大手拓次 「岡よりくる夏」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『散文詩』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正期(元年は一九一二年)から昭和期(拓次の逝去は昭和九(一九三四)年四月十八日午前六時三十分)年までの、数えで拓次二十六歳から死の四十七歳までの『散文詩約五〇篇中より一七篇』を選ばれたものとある。そこから、詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ。]
岡よりくる夏
悌順な性を持つてゐる下枝(したえだ)の、まだ固く卷かれてゐる葉がほの白い水氣(すゐき)をふくんで伸張するとき、やはらかい銀色の生毛(うぶげ)は露をおびてふるへる。春は人人の感觸のうちに更生の種子を殘してかろく去りゆき、酣醉(かんすい)をのろふ愁殺(しうさい)たる僞笑(ぎせう)はもとほりつつ、その官能の疾驅のうちに豐滿なうつり香をおくのである。われらは、足のない季節の廣漠たる迫進の律動によつて押され、誘はれ、導かれて古甕の如き夏の暗さに入る。
乾草の夢を湛へた家畜は軟草の燻蒸(くんじよう)する香に淚ぐむ。
くみ合せた二人の手は汗ばんで分れる。
鳥は、碧空に向つてとび、痙攣するかすかな物音は野をこめて、くらく、しづかな夏はくる。
[やぶちゃん注:「悌順」「弟順」とも書く。兄や年長者に対して従順なことを言う。
「性」大手拓次は実際には、原稿では詩篇の漢字に有意にルビを振っているらしい(原氏による)が、底本では、原氏が読みが振れないものは、ルビを附さないとされているので、これは「しやう」ではなく、「せい」と読んでいると考えてよい。植物の性質の「せい」でよかろう。
「酣醉(かんすい)」原義は、十分に酒を飲んで酔うことを言う。
「愁殺(しうさい)」非常に憂え悲しむこと。また、この上なく嘆き悲しませること。「殺」は強意の添え字である。「しうさつ」とも読む。
「もとほりつつ」「𢌞(もとほ)りつつ」。「もとほる」は、多くの場合、「立つ」・「行く」・「這(は)ふ」などの連用形について「巡る・回(廻:まは)る」の意。「古事記」に既に見られる上代語である。拓次の好んだ語である。]
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