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2023/05/31

佐々木喜善「聽耳草紙」 九六番 怪猫の話 (全九話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。「怪猫」は本文でもルビがないが、響きの禍々しさから、「くわいびやう」と読んでおく。]

 

      九六番 怪猫の話 (其の一)

 

 或時、一人の男が旅からの歸りがけに、國境の峠に差しかゝると、谷合《たにあひ》の方で何者だか大變奇怪な聲で騷いで居た。はて不思議な聲だが何であらうと、木に登つて樣子を窺ふてゐると、多勢《おほぜい》の猫どもが寄り集まつて、何事かがやがやと言ひ合ひをして居るところであつた。其中の大猫がみなに向つて、まだ某殿(ダレソレドノ)のお頭領(カシラ)が見えぬが、何して居るべと云ふやうな事を喋言《しやべ》つた。木の上の男は、今猫の云つた某《だれそれ》は自分の家の名前なので、はてな不思議なこともあればあるものだなアと思つて、じつとして居ると、稍《やや》しばらく經つてから、其所ヘ一匹の年寄猫(トシヨリネコ)がやつて來た。すると多勢の猫どもが、みんな土下座をして、お頭樣々々々と言つて、其猫のまわりを取卷いて機嫌をとる。某は木の上からつらつら見ると、やつぱり其はまぎれも無い自分の家の飼猫《かひねこ》の年寄りの三毛猫(サンケ《ねこ》)であつた。

 老猫《としよりねこ》は、お前達はみな揃つたかと言ひつゝ、其頭數を檢べて見てから、あゝ皆揃つたやうだ。斯《か》う揃つたら、そろそろ仕事に取りかかるベアと言つた。木の上の男は何をするのだべえと思つて見て居ると、家の猫が先きに立つて、ぞろぞろと峠へ出て、皆別々に木の蔭や草の中などに入つて匿れて、其儘鳴りを沈めてじつとして居た。

 恰度《ちやうど》其所へ一人のお侍が通りかゝつた。すると猫どもが、それツと云つて其侍をぐるりと取り卷いて喰《く》つてかゝつた。ところが其侍は餘程の腕利《うでき》きであつたと見え、かへつて猫どもが慘々に斬殺《きりころ》されてしまつた。其れを見て年寄り猫はひどく怒つて、祕傳祕術を盡して侍と鬪つたが、どうしても侍にはかなはず、眉間《みけん》に太刀傷《たちきず》をうけて、其所を逃げ出してしまつた。

 侍は猫どもが皆逃げ去つたのを見てから、木の上に居る人、もはや安心だから下りなされと聲をかけた。男は木の上から降りて、最前からの樣子を殘らず委しく話した。そして彼《あ》の負傷《てきづ[やぶちゃん注:ママ。]》を負ふた年寄り猫は某の家の猫だと云つたし、某とは私の家の名前、又彼(ア)れはまぎれも無く私の家の飼猫である。どうも合點が行かないまス。私一人ではどうも怖(オツカ)なくて歸れないから、お侍樣も一緖に行つてクナさいと賴んだ。侍もともかくもと云つて、某を連れ去つて行つた。[やぶちゃん注:底本は読点だが、「ちくま文庫」版を採った。]見ると峠の上から里邊の方へ雪の上に赤い生血《なまち》が、ポタリポタリと滴(コボ)れてゐた。さうして其血の跟《あと》が男の家の門前まで來て、あとは絕えてゐた。いよいよこれは怪しいと、二人は言ひ合つて家の中へ入つた。

[やぶちゃん注:「跟」は音「コン」で、「くびす・きびす・かかと(踵)」、「従う。人のあとについていく」の意であるが、「ちくま文庫」版が、この漢字を使わずに『あと』と平仮名にしてあるのに従った。訓自体には「あと」というそれはないものの、意味から違和感は全くない。]

