只野真葛 むかしばなし (62)
一、餘り、律儀過(すぎ)たるものには、禍(わざはひ)、おふ事、あるものなり。
細川の御隱居上松院樣とか申上(まうしあげ)しに、前方(まへかた)、小枝殿お小性(こしやう)を勤られし後、皆、下(さが)りて有(あり)しに、同じく若年寄を勤られし人、下り早々、宿に、もめの事、有て、お町へ、ぜひ、一度は出られねばならぬ事ありしに、女共、供行(ともゆく)ことを、いやがりて、病氣を達したり。
[やぶちゃん注:「細川の御隱居上松院」「小枝殿」孰れも不詳。]
困りてゐられし時、小枝、部屋おやも、若年寄なりしに、其しんめう、しごく律義者にて有しが、折ふし、
「お門を通りますから、一寸御きげん伺(うかがひ)に上(あが)りました。」
とて、來りしを、
「今、ケ樣ケ樣の事にて、出ねばならぬに、供がなくてこまるから、どうぞ一寸、供して行(ゆき)てくれ。」
と賴まれしに、
「それは。あやにくの事にて、さぞ、おこまり被ㇾ遊ん。」
とて、供して行たりしに、其旦那樣【上松院樣なり。】[やぶちゃん注:底本に『原傍註』とある。]は、紀州より、いらせられし故、御かくれ後、早々、高役をも勤(つとめ)し人の、お町へ出(いづ)る事を、
『氣の毒。』
に思召(おぼしめし)、紀州家より、御手入(おていれ)有(ある)につき、若年寄は、事なく相下(あひさ)げられ、其身がはりに、下女を、とゞめられて、直(ぢき)に牢入(らういり)と成(なり)しとぞ。
是、いかなる不幸ならん。其もめは、やはり、先に出(いだ)し置(おき)し齋藤忠兵衞、若黨の「にせ養子」を殺したるもめにて有(あり)し。
[やぶちゃん注:「齋藤忠兵衞」「只野真葛 むかしばなし (49)」で既出。]
小枝事、いろいろ世話に成(なり)し上、少しも知らぬ事にて、さやうの難儀に逢ふを、不便(ふびん)に、四郞左衞門樣、おぽしめし、色々、御骨折御世話被ㇾ成、漸々(やうやう)の事にて、出牢はしたれども、それより、病身に成てありしとぞ。
日々、御尋(おたづね)に逢(あひ)ても、しらぬ事にて、大きに難義せしとぞ。
牢の中に、老女、居て、それが牢主にて、
「何の事にて、牢入と成しや。」
などゝひて、御尋あらば、申上べき事など、をしへなどして、科(とが)の重らぬよふ[やぶちゃん注:ママ。]に、みち引(びく)事とぞ。
牢入の女共、この人を敬ひて、肩もみ、足さすりなどする事とぞ。
「牢の中にも、掟、有て、夫々(《それ》ぞれ)の座なども定まり有て、おごそかなる事。」
と語(かたり)しとなん。