佐々木喜善「聽耳草紙」 六七番 瘤取り爺々(二話)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
六七番 瘤取り爺々(其の一)
昔或所に、額に拳ほどの瘤のある爺が二人あつた。二人の爺どもは、其瘤が如何にも見つともないから、取つて貰はうと、或山奧の神樣に詣《まゐ》つて願をかけて夜籠《よごも》りをして居た。眞夜中頃になると、何だか遠くの方で音がする。それが追々近くなると、賑やかな笛太鼓の囃《はやし》の音になつた。何だらうと思つてゐるうちに、はや其音が一の鳥居の處までやつて來た。
トレレ、トレレ、トヒヤラ、トヒヤラ、
ストトン、ストトン
という囃の音が、神樣の長殿(ナガトコ)に入つて來た。これはたまらぬと二人の爺が片隅の方へ隱れようとすると、隱れるか隱れぬうちに、社の戶がガラリと開いて、丈(タケ)が六尺もある赤ら顏の鼻高《はなたか》どもが、四五人連れで入《はい》り込んだ。天狗であつた。[やぶちゃん注:「長殿」寺院等で、板敷の上に一段座を高くして、横に長く畳を敷いた所。ここで、僧などが修行をしたりした。当時は神仏習合で別当寺などもあったので違和感はない。]
トレレ、トレレ、トヒヤラ、トヒヤラ
ストトン、ストトン
かう其天狗共は囃して居たが、いかにも囃ばかりで舞ひ手のない神樂《かぐら》には、天狗どもも倦《あき》ると見えて、互《たがひ》に舞を勸め合《あ》うた。けれども如何《どう》してか其中に舞の出來る天狗が居なかつた。そこで一人が忌々《いまいま》しさうに脇を向く拍子に、隱れて居た二人の爺は見顯はされた。何だ、そこに人間の爺共が居たのか、そんなら早く出て來て舞を舞へと、立つて來て一人の爺の袖を牽《ひ》いて皆の眞中《まんなか》に突出《つきだ》した。怖いこと此上もない、だが、其囃方がいかにも面白かつたので、其爺は調子に乘せられて、こんな歌を唄ひながら踊つた。
くるみはパツパぱあくづく
おさなきやアつの
おツかアかアの
ちやアるるウ
すツてんがア
此歌を三度繰返して歌ひながら舞ふと、天狗だち[やぶちゃん注:ママ。]は、すつかり興じて、手を叩いて褒めはやし、そして皆で斯《か》う言つた。折角のよい舞だが、どうもお前の額の大瘤《おほこぶ》のために、面の作りがよく見えね。其瘤を取つてやらう。ほんとに善《よ》い舞人だと言ひながら、天狗どもは爺の額の瘤を綺麗に取つてしまつた。爺は急に頭が輕くなつたやうな氣がして、喜んで引下《ひきさが》つた。
さて其次には、もう一人の爺の方が、圓座の眞中に引張り出された。さあさお前も舞つて見いと言つて、天狗どもは囃し立てた。
トレレ、トレレ、トヒヤラ、トヒヤラ
ストトン、ストトン
併し此爺は、あまり怖いので體ががたがたと顫《ふる》へて、膝が伸びなかつた。だが皆にせき立てられて、仕方なく斯う歌ひながら、體を動かした。
ふるきり、ふるきり、ふるえンざア
こオさアめの降る時は
いかにさみしや
かろらんとも、すツてんがア
だが折角の歌も聲が顫へ、齒ががぢやがぢやでは了(ヲ)えない。おまけにひどく調子が低いので、陽氣好きの天狗どもは厭な顏をして、もう少し元氣よくやつてくれとせがんだ。爺はいよいよ縮み上り、到頭其處に尻餅をついて、わわわわと泣き出した。
天狗どもは散々に機嫌を惡くし、臆病にも程がある、それほど俺達の顏が奇態だと言ふのかとの言ひ分、折角の面白い神樂を泣潰《なきつぶ》してしまつた。二度ともうお前のやうな爺には逢ひ度くない。此瘤でも持つて還れとばかり、先の爺から取つた瘤をその爺の鼻の上に投げ付けた。爺は驚いて鼻の上をこすり廻したが、もう遲かつた。前の瘤の下に又一つ大きな瘤が出來て、まつたく變な爺になつてしまつた。