 侍と男が家の中へ入つて行くと、奧座敷の方で、何だかウンウンと呻《うな》つて苦しんで居る樣子である。あれは何だ、どうしたと訊くと、家族は、先刻(サツキ)祖母樣が外へ出て誤つて氷(スガ)で滑つて眉間を割つたと言ふ。男と侍とは顏を見合せて頷《うなづ》き合つた。さうして侍は俺が割傷(ワリキズ)に大層よく利く藥を持つて居るから、どれどれと云つて、祖母の寢室へ行つてやにわに刀を拔いて斬り付けた。祖母はキヤツト叫んで、飛び起きて侍に喰つてかゝつたが、何しろ深傷《ふかで》を負ふて居るから、二《に》の太刀で血みどろになつて死んでしまつた。

 家族の人達は其を見て、あれアあれア何たらこつた。祖母樣が殺されたと言つて騷ぎ𢌞るのを、男が騷ぐな騷ぐな、實は斯う云う譯で此のお侍樣を賴んで來たのだと云つた。暫時《しばらく》モヨウ(經《た》つ)と殺された祖母樣が大猫《おほねこ》になつた。

 やつぱり怪猫《くわいびやう》が、幾年か前にほんとう[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]の此の家の祖母樣を食つて、自分がさう化けて居たのだと云ふことが其時訣《わか》つた。家の人達は之れから先き、どんな災難があつたか知れないのに、ほんとうにお蔭樣であつたと言つて、お侍に厚く禮をした。

(此話は諸國にあるやうに、其怪猫が旅に出て居る自家の主人の歸還の日を知つて居て、峠に待ち伏せして居たとも、そして又其主人に退治されたとも語るが、此所には村の犬松爺樣が話した通りを記して置く。大正七年の秋の分。)

[やぶちゃん注:附記は頭の丸括弧のみが半角上へ抜き出ている以外は、全体が二字下げポイント落ちであるが、類話譚解説となっているので、引き上げて読み易く同ポイントとした。]

 

       (其の二)

 或所に狩人《かりうど》があつた。山立《やまだち》に行く朝、鐵砲の彈丸(タマ)をかぞへて居るのを、飼猫の三毛猫が爐傍《ろばた》に居て眠つたふりをしながらそれを見て居た。狩人は何の氣なしに其儘《そのまま》山へ行つた。

[やぶちゃん注:「山立」を「やまだち」と読むと、辞書では「山賊・山賊行為」或いは「 狩人・猟師・またぎ」としかないのだが、普通に「山猟・狩猟に行くこと」の意として私には違和感がない。]

 山へ行くと見た事も聞いた事もない恐しい怪物に出會《であは》した。それは大きな一目(ヒトツマナコ)の化物《ばけもの》であつた。そしていくら擊(ウ)つても擊つても平氣であつた。そのうちに持つて來ただけの彈丸《たま》が盡きてしまつた。すると其怪物は忽ちに大きな猫になつて其狩人に飛掛つて來た。そこで狩人は秘法の秘丸(カクシダマ)で難なく擊ち止めた。さうして其死んだ猫を檢べてみると、傍らに一個(ヒトツ)の唐銅(カラカネ)の釜の葢《ふた》が落ちてをつた。猫は其釜の葢を口にくわへて居て彈丸を防いだものと訣《わか》つた。

 然し其猫はどうも自分の家の飼猫によく似てゐたので念のために其釜の葢を持歸《もちかへ》つて見ると、案の定、家の釜の葢はなくなり、猫も居なくなつてゐた。

  (祖父のよく話したもの。私の古い記憶。)

 

       (其の三)

 遠野町の是川某と云ふ侍が、或時子供達を連れて櫓下《やぐらした》といふ所の芝居小屋へ江戶新下りだという狂言を觀《み》に行つた。家にはたつた一人侍の妻ばかりが留守をしながら縫物をして居た。すると今迄爐《ひぼと》の向側《むかふがは》で居眠りをして居た虎猫が、ソロソロと夫人の側へ寄つて來て、突然人聲《ひとごゑ》を出して、奧樣、只今旦那樣方が聽いて居る淨瑠璃《じやうるり》を語つて聽かせ申しやんすべかと言つて、絹でも引裂くやうな聲で長々と一段語り終つてから、奧樣シこのこと誰《たれ》にも話してはならないまツちや、と言つて恐ろしい眼《まなこ》をして睨みつけた。そのうちに皆が芝居から歸つて來たのでその夜はそれツきりで何事もなかつた。

