「近代百物語」 巻四の三「山の神は蟹が好物」 / 巻四~了
[やぶちゃん注:明和七(一七七〇)年一月に大坂心斎橋の書肆吉文字屋市兵衛及び江戸日本橋の同次郎兵衛によって板行された怪奇談集「近代百物語」(全五巻)の電子化注である。
底本は第一巻・第三巻・第四巻・第五巻については、「富山大学学術情報リポジトリ」の富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」のこちらからダウン・ロードしたPDFを用いる。しかし、同「ヘルン文庫」は、第二巻がない。ネット上で調べてみたが、この第二巻の原本を見出すことが出来ない。そこで、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載るもの(底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていないことが判ったばかりであった)を底本として、外の四巻とバランスをとるため、漢字を概ね恣意的に正字化して用いることとした。なお、「続百物語怪談集成」からその他の巻もOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。なお、本篇には挿絵はない。]
山の神は蟹が好物
泉刕、貝塚といへる所は、海辺(《かい》へん)にして、漁獵の家、多し。
[やぶちゃん注:「貝塚」現在の大阪府貝塚市(グーグル・マップ・データ)の海辺部。]
長介といへるもの、
「蟹を、とらん。」
とて籪(やな)をつくりて置《おき》、朝ごとに、かに、かゝるを、取《とり》て、產業(すぎわひ[やぶちゃん注:ママ。])とす。
[やぶちゃん注:「籪(やな)」この漢字は音「タン・ダン」で、水中に竹などを柵状に組み、入り込んだ魚や蟹などが出られないようにした仕掛けを言う漢語。]
ある朝、ゆきて見れば、材木の切株、二尺ばかりあるが、やなにかゝりて、やなは、やふれて[やぶちゃん注:ママ。]あり。
材木は、岡へ、ほりあげ置《おき》、やなを、つくろひて、かへり、あくる朝、ゆきて見るに、また、きのふの材木、ありて、やな、やぶれたり。
又、つくろひて、次の朝、見るに、はじめのごとし。
長介、あまり、ふしぎにおもひ、
『此材木、なにさま、ばけ物にてやあらん、火にくべて見ん。』
と、おもひ、蟹のかごに入《いれ》、持(もち)かへり、家ちかくなりて、籠(かご)の中、
「はたはた」
とする音し、材木、へんじて、生物《いきもの》となる。
猿の身《み》、人の面(かほ)、手、ひとつ、足、ひとつ、あり。
たちまち、言(ことば)を発して、
「我、靑山《せいざん》の神也。無性(《む》しやうに[やぶちゃん注:「に」まで送っている。])、蟹をこのめり。水中に入り、『やな』をそんずる罪(つみ)あり。これを、ゆるして、我を出《いだ》さば、後日(ご《にち》)、ふかく、恩を報ずべし。」
といふ。
長介いはく、
「なんぢ、『山の神』にもあれ、我がやなを損ず。ゆるしがたし。」
といふ。
彼(かの)もの、いろいろと、わび言すれども、聞き入れず。
「しからば、なんぢが名は、何(なに)といふ。」
と尋ねるに、長介、こたへず、家、いよいよ、ちかくなりて、彼(かの)もの、しきりにわび言(こと)すれども、聞かず。
又、名を、とへども、こたへず。
「われは、いかんとも、すべきやう、なし。死なんのみ。」
といふ。
長介、家にかへり、炭火(すみび)をもつて、これをやくに、何の子細も、なし。
按ずるに、これを「山魈(さんさう[やぶちゃん注:ママ。])」といふ。人の名を知れば、よく、これに、あだを、なす。好みて、蟹をくろふ[やぶちゃん注:ママ。]、と、いへり。
[やぶちゃん注:「山魈」(歴史的仮名遣は「さんせう」が正しい)は中国神話に登場する子どもの形をした一本足(手は二本ある)の鬼怪(すだま)で、よく人を騙すとされる。私の寺島良安著「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」の「さんせい 山精」(図有り)を参照されたいが、そこでも蟹を好物とすることが記されてある。当該ウィキもリンクさせておく。なお、現代中国語では、アフリカ中央東岸に棲息する派手な顔の♂の色彩で知られる霊長目オナガザル科マンドリル属マンドリル Mandrillus sphinx にこの漢名を当てている。]
四之巻終