佐々木喜善「聽耳草紙」 六四番 野槌
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
六四番 野槌
河原の某と云う者があつた。朝草刈に片澤と云ふ所へ行つて、いつもの通り何の氣もなしに草を刈つて背負つて來て、馬に喰はせべえと思つて見たら、胴ばかりの蛇が刈草の中に入つて居た。
次の朝また片澤へ行つて見たら、胴の無い藁打槌《わらうちづち》のやうな格好の蛇が眼を皿のたうにして睨んでゐた。これはきつと昨日の蛇だと思つて、これから此澤に入りませんし、オドコ(祠)を建てゝ、祭りますから、祟らないでケロと言つて歸つた。
其後何代かが過ぎて喜代人《きよと》と云ふ人が、其言ひ傳へを聞かずに、其所へ草刈りに行くと、頭ばかりの槌のやうな蛇が居《ゐ》たつた。見て歸つて病氣になつて死んだ。それからは現在も其所の草は刈らないことにしてゐる。
(閉伊郡遠野鄕佐比内《さひない》村の話。菊池一雄氏
御報告分の三。この野槌の話は私の村にもあつた。卽
ち或男が例の通り朝草刈に行くと間違つて鎌で蛇の頭
を切つてしまつた。其男は老人達の話を聽いてゐたも
のだから、直ぐに蛇に、これは俺の故(セイ)でア無
いよ。鎌の故だよ。祟らば鎌さ祟れと言つて歸つた。
それから丁度三年目に其所で草を刈つて居ると、藁打
槌のやうな頭ばかりの蛇が、草の中からいきなり鎌に
嚙みついた。其時鎌で突詰《つきつ》めて眞實《まこ
と》に殺したと謂ふのであつた。)
[やぶちゃん注:「野槌」所謂、「ツチノコ」(槌の子)「野槌蛇」で、実在しない(と私は断言する)異蛇であるが、「古事記」「日本書紀」に登場する『草の女神』とされる「カヤノヒメ」の別名に「野椎神(ノヅチノカミ)」があり、鎌倉時代の仏教説話集「沙石集」には、「徳のない僧侶は、深山に住む槌型の蛇に生まれ変わる。」とあり、「生前に口だけが達者で、智慧の眼も、信の手も、戒めの足も無かったため、野槌は、口だけがあって、目や手足のない姿なのだ。」と言及が既にあり、江戸時代になると、しきりに本草書や怪奇談に出現するポピュラーな未確認生物ではある。「南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(18:野槌)」で熊楠が詳説し、私も詳しく注を附しているので見られたい。また、最近の私の電子化注では、『早川孝太郞「三州橫山話」 蛇の話 「引越して行つた蛇」・「群をした蛇」・「ヒバカリの塊り」・「烏蛇の恨」・「ツト蛇」・「人の血を吸ふ蛇」』の「ツト蛇」がそれであるので、参照されたい。未だに「実在する」と主張する連中はいるが、一度として生体が捕獲されたことは、ない。私の記事でも以上を含めて、二十件で言及している。
「河原」「片澤」附記に「閉伊郡遠野鄕佐比内村」とあり、これは現在の岩手県紫波郡紫波町(しわちょう)佐比内(グーグル・マップ・データ)である(遠野市市街から北西約二十八キロメートル)。「ひなたGPS」で戦前の地図を見ると、「佐比内村」のここに「川原町」があるので、「河原」は地名で、ここであろう。「片澤」は見当たらないが、現在の「川原町」に相当する箇所を右の「国土地理院図」で見ると、「芳沢」と、その南西に「片山」があるので、この中間地点附近が、候補となろうかとも思われる。グーグル・マップ・データ航空写真ではここに当たる。]