時ですから、「どうせ、人間は生身のからだだ。いつ何時死ぬかも知れないのだから、早速使つてやらう。」と斯う思ひ立ました。で、丁度、その翌日が村のお祭で、鎭守の境内に芝居が掛りましたので、彼はそつとその小槌をふところにして、何食はぬ顏をして、見物に出かけました。
見ると、龍介のすぐ傍(そば)の桝に、お供の女中を三四人も連れた、それはそれは奇麗な娘さんが、同じく見物に來てゐました。これは、屹度餘程よい衆の娘に違ひないとは、誰が見ても思はれました。そこで、同じ試すなら、こんな娘に一つ試してやらう、斯う思ひつきましたので、龍介はそつと懷から例の小槌を取り出しまして、誰にも氣がつかれぬやうに、それを振りながら、
「この娘の鼻高くなれ!」と口の中で唱へて見ました。すると、案の定、その奇麗な娘の鼻が、見る見るうちに高くなつて行きました。面白いので、龍介は調子に乘つて、いつ迄も小槌を振りながら、「この娘の鼻もつと延びろ、もつと延びろ!」と口の中で唱へつゞけましたところが、娘の鼻は、ずんずん延びて行つて、到頭向うの舞臺の背景に迄つかへてしまひました。
當人の娘は言ふ迄もありませんが、おほ勢の見物人も、みなみな目を見張つて、
「おやおや、あの肉の柱のやうなものは、あれは一體なんだらう!」と口々に叫びながら、よく見ますと、その柱の根元が、奇麗な娘の鼻なのですから、吃驚(びつくり)してしまひました。そのうちに、舞臺で芝居をしてゐた役者たちも、芝居が出來なくなつたものですから、騷ぎ出しました。
しかし、どうにも手の附けやうがありません。そのうちに、娘の家に知らせに行く者なぞがありしたので、家からはお醫者やら、人足(にんそく)やらが駈けつけて來ました。そして、やつとのことで、まるで神輿をかつぐ程の人數で、大の男がおほ勢寄つて、その鼻をかついで、娘を家へ連れて歸ることになりました。いつの間にか、それを聞き傳へて集つて來た人々で、娘の通る道筋は、怪我人が出來るほどの騷でした。娘は恥しいやら、苦しいやらで、氣を失つてしまひました。
やがて、漸くのことで娘を家に連れて歸りましたが、門をぐゞるのにも、玄關を通るのにも、中々手間が取れました。それに、今迄のやうに、四疊半の居間では、鼻だけでもはひり切れませんので、幾間も部屋を明け放して、漸うのことで橫向きに娘を臥(ね)かしました。それから、村の醫者は言ふに及ばず、方々の村々、遠方の町々から、呼べるだけのお醫者を呼んで、何とか治療をしてくれと賴みましたが、どの醫者もどの醫者も、
「こんな不思議な病氣は、今まで話にも聞いたことがありません。どんな本を見ても、こんな病氣のことは出てゐません。とても、いくらお禮をいたゞいても、私(わたし)どもに手の下(くだ)しやうがありません。」と言ひました。
さういふ譯で、どうにも手の附けやうがなく、家中(うちぢゆう)の者は唯うろうろとしてゐるばかりでした。兩親は言ふに及ばず、集つて來た親類の人たちも、途方に暮れて、泣いてゐるばかりでした。そのうちに、氣附藥だけはきゝましたので、氣絕してゐた娘はやつと正氣にかへりましたが、そのために娘は尙のこと、恥かしいのと苦しいのとで、一晩ぢゆう泣きつゞけました。
すると、その翌朝(よくてう)のことでした。表の通を、「どんな難病でも、治療するまじなひ! まじなひ!」と呼びながら、立派な房のついた、その癖小さな、古ぼけた槌を振りながら、通る男がありましたので、何でも試しに呼んで見ようといふので、早速その男を迎へました。
その男とは、言ふ迄もなく、いたづら者の龍介であります。龍介は早速病室に通されますと、仔細らしく病人を診察する眞似をしてから、
