佐々木喜善「聽耳草紙」 八四番 盲坊と狐
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題にはルビがない。「めくらばうときつね」と訓じておく。]
八四番 盲坊と狐
或所に廣い野原があつて其所にどうも惡い狐が棲んで居て、そこを通つて町へ行く人を騙して仕樣がなかつた。本當に惡い狐だ、誰か捕つて來る者はないかと云つても、行けば騙され騙されして、誰も行く者がなくなつた。そこで村の人達は寄合ひを初めて、あの野原の狐を卷狩りするべえ、よかんベアと云ふ事になり、村中總出で原中を駈け𢌞つても、狐に馬鹿にされるばかりで何の甲斐もなかつた。
其所ヘ一人の座頭ノ坊樣が琵琶箱を背負(シヨ)つて通りかゝつた。そしてこれこれ村のお旦那樣達が斯う多勢のやうだが、何をめされて居申《ゐまう》せやと訊いた。村の人達は、俺達はこの原の惡い狐を退治すべえと思つて、かうして多勢寄り集まつて居るんだが、狐が古(フル)シ奴だから、なかなか捕へることが叶わぬと云ふと、ボサマは其では俺が捕へてやり申すべえから、且那樣方は一旦村へ歸つて、大きな白布の袋の長さ二間[やぶちゃん注:約三・六四メートル。]もある奴と、油搗げ鼠とをこしらへて持つて來申され。そして俺にはどうか酒肴を持つて來てウント御馳走してたんもれと言つた。村の人達は狐にはアクネハテて[やぶちゃん注:「持て余して呆れ果てて」の意か。]いたところであるから、ほだらボサマの云ふ通りにするから、是非惡狐《わるぎつね》を捕つてケもせやと言つて、ぞろぞろと村の方へ引き上げて行つて、夕方ボサマの注文通りの物を持つて來た。
坊樣はその大袋の一番イリ(奧)のところに、鼠の油揚げを入れて、袋の入口には突張木(ツツパリギ)をかつて[やぶちゃん注:「引っ掛けて」か。]、口を開けておいて、その前で酒コを飮みながら、琵琶箱から琵琶を取り出して、ジヤン、ジヤランと搔き彈《だん》じながら、ジヨウロリコ[やぶちゃん注:「淨瑠璃」か。]を唄つて居た。中頃になると、その惡い狐をはじめ野中の多勢の狐どもが、ぞろぞろと寄つて來て、袋の中の鼠の油揚げの香《にほ》ひを嗅ぎながら、ボサマボサマ、お前は何をして居ると言つた。ボサマはあれア狐どもが來たなアと思つたから、俺は盲坊で誰方《どなた》だか分らないが誰方でもいゝから此の袋の中の御馳走を食べなされヤ。俺は斯うして酒コを飮んで居るからと云つて酒コを飮み飮み、いよいよ琵琶を掻き彈(ハダ)けて歌を唄つた。すると惡狐をはじめ多くの狐どもが、ほだら俺達ア踊るべえと言つて、ボサマの歌に連れて、
グエンコ、グエンコ
グエンコラヤア
と言つて踊りを踊つたが、その實《じつ》踊を踊る振りをして足音をごまかして、袋の中の油揚げ鼠を喰(タ)べに、ぞろぞろと袋の中へみんな入つて行つた。ボサマは耳イ澄まして其を聽いて居たが、狐どもが皆袋の中に入つた時、袋の口をギリツと結び締めた。さうしてやつぱり大聲を張り上げて、斯う歌ひながら、ウント琵琶を搔き彈《はだ》けた。
村の衆達(シユダチ)な申し
早く大きな槌《つち》ウ
持つて來もせアじア
野中のウ惡狐(ワルギツネ)どもア
みんな袋さへし込んだア
すると村の人達は、それアと云つて大きな槌を持つて走《は》せて來て、そしてボサマの琵琶の音に合はせて、斯う云ふアンバイに其狐どもを、みんな槌で撲《ぶ》ちのめして殺した。
ジヤンコ、ジヤンコツ(ボサマの琵琶の音)
あツグエゲラグエンのグワエン(狐の啼き聲)
そうらツ、ジエンコ、ジエンコ
やらツどツちり、ぐわツチリ(槌の音)
あツグエゲラグワエンのグワエン
それアまた、ジエンコ、ジエンコ
よウしきたツ、どツちり、ぐわツチリツ
あツグエンゲラグエンのグワエン
(村の内川谷三と云ふ者の話。この話は結末のボサマ
の彈く琵琶の調子と狐の啼き聲と村の衆の槌の音とが
交錯して、殺さんとテンポが急調になるところに興味
のある話。大正九年冬の蒐集の分。)
[やぶちゃん注:金成陽一著「賢治ラビリンス」(二〇二〇年彩流社刊)によれば、宮澤賢治の数少ない生前発表童話の一つである「オツベルと象」(詩人尾形亀之助主催の雑誌『月曜』創刊号(大正一五(一九二六)年一月発行)初出)の最終章「第五日曜」で、議長の象が『オツベルをやつつけやう』(所持する筑摩書房校本版から引用)と高く叫ぶシークエンス以下、コーダ部分のオノマトペイアとの類似性の指摘があることを附記しておられる(同書は所持しないが、「グーグルブックス」のこちらを参看した)。「オツベルと象」は現代仮名遣であるが、「青空文庫」の当該作の最後のそれを見られたい。]