(和賀《わが》郡黑澤尻町《くろさはじりちやう》
邊の話。家内が祖母から聽いて記憶して居たもの
の分。)
[やぶちゃん注:囃し唄の歌詞はよく意味が分からない。
「和賀郡黑澤尻町」現在、岩手県北上市黒沢尻(グーグル・マップ・データ)があるが、旧町域は遙かに広い。「ひなたGPS」の戦前の地図を確認されたい。]
(其の二)
或所に額に大きな瘤のある爺樣があつた。ある日山へ木伐りに行つて、もう少しもう少しと思つて居るうちに日が暮れてしまつて歸れなくなつたので、其所の山ノ神樣の御堂の中に入つて泊つて居た。
さうすると夜半頃になると、山奧から大鬼や小鬼どもが大勢下つて來て、走せツドして、御堂をぐるぐる廻りながら、斯う歌つた。
一ボコ
ニボコ
三ボコ
四ボコ…
そして變な格好して踊り廻るので、瘤爺も初めのうちは怖(オツカナ)くて御堂の隅コから默つて見て居たが、その踊りの調子がだんだんと面白くなつて、とてもじつとしておられなくなつ
たので、いきなり御堂から飛び出して、鬼どもの後に立つて踊りながら、鬼どもの歌にこ
うつけ加えた。
……俺も足して
五ボコ
鬼ども、
一ボコ
二ボコ
三ボコ
四ボコ
瘤爺樣、
俺も足して
五ボコツ
そして爺樣は鬼どもと一緖になつて、夢中になつて夜明けまでさうして踊り廻つて居た。
その中《うち》に何所かで鷄が啼くと、それやツ夜が明けると言つて、鬼どもが大層あわて出し、爺樣々々、お前の踊りも歌もとても面白いから明日(アス)の夜も來《こ》ヘツ、それまで其のお前の額の瘤を預つて置くと言つて、厄介物の額の瘤をぽつりと取つてしまつた。爺樣はわざとあわてて、鬼樣々々、其瘤は寶瘤だからと言ふと、鬼どもは笑つて、明晚來たら返すと言つて、わりわりと奧山の方へ歸つて行つた。[やぶちゃん注:「わりわりと」「わらわらと」と同じであろう。「急いで、ばらばらと散ってゆくさま」の意で表はよかろうが、他に「陽気なさま」の別な意も含ませてあるか。]
爺樣は急に身輕になつたやうな氣持ちで、喜んで家に還つた。
隣家にも同じやうな瘤爺があつた。其家の婆樣が來て見て、爺樣の額の瘤が無くなつたのを見て驚いて其譯を問ふた。昨夜の事を話すと、それでア俺家(オラエ)の爺樣も其所さやんべえと言つて、隣家の婆樣は歸つて行つた。
隣家の瘤爺も婆樣にすゝめられて其山の御堂に行つて夜籠りをして居た。すると話のやうに夜半頃になると、奧山から大鬼小鬼どもが下りて來た。
一ボコ
二ボコ
三ボコ
四ボコ
と歌つて御堂をぐるぐる踊り廻つた。こゝだとばかり其爺樣も御堂から飛び出して、それに調子を合はせて、一緖になつて
…三ボコ
四ボコツ
と言つて走せ廻つた。すると鬼どもが大層不機嫌で、爺樣昨夜のやうに歌へツと言つた。それで爺は益々《ますます》一生懸命に、
三ボコ
四ボコッ
と繰り返した。鬼どもは手を叩いて、あとは、あとはと囃し立てた。けれども爺々はやつぱり其後(アト)を知らなかつた。
鬼どもは大變ゴセを燒いて(怒つて)、お前があれ位《くらゐ》大事がつた物ツ、それやツ返してやるツと言つて、昨夜の爺樣の瘤を取り出してぴつたりと額に打ツつけて、それやツ早く歸れツと言つた。
(西磐井《にしいはゐ》郡湧津《わくつ》村に殘つて
ゐる話。昭和五年六月某日、龜島光代氏の談話。)
[やぶちゃん注:「西磐井郡湧津村」現在の一関市花泉町(はないずみちょう)涌津(グーグル・マップ・データ)。]