「近代百物語」 巻三の二「磨ぬいた鏡屋が引導」
[やぶちゃん注:明和七(一七七〇)年一月に大坂心斎橋の書肆吉文字屋市兵衛及び江戸日本橋の同次郎兵衛によって板行された怪奇談集「近代百物語」(全五巻)の電子化注を始動する。
底本は第一巻・第三巻・第四巻・第五巻については、「富山大学学術情報リポジトリ」の富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」のこちらからダウン・ロードしたPDFを用いる。しかし、同「ヘルン文庫」は、第二巻がない。ネット上で調べてみたが、この第二巻の原本を見出すことが出来ない。そこで、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載るもの(底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていないことが判ったばかりであった)を底本として、外の四巻とバランスをとるため、漢字を概ね恣意的に正字化して用いることとした。なお、「続百物語怪談集成」からその他の巻もOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。]
磨(とぎ)ぬいた鏡(かゞみ)屋が引導(いんだう)
「女に、五障(しやう)の罪、あり。」
と、いふも、みな、「愚痴」より、おこる事ぞかし。
[やぶちゃん注:「女に、五障の罪、あり」ウィキの「五障」によれば、釈迦の『入滅後、かなり後代になって、一部の仏教宗派に取り入れられた』女性差別の『考え』方『で、女性が持つとされた五つの障害』、『「女人五障」ともいう。女性は梵天王、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏陀になることができない、という説である』が、『釈迦の言葉ではなく、仏教本来の思想ではない。ヒンドゥー教の影響から出てきた考え方とされる』とある。所謂、どんなに優れた仏徳を以ってしても、女性は、一度、男性に生まれ変わらなければ、極楽往生は出来ないとする「変生男子」(へんじょうなんし)説と同類である。]
今はむかし、上總の國、八尾(やお[やぶちゃん注:ママ。])村といふ所に、「たんばや吉助」と[やぶちゃん注:ルビがない。「きちすけ」と訓じておく。]て、「割(きざみ)たばこ」を賣りて、世をおくり、家業、すこしもおこたりなく、朝、とく、出でて、近へんを、賣りまはり、朝飯(あさはん)、しまへば、割たばこ・油・もとゆひ紙・墨・筆など、一荷にして、昼食(ちうじき)を藤藍(こり)[やぶちゃん注:藤蔓で編んだ行李(こうり)。]に入れ、町々近鄕、賣りありく。
女房「おせん」は、夫の留守、「みせあきなひ」と、たばこの葉どり、吉助は、晚に及び、宿にかへりて、洗足(せんそく)し、夕飯を、くふやいなや、又、切ばん[やぶちゃん注:刻み煙草を作るための作業台であろう。]に、おしなをり[やぶちゃん注:ママ。]、夜半のころ、箱に入れ置き、いかなる風雨(ふうう)・雪の日も、すこしも、あしを、やすめばこそ、元日ばかり、年中のたのしみに、しけるにぞ。
衣類・諸道具、相應に、夫婦のあいだ、むつまじく、世を、おもしろく、わたりける。
或とき、夫婦、酒宴に、たがひに、ほろゑひ、世間ばなし。
吉助、おせんにいひけるは、
「其ほうと、斯(かく)夫婦になり、十年あまりをおくる中(うち)に、男子、一人、ありけれども、驚風(きやうふう)にて、むなしくなる。其のち、九年に、およべども、今に出生(しゆつしやう)あらざれば、もはや、此のち、子は、あるまじ。人の生死は、はかられず、我ら、さきだつ事あらば、そなたの、㐧(おとゝ)平七を、養子として、これにたより、一生を、おくるべし。」[やぶちゃん注:「驚風」漢方で小児の「ひきつけ」を起こす病気の称。現在の癲癇の一つの型や、髄膜炎の類いとされる。]
と、いと、ねんごろにかたりしかば、おせんも、
「莞爾(につこ)」
と、打ちわらひ、
「つねづね、無病の御身なれば、なんぞ、さきだち給ふべき。我が身は、平日(つね)に肝積(かんしやく)あれば、いつぞは不慮に死に申さん。さあるときには、一つのねがひ、お叶へなされ下されかし。心がゝりは、これぞ。」[やぶちゃん注:「肝積」「続百物語怪談集成」では『癇癪』とある。肝臓にいる虫が悪さををして、ヒステリーを起こすと考えられた症状を指す。]
とて、しみじみと、たのみければ、吉助も、ともに笑ひ、
「ねがひとは、いかなる望み、身に應じたる事ならば、心のごとく、おこなふべし。去りながら、養生して、ずいぶん、無病になり給へ。さるほどに、望みとは、何等(なんら)の事ぞ。」
と尋づぬれば、おせん、よろこぶ色、見へて、傍(そば)に、さしより、小聲になり、
「我が身のねがひの、しなじなを申すも、なかなか、恥かしけれど、申さぬも、また、まよひなれば、つゝまず、あかし申すなり。いかなる過去の宿業(しゆくがう[やぶちゃん注:ママ。])にや、生得(しやうとく)として、悋氣(りんき)ふかく、死して、其まゝ引わけられ、野邊のけふりとなりなん事、此とし月の、なげきぞかし。何とぞ、七日、此家(や)にとゞめ、衣裳をも、あらためて、紅粉(べに)・白粉(おしろい)を粧(よそを[やぶちゃん注:ママ。])はせ、『おせんよ、妻よ、』と、いふて、たべ。」[やぶちゃん注:「悋氣」嫉妬心。]
と、なみだと惧(とも)に、たのみければ、吉助も、なみだぐみ、
「何事かとおもひしに、はなはだ、やすき望み事。しかし、さやうの心の出づるも、ひとへに積(しやく)のわざなるべし。とかく、心の養生、しや。」
と、いひなぐさめて、臥しけるが、其としの秋もたち、十月の中旬より、おせん、顏色、平日(つね)にかはり、次㐧(しだい)次㐧に、大病の、霜月すへには、必死の躰(てい)、たのみすくなく見へけるが、ある夜、夫を、ちかく、まねき、
「我が身、今般の、びやう氣の、おもむき、快氣は、なかなか、おもひもよらず、死も、はや、ちかしと覚ゆれば、かねて申しかはせしごとく、おたのみ申す。」
と、さゝやけば、吉助は、
「痛はし、痛はし、心、やすかれ。望みのとをり[やぶちゃん注:ママ。]、とりおこなひ申すべし。臨終を、正ねんに。」
と、いひ聞かすれば、うれしげに、咲面(ゑがほ)を、此世のおきみやげ、無常の風にさそはれゆけば、吉助、なみだ、せきあへず。
いざ、葬らんと、おもへども、末期(まつご)までも、くれぐれと、賴みおきたる事なれば、新(あらた)なる衣裳を、きせかへ、紅粉・おしろいにて、面(かほ)を粧ひ、生(いけ)るがごとく、壁によせかけ、香花(かうげ)をそなへおきけるが、二日目の初夜どき[やぶちゃん注:戌の刻。現在の午後八時頃。宵の口。]より、誰(たが)いふとなく、亡者(もうじや)の居間(いま[やぶちゃん注:ママ。])より、
「吉助殿、そこにか、」
と、おせんが聲して、よびかくる。
吉助、
「たれじや。」
と、行きけるが、人音とても、あらざれば、
「これは。不審。」
と、あたりを見れば、亡者にも、別條なく、肌(はだへ)は、ひへて、ありながら、顏色すこしもかはらねば、吉助も、身の毛だち、
「ぞつ」
とは、すれど、みせへ出で、たばこ切らんとする所に、また、
「吉助殿、そこにか、」
と、一度こそあれ、二度こそあれ、三度におよべば、そこ氣味あしく、後々(のちのち)は、
「吉助殿、そこにか、」
といふ每(ごと)に、
「いかにも。爰に。」
と、こたふるばかり。
傍(そば)へは、ゆかねど、夜昼(よるひる)のわかち、なければ、心氣も、つかれ、
『かくては、また、我が一命(めい)、亡者のために、うしなふべし、兎(と)はいへ、七日にたらざるに、葬送などをするならば、かく、おそろしき心から、たちまち、鬼(おに)とも、虵(じや)ともなり、我を、引きさき、くらはんは、鏡にかけて、見るごとく、何(なに)とぞして、此難を遁(のが)れん。』
とは、おもへども、すべき手だてもなき所に、五日目の晝まへに、「鏡とぎ」の、とをり[やぶちゃん注:ママ。]しを、
「これ、さいわひ[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、よび入れて、「おせん」がかゞみ、二、三めん、
「磨ぎ給はれ。」
と、取り出だし、賃銀も相應に、やくそく、きわめ、茶・たばこ、出(いだ)し、
「扨(さて)、わたくしは、此たばこ、うら町へ、もちゆくあいだ、しばしのうち、鏡屋殿、留守を、おたのみ申すべし。且つ、また、女房、二、三日、大ねつにて、奧の間に、うちふし居(い[やぶちゃん注:ママ。])申し、時々に、『吉助殿、そこにか、』と、たづねる事の候べし。其時は、御世話ながら、『爰(こゝ)に。』と、おこたへ下さるベし。」
と、たのみおきて、吉助は、矢を射るごとく、出でさりけり。
[やぶちゃん注:富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」からトリミングした。キャプションは、
*
女のたま
しひに
鏡(かゞみ)は
たとへし
物なり
また常(つね)
常[やぶちゃん注:底本では踊り字「〱」。]
手(て)なれ
し物ななれ
一念(ねん)を
も
是に
当るべく おぼゆ
《「鏡磨ぎ」の台詞。まず、下方中央。》
はてせわし
なひ[やぶちゃん注:ママ。]
まひり
ます
まひります[やぶちゃん注:底本では踊り字「〱」。]
《「鏡磨ぎ」の台詞。中央左。彼の右手脇。》
五十か八十する
する[やぶちゃん注:底本では踊り字「〱」。]
さていそかしい
*
柱に角形の的型の店看板のようなものがあり、そこの「新田」とある。しかし、吉助の屋号は「たんばや」で不審。商標か。また、最後の「鏡磨ぎ」の「五十か……」以下の台詞は「続百物語怪談集成」にはない。この部分、他のキャプションに比して、墨色が薄く、書き方が如何にも素人による無理なせせこましい書き方(踊り字「〱」と判じた箇所)なので、或いは、小泉八雲の蔵本になる前の、旧蔵者の家人が落書した可能性がある。]
鏡屋は、わき目もふらず、一心ふらんに、磨ぎける所に、おくより、女の聲として、
「吉助殿、そこにか、」
と、尋(たづ)ぬれば、鏡屋も、おなじく、こたふ。
それより、たんたん[やぶちゃん注:ママ。]、せわしくなれば、「かゞみとぎ」も、はらを、たて、
「最ぜんより、爰に。」
と、いふに、
「あた、やかましい。」
と呵(しか)るにぞ、女、いかりの聲を出し、
「ねたましの我が夫や、はや、其ごとく、あき給ふか。『生きかはり、死にかはり、万劫までも、はなれじ。』と、心にこめし、かひもなく、いとしさ、かへりて、恨みのもとひ、ともに、冥途に、いざなひ、ゆかん。」
と、よろめき出づれば、かゞみ屋、おどろき、
「何ものやらん。」
と見かへれば、コハいかに、色、あをざめ、眼眥(まなじり)さがりに、みだれ髮、くちびるの色、くれなゐに、
「遁(のが)さじもの。」
と、齒がみを、なし、一もんじに、とびかゝれば、
「命あつての、かゞみとぎ。」
[やぶちゃん注:富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」からトリミングした。キャプションは、
*
昔(むかし)こそ
道成寺(とうせうじ[やぶちゃん注:ママ。])
の
事
世(よ)に人(ひと)の
知(し)れる
所也
女の一念(いちねん)
こそ
おそろ
しき
物
なれ
《鏡磨ぎの台詞。中段上。》
のふおそろ
しやおそろしや[やぶちゃん注:後半は踊り字「〱」。]
《女の亡者の台詞。最下段。》
いづく
まて[やぶちゃん注:ママ。]
も
ゆるし
は
せぬ
*
本図を見る以前から、本文の後半の修羅は謡曲「道成寺」のインスパイアであることは明らