佐々木喜善「聽耳草紙」 九七番 鮭の翁
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
九七番 鮭の翁
氣仙郡花輪村の竹駒と云ふ所に美しい娘があつた。或時此娘を一羽の大鷲が攫《さら》つて、有住村の角枯《すのが》し淵《ぶち》に落した。すると淵の中から一人の老翁が出て來て其背中に娘を乘せて、家に送り屆けてくれた。
實は此老翁は鮭の大助であつた。そして後に其老翁は强いて娘に結婚を申込んで遂に夫婦となつた。その子孫は今でも決して鮭を食はぬさうである。
(大正九年八月二十一日。柳田先生、松本信廣氏と共に閉伊海岸を旅行して鵜住居《うのすまゐ》村の大町久之助翁から聽いた話の一。遠野町裏町のコーアンと云つた醫者の愛娘《まなむすめ》が一夕表へ出で街路を見て居たが、そのまゝ行衞不明《ゆくへふめい》になつた。それから三年ばかり經つてからの或日、不意に、あろう事か臺所の流シ前から一尾《いちび》の鮭が家の中へ跳込んだので、其れが失踪した娘と關はりのあることであらうとの事から此家では鮭を食はなかつた。これは友人俵田浩氏談。)
[やぶちゃん注:附記は底本では頭の丸括弧が一字分、上に出ている外は、全体が三字下げでポイント落ちであるが、長いので、同ポイントで総て引き上げた。
「氣仙郡花輪村の竹駒」現在の岩手県陸前高田(りくぜんたかた)市竹駒町(たけこまちょう:グーグル・マップ・データ航空写真)。
「有住村」旧気仙郡。現在の岩手県陸前高田市下有住(グーグル・マップ・データ航空写真)、及び、その東に接する上有住。竹駒町の北方十七キロメートル以上にある。
「角枯し淵」不詳。読みは「ふりがな文庫」のここの、佐々木の「東奥異聞」の読みを参考に、原文当該部(国立国会図書館デジタルコレクションの一九六一年平凡社刊『世界教養全集』第二十一巻のここ(右ページ下段二行目))で確認した。
「柳田先生」柳田國男。
「松本信廣」(のぶひろ 明治三〇(一八九七)年~昭和五六(一九八一)年)は民俗学者・神話学者。事績は当該ウィキを参照されたいが、そこにも書かれている通り、彼は戦中に『「大東亜戦争の民族史的意義」を唱え、南進論を主張』し、一九三〇『年代に、大日本帝国が南進政策を展開しはじめると、日本神話と南方の神話の類似を指摘する松本の研究は、日本が南方に進出し、植民地支配を正当化する根拠を示すという点で、政治的な意味を持つようにな』った結果を惹起しており、好きでない。
「閉伊海岸」旧閉伊郡(へいぐん:明治一二(一八七九)年一月四日完全廃止)はこの中央の南北が海岸線に当たる(グーグル・マップ・データ)。
「鵜住居村」現在の岩手県釜石市鵜住居町(うのすまいちょう:グーグル・マップ・データ航空写真)。]
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