大手拓次 「綠の惡魔」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『散文詩』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正期(元年は一九一二年)から昭和期(拓次の逝去は昭和九(一九三四)年四月十八日午前六時三十分)年までの、数えで拓次二十六歳から死の四十七歳までの『散文詩約五〇篇中より一七篇』を選ばれたものとある。そこから、詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ。]
綠の惡魔
寢床のなかにゐると、あるひとつの音階をふんで幻影がながれよる。野にけむる骨をもとめる生きものの群れのやうに、ひそみかくれた隱忍のけはひが物すごく跪拜して、とりとめもない法念のうごきが顯滅する。鬼火のやうにふらりふらりとやはらかく死の假面をたたかうとして私の心はもだえはじめた。しかし、喪衣をつけた嵐はかけてゆく、かけてゆく。一輪の花の永遠をはこぶ接吻(ベーゼ)もかきみだれる。この動搖し戰慄する夜(よる)のふかい底からわきあがつてきて私をひき去らうとするものがある。ちやうど水母(くらげ)のやうに軟質の、しかも强靭性をもつてゐて、幅のある軀幹はおほきく一面に感觸のうへの闇を場どつてゐる。あゐ色から土ぼけた灰色にかはつてゆくうなり聲は私の皮膚の全面におしかぶさる。
拔羽を嘴(くち)にくはへて身ぶるひをする鳥、私はそんな思ひがした。
[やぶちゃん注:「軀幹」の「軀」は底本の用字。
「接吻(ベーゼ)」拓次の専門であるフランス語では“baisers”(「ベェズイ」)。ドイツ語の同義の“baiser”は、しばしば、「ベエゼ」「ベーゼ」とカタカナ書きするのが普通だが、実際のドイツ語では「ビィズィ」に近い。大手拓次譯詩集「異國の香」の『「緣(ふち)」(ボードレール)』の一節では、『接吻(ベエゼ)』と振っている。]
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