佐々木喜善「聽耳草紙」 九一番 狼と泣兒
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
九一番 狼と泣兒
或る雨の降る夜、山の狼が腹がへつて、大きな聲で、おう、おうと啼きながら山から下りて來た。其時百姓家の子供が泣き出したので、母親はお前がそんなに泣けば、あの狼
にやつてしまうぞと言つた。[やぶちゃん注:底本では見ての通り、二箇所の不具合がある。一つは第二文の頭が「其時」ではなく、「時」となっている点で、「ちくま文庫」版の『その時』を参考に、かく、した。また段落末は「言つ」で断たれてしまっており(右ページ最終行末)、左ページ行頭は以下の次の段落になってしまっている。これも「ちくま文庫」版で訂した。]
狼は恰度《ちやうど》其時、其家の壁の外を通つたので、これはよい事を聞いた、それぢあの子供を食へると思つて喜んだ。
すると内の子供の泣き聲がばつたりと止んだ。母親があゝあゝこんなによい子を誰が狼などに遣るものかと言つた。狼は落膽して行つてしまつた。
(この話と九〇番は紫波郡昔話を騙む時に集《あつま》つた資料を、餘りに無内容だと思つてはぶいておいた物である。ところが今考へると、斯《か》う謂ふ物こそ昔話の原型を爲すものではあるまいかと思つたから採錄して見た。
昔話の發生と謂ふものは一面に於いて斯うした斷片的な單純なものから先づ成立《なりた》つて段々と幾つも寄り集り永年かゝつて一つの話になつたものであつたかと想像したのである。さう謂ふ觀方《みかた》からはこれらは尊《たつと》い種子であらう。)
[やぶちゃん注:最後の附記は、全体がポイント落ちで二字下げであるが、総て本文と同ポイントで引き上げた。]