「これは珍しい病氣です。が、御安心なさい。屹度私がなほして上げます」と、如何にも自信ありげに、言ひますと、
「なほりますか?」と娘の親は、嬉しさに、飛び立つやうな聲を上げて、「もしなほりましたら、娘はあなたにさし上げませう。また、あなたがお獨り身なら、どうぞ娘の婿になつて下さい。そしてこの家(いへ)の後(あと)をとつて下さい!」と言ひました。
そこで、龍介は勿體をつけて、長い間、口の中で出鱈目のおまじなひのやうなことを唱へてから、さて例の小槌を手に持つて、それを恭々しく振りながら、口の中で聞えぬやうに、
「この娘の鼻低くなれ、低くなれ!」と言ひますと、さしもの長い鼻が、次第々々に低くなつて、難なく元の通りになりました。
娘はいふ迄もなく、兩親の喜びは口で言へないほどでした。そこで約束通り、龍介はその娘の婿になって、まんまとその家の若主人となることになりました。で、早速、今まで、娘の鼻のために、ぶツ通しに開(あ)けてあつた部屋を式場にして、そこに赤い毛氈を敷くやら、床の間に花を活けるやら、金屛風を立てるやら、大騷ぎをして、目出たい婚禮の式を擧げました。まづは、めでたし、めでたし。
二
さて、何を言ふにも、龍介はその家(うち)の一人娘の命の親のやうな者ですから、一家の人々に大へん大事にされましたので、今迄よりももつともつと氣樂な身分になりました。それと共に、からだが益々暇になりましたので、性來のいたづら好な龍介には、まつたくもつてこいの身分なのでした。
それに、この家は近在での、第一番の物持でしたから、したい放題のことが出來るわけで、又どんなことをしても、決して誰も叱る者はありませんでした。それといふのも、みな死んだ父の金助が殘してくれた、あの寶の小槌のお蔭だと思ふと、龍介はつくづく父の金助を有難いと思ひました。が、また、一生に一度しか使つてはいけないといふ遺言を思ひ出しますと、不服でなりませんでした。もう自分が生きてゐるうちに、あれが使へないのかと思ふと、何だか使つてしまつたのを、後悔するやうな氣にさへなりました。それにしても、いくらしたい放題のことが出來る身分とは言ひながら、直(すぐ)もうするいたづらの種が盡きてしまつて、又以前のやうな退屈な日を送らねばならなくなりました。
或秋の始めのことでした。秋とはいひながら、時候はまだ夏のとほりで、朝から家の中が暑くてたまりませんので、龍介は庭の噴水の傍の草原に寢轉んで、涼しい風に吹かれてゐました。やがて、晝飯もそこへ運ばせて、腹這ひになつてそれを食べてしまふと、又ごろりと仰向けになつて、何か面白いことがないか、と頻(しきり)に考へてゐました。
さうして、ぼんやりとして、高い、靑い空を見上げたり、又低く目を落して、すぐ自分の鼻の尖(さき)を眺めたりしてゐますと、ふとこの自分の鼻が例の小槌でどの位延びるものか、試して見たくなりました。さう思ひ立つと、龍介は、「一生に一度しか使つてはならぬ」といふ、死んだ父の遺言も何も忘れてしまひました。丁度、晝休みの時分で、家の者たちは皆晝寢をしてゐるやうでしたから、彼はそつと自分で小槌を持ち出して來まして、また元の所で仰向けになつて寢轉びながら、
「俺の鼻高くなれ、高くなれ!」
斯う口の中で唱へながら、少しも休まずに、大いそぎで小槌を振り始めました。すると、鼻はだんだん延びて行つて、見る見るうちに、到頭雲の中まで入つて行きましたが、調子に乘つた龍介は、それでも尙止(と)めないで、
「もつと延びろ、もつと延びろ!」と、いつ迄もいつ迄も、小槌を振つてゐました。そのうちに眠氣がさして來て、うとうとしながらも、やつぱし少しも小槌を振る手を止めないで、夢中で「もつと延びろ、もつと延びろ!」と言つてゐました。と、突然、遠くの鼻の尖の方が、ちくりちくりと痛むのを覺えましたので、龍介はびつくりして、目を醒しました。