[やぶちゃん注:「櫓下」恐らくは旧鍋倉(遠野)城の南の虎口(こぐち)附近に櫓があったようにも推定されているから、グーグル・マップ・データ航空写真の、この麓附近であろうと推測する。今でも遠野市街地からは外れた場所だが、そもそも江戸時代まで旅役者たちは「河原乞食」と卑称され、村落共同体の辺縁の河原の橋の下に逗留するのが常であった。ここには、まさに来内川があり、現行、二基の橋も掛かっている。]

 或日、日頃懇意して居る成就院の和尙樣が來て、四方山《よもやま》の話をして居たが、爐傍に居眠りして居る虎猫を見て、あゝ此猫だな、先達《せんだつて》の月夜の晚に俺が書院に居ると、庭ヘ何所からか一匹の狐が來て手拭《てぬぐひ》をかぶつて頻《しき》りに踊りを踊つて居たが、獨言《ひとりごと》に、なんぼしても虎子《とらこ》どのが來ないば踊りにならねアと言つた。おかしなこともあればあるものだ。これからどうなる事かと見て居ると、この猫が手拭をかぶつて來て、暫時(シバラ)く二匹で踊つて居たが、どうも今夜は調子がはじまらないと言つて、踊りを止めて二匹で何所かへ行つたツけが、其猫はよく見るとこの猫だ。そんなことを話して和尙樣は歸つた。

[やぶちゃん注:「成就院」現存しないが、『遠野市編さん活動報告』第二十四号(二〇二二年五月発行・PDF)の鍋倉城調査の記事中に写真があり、「成就院跡」が示されてあった。グーグル・マップ・データ航空写真で、この中央附近にあったことが判った。]

 其夜侍の妻は先夜の猫の淨瑠璃のことを旦那樣に話した。其翌朝奧方がいつまでも起きなかつたので家の人達が不審に思つて寢室へ行つて見ると、奧方は咽喉笛《のどぶえ》を喰ひ破られて死んで居た。

 虎猫はそのまゝ行衞不明《ゆくへふめい》になつた。

 

       (其の四)

 遠野町の某家の人達、或夜芝居見物に出て家には老母一人が留守をして居た。夜もやがて大分更けて行き、今の時刻で云ふならば十一時過《すぎ》とも思はれる頃、老母の室《へや》に飼猫の三毛猫が入つて來て、お婆樣お退屈で御座ンすぺ。おれが今夜の芝居をして見せアンすぺ[やぶちゃん注:半濁音であるので注意。]かと言つて、芝居の所作《しよさ》から聲色《こはいろ》を使つて、奇怪な踊りを踊つて見せた。それが終ると猫は、お婆樣この事を決して他言し申さんなと言つて澄まして居た。

 間もなく家人が芝居から歸つて、老母に今夜の狂言の事を語つて聞かせる。それが猫の物語つたのと寸分違はなかつたので、老母は遂に飼猫の事を話すと、皆は大變驚き氣味惡がつて居た。

 或夜其家の主人が成就院を訪問して住持と碁をかこんでいた。外はいゝ月夜であつた。夜が更けると庭で何者かが立ち騷ぐ氣配がするので聽耳を澄まして居ると、住持は石を置きながら、ははア今夜も來て踊つて居るなアと獨言《ひとりごと》をした。何か踊つて居りますかと言つて、障子を細目に開けて庭前を見ると、月夜の下に一疋の狐と一疋の猫とが頻《しき》りに踊りを踊つて居るので奇怪に思つてよく見ると、それは正《まさ》しく自家の猫である。それから障子を締め、實は斯《か》く斯くと昨夜の事などを物語り、怪態(ケタイ)なる事もあるものだと話して家へ歸つた。ところが老母が何物にか咽喉笛《のどぶゑ》を嚙み切られて斃《たふ》れてゐた。其後猫の姿は二度と人目につかなかつた。

 

       (其の五)

 同町鶴田某の飼猫、暮れ方になると手拭《てぬぐひ》を持つて家を出て行くので、家人が變に思つて後(アト)をつけて行つて見ると、大慈寺《だいじじ》裏へ行つて狐と一緖になつて盛んに踊りを踊つてゐた。

[やぶちゃん注:「大慈寺」岩手県遠野市大工町(だいくちょう)に現存する。曹洞宗福聚山(ふくじゅさん)大慈寺。]

 

       (其の六)

 同町裏町に太郞と云ふ人があつた。一匹の三毛猫を飼つて居たが、この猫は巧みに人の口眞似をしたり、又手拭《てぬぐひ》をかぶつて踊《をどり》を踊つて見せた。或時棚の魚を盜んだので主人が撲《なぐ》つて傷をつけた。人が誰に打たれたと訊くと太郞方《たらうがた》と答へた。

 

       (其の七)

 昔、同町の或所に一匹の老猫があつた。此猫人間に化けて淨瑠璃(ジヨウルリ[やぶちゃん注:ママ。])を上手に語つた。或時例(イツモ)の樣に近所隣りの人達が大勢集まつて其語り物に聽き惚れて居ると、或旅人が疲れたので、墓場から棒片(ボウキレ)を拾つて、杖について其家の前を通りかゝつた。そして大勢の人々が猫の啼き聲に感心して居るのを見て不思議に思つて、其譯を訊くと、前のやうな事なので、自分も其淨瑠璃を聽かうと思ふが如何《どう》耳を傾けても矢張りたゞの猫の啼聲《なきごゑ》である。其所に居た人々が旅人の杖を借りてつくと成程普通の猫の啼聲であつた。

[やぶちゃん注:この「棒片(ボウキレ)」というのは、恐らくずっと古い時代の徳のあった人物(僧か)の卒塔婆の縦長の破片であったのではなかろうか。]

 

       (其の八)

 又同じ町の新田某と云ふ人の家の飼猫はよく物眞似をしたが、なかでも淨瑠璃語《じやうるりがた》りが上手であつた。師走の十四日の阿彌陀樣の緣日などには、其寺で打ち鳴らす鐘の眞似などまでして人々を驚かして居た。

 

       (其の九)

 昔の話であるが、同所の某家で一匹の猫を飼つて居た。同家の嫁女《よめぢよ》が或夜鐵漿《おはぐろ》をつけ終つて鏡を見てゐると、其猫が人語《じんご》を發して、あゝよくついたついたツと言つた。嫁は大變驚いて其由《よし》を夫《をつと》に告げた。そして尙重ねてあんな化猫を飼つて置けばどんな事が起るか分らないから早く殺した方がよいと頻りに言つた。夫も初めの中《うち》はそんな事があるもんかと言つて氣にもとめなかつたが、嫁が餘り氣味惡がるので、遂に之れを殺して裏の畠の傍(ホトリ)に埋《う》めた。

 翌年の春猫を埋めた邊(アタリ)から大層勢《いきおひ》のよい南瓜《かぼちや》が生へ[やぶちゃん注:ママ。]て茂り、素敵な大きい南瓜が實《みの》つた。町内でも珍しく大きなものであつたので、其家では喜んで取つて煮て食ふと、忽ちアテられて、家族が皆枕を並べて病《や》み苦しんだ。巫女《みこ》に裏[やぶちゃん注:「占」に同じ。]を引いて貰ふと、生物(イキモノ)を殺した事はないか、それが崇(タヽ)つて居ると云ふ。よつて其の南瓜の根を堀[やぶちゃん注:ママ。]つてみると、不思議にも猫の骸骨の口から蔓の根が生へ[やぶちゃん注:ママ。]出してゐた。

  (昭和三年の冬の頃。その三乃至九迄岩城と云ふ
   法華行者《ほつけぎやうじや》の人から聽いた
   話の八。)

[やぶちゃん注:この話の猫のニャアニャア声が、「あゝよくついたついたツ」「ニャアァ~ニョ~クッニィタ~ッ」と聴こえてしまうことは、いかにもありそうなことではある。]

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