龍介は急にあわて出して、
「俺の鼻縮まれ、縮まれ!」と唱へながら、改めて大急ぎで、小槌を振り始めました。が、もう、其時は、いつの間にか、誰が目付(めつ)けるともなく目付けて、家の人々も、村の人々も、さてはよその村の人々も、思ひ思ひに一團になつて、この不思議な有樣を眺めて騷ぎ出しました。龍介は、それと知ると、氣まりが惡いやら、何やらで、益々あわてゝ、夢中で小槌を振り𢌞しましたが、遠くの方の鼻の尖の痛さは、少しもなほらないばかりでなく、不思議なことには、小槌を振つて、「縮まれ、縮まれ!」と言ふ度に、だんだん自分のからだが、地面を離れて、持ち上つて行くのです。
これは一體どうした譯かと言ふと、龍介の鼻はいつの間にか天までとゞいてゐたので、それが天の川の川上の、あくた川といふ川を突き拔けたのです。すると、丁度そのあくた川で、橋を架ける工事中だったので、突然川の中からぬツと突き出て來た、異樣な柱に、人々は一時は吃驚しましたが、天國の人々は、地上の龍介よりは更にいたづら好と見えて、これはさいはひ橋杭にいゝといふので、俄にそれに穴をあけて橫桁をさし込んだのでした。
龍介が遠くの鼻の尖に痛みを覺えて、目を醒ましたのは、その時で、それからいくら「俺の鼻短くなれ!」と叫んだところが、なる程鼻は短くなつて行くのですが、尖を止められたものですから、からだの方が持ち上つて行くわけなのです。
けれども、如何に利口な龍介も、そんなこととは知りませんから、益々あわてゝ、「俺の鼻短くなれ、短くなれ!」と叫びながら、矢鱈に小槌を振りましたが、さうすればさうする程からだが段々上に上(あが)つて行くのでした。
そのうちに、俄に空が曇つて來て、ぴかぴかと電(いなづま)が光つて、雷が鳴り始めたかと思ふと、忽、さつと夕立が降つて來ました。その中を龍介のからだは、ぱたぱたと手足を煩悶させながら、上へ上へと上つて行きましたが、さつきから餘り小槌を振りつゞけてゐましたので、手がしびれて來ました上に、夕立に激しく打たれたために、次第に冷たく凍(かじ)かんでしまつたものですから、到頭天まで行かない小槌をおとしてしまひました。(その後(のち)、その小槌を拾つたのは、大黑といふ大へん肥つた男だともいひますし、又一說には、心王羅漢とかいふ、これも大へん肥つた男が、實はそつと拾つて持つてゐるといふことです。)[やぶちゃん注:「ぱたぱた」はガンマ補正をかけて、周囲のそれらと比較した結果、濁点ではなく、半濁点と判断した。また、最後の丸括弧部分は第一ヴァージョンにはない。]
餘談はさておき、ですから、龍介はいまだに雨が降つても、風が吹いても、雷が鳴つても、天にもとゞかず、地にも落ちず、雲の中に宙ぶらりになつてゐるさうです。(今では又、彼はすつかりをさまつてしまつて、俺は雲を起し、風を吹かす、傀儡師だと言つて、威張つてゐるとも言ひます。)[やぶちゃん注:最後の丸括弧部分も第一ヴァージョンにはない。]
けれども、下界の人々はそんなことは知りませんから、龍介は天上したのだと思つてゐます。めでたし、めでたし。[やぶちゃん注:この最終段落も第一ヴァージョンにはない。]
[やぶちゃん注:再度示すと、本篇を宇野浩二が発表したのは大正八(一九一九)年十一月である。
而して、芥川龍之介の「鼻」は、大正五(一九一六)年二月十五日に『新思潮』に発表され、それが夏目漱石(本名は夏目金之助である)の激賞を受けて、華々しく文壇にデビューしたことも御存知の通りである。「鼻」を含む芥川龍之介の処女作品集『羅生門』の刊行は大正六(一九一七)年五月(阿蘭陀書房)刊である。
私は古くに、宇野の盟友芥川龍之介を追懐した力作である「芥川龍之介」を、ブログ・カテゴリ『宇野浩二「芥川龍之介」』で七十七分割で電子注し、直後にサイト版として、それらをブラッシュ・アップして、上巻一括及び下巻一括とに二分割して公開しているが、ブログ分割版の「宇野浩二 芥川龍之介 六」で、宇野自身が、この「龍介の天上」について述べているので読まれたいが、冒頭注で宇野が述べた初出の付記にある、『オランダ國の詩人、ラメエ、デタの著すところ「日本童話集」』という原拠は、「デタ」「ラメエ」=「出鱈目」であり、本篇は、宇野浩二の確信犯の芥川龍之介に対する、かなり露骨にして辛辣なカリカチャライズされた童話仕立てにした揶揄(からか)いの小品なのであり、宇野自身が以上の「六」で、『私はこの童話を作ってから、自分ながら、これはちょっとおもしろいと思ったので、その二三の友だちに話すと、そのなかで廣津と鍋井克之が、それはおもしろいから、童話の雑誌に出さないで、普通の雑誌に出したら、といった。それで、鍋井が顧問のようになっていた、解放社[註―この解放社の社長は鍋井や私と中学の同窓であった]から出している「解放」に出すことにした。それで、私は、ふと、思いついて、この童話の主人公を龍介という名にし、『龍介の天上』という題にし、ついでに、『たなばた川』を『あくた川』とかえる事にした。これは、いうまでもなく、芥川の出世作『鼻』をおもいだし、芥川をからかってみたくなったのである。』とあるのである。「六」の最後に以下のようにある。
*
ところが、この『龍介の天上』が発表されてからまもなく、あう人あう人が、私にちかいうちに、『宇野浩二撲滅号』という雑誌が出るそうである、そうして、その音頭取〔おんどとり〕は芥川龍之介だそうである、そうして、その雑誌は、「文章世界」だとか、「新潮」だとか、「秀才文壇」だとか、つたえる人によって、まちまちであった。私は、当時三十九歳の青年であったが、そんな事はまったく信じられなかった。ところが、改造社の社長であった、山本実彦さえ、その頃のある日、その事をつたえながら、「しつかりやりなさい、私はできるだけ後押ししますから、」といったが、「もしそんな事があったら、まだ無名の僕が得しますから、……が、そんなこと噓ですよ、」と、私は、いった。
そうして、それは、私がいったとおり、まったくの流言であった。
さて、私がはじめて芥川と顔をあわしたのは、大正九年の、たしか、七月頃、江口 渙の短篇集『赤い矢帆』の出版記念会が、万世橋の二階の「みかど」という西洋料理店であった。(この「みかど」はその頃の文学者の会合のよく行〔おこな〕われたところである。)この会の発起人であり世話役であったのは、たしか、芥川である。芥川は、その前の前の年(つまり、大正六年)の六月に開かれた、自分の『羅生門』の出版記念会、江口の世話あったので、その礼のつもりであったのだ。芥川にはこういう物堅い実に謹直なところがあった。これは芥川の友人たちにとって忘れがたい美徳であった。(これを書きながら、またまた、私情をのべると、私は涙ぐむのである。私の目から涙がながれるのである。ああ、芥川は、よい人であった、感情のこまかい人であった。深切な男であった。昨日も、廣津がいった。芥川が死んだ時だけは悲しかった、あの朝、銀座であった、吉井 勇も、やはり、悲しい、といった、と。)
さて、その『赤い矢帆』の会では、長いテエブルの向う前に人びとが腰をかけた、江口が正座に、江口の右横に芥川が、江口のむかいに廣津が、廣津の左横に私が、それぞれ、席についていた。そのテエプルにむかいあって腰かけていた人たちは、おもいおもいに、雑談をしていた。といって、話をするのは、となり同士か、せいぜい一つおいた隣の人であった。私は、そういう会になれていなかったので、たいてい、となりの廣津とばかり、話をしていた。と、突然、むこう側の三人目の席の方から、
「宇野君、……僕が君を撲滅する主唱者になるって噂があったんだってね、おどろいたよ、僕は、それを聞いて……」と、芥川が、いった。
「……もし、それが、本当だったら、君なら、相手にとって、不足はないよ、」と私がこたえた。
これが、つまり、私が芥川とはじめて逢った時の思い出である。
*
とあるのである。ここには、事実の時制との決定的齟齬がある。これは、宇野の記憶違い、或いは、病的な(後述)記憶齟齬があると考えてよい。
ともかくも、この露骨な宇野の行為を、寧ろ、芥川龍之介は好意的に捉え、以降、逆に宇野浩二と非常に懇意となり、芥川の最晩年、宇野が重い精神疾患を発症した際にも(後に脳梅毒によるものと判明している。宇野が入院している最中に芥川龍之介は自殺しているが、後に固定治癒している。私が「固定」と添えている理由は、発症以前と、治癒の後の彼の文体に、かなり激しい変異が見られると考えているからである)、率先して、彼の入院や、家族への気配りをしていることも、よく知られている。
このかなりキツい小説を読みながら、私は、後の二人の固い友情の形成を、正直。羨ましく思うのである。
また、第二ヴァージョンの「大黑といふ大へん肥つた男」「心王羅漢とかいふ、これも大へん肥つた男」というのも、恐らく特定人物のカリカチャーで、例えば、芥川作品の御用達であった『中央公論』の編集長の滝田樗陰とか、『大阪毎日新聞』社学芸部部長で、芥川龍之介を社員として招聘した詩人薄田泣菫などを想起するが、これは私の思いつきに過ぎず、「小槌」を持っている肥った作家となれば、芥川龍之介のライバル谷崎潤一郎なども浮かぶ。
なお、本篇には、発表時期が以上の二つの間に当たる時期の、昭和七(一九三二)年十月に刊行された宇野の童話集『海こえ山こえ』 (春陽堂・『少年文庫』第十一)の中に、「長鼻天つく」という標題に変えた、別ヴァージョンが。今一つ、ある。ただ、その内容は、ほぼ、先に掲げた、「■単行本童話集『龍介の天上』(昭和二一(一九四六)年弘文社刊)所収版」と同じで、最後に、『何(なに)といたづらのばつは恐(おそ)ろしいではありませんか。』(太字は原本では傍点「﹅」)と添えてあるもので、私には、電子化する食指が全く動かない。幸い、これは、国立国会図書館デジタルコレクションで、『ログインなしで閲覧可能』の『インターネット公開(保護期間満了)』であり(当該篇はここから)、誰もが視認出来るので、見られたい。宇野は芥川龍之介の自死後、病気から恢復した、推定で、遅くとも、昭和五、六年頃に(この時期、宇野は盛んに童話を書いている。当該ウィキを参照されたい)、芥川龍之介を辛辣に弄った初出形を、せめても、自殺を決意していながら、最後まで自分を労わって呉れた龍之介との、出逢いの思い出の形見として、ソフトに変容させ(標題の変更が明らかにそれを意味していると私は思う)、書き直しをしていたことが判然とするのである。
最後に。龍介は娘を貰って結婚しているが、芥川龍之介は、この前年の大正七年二月二日に文と婚姻している。しかし、私は龍介が、騙して女を手に入れているのが、妙に、気になるのである。無論、これは偶然なのだが、実は、この大正八年の九月、芥川龍之介は、秀しげ子と深い不倫関係に堕ちていることが、真っ先に想起されたからである。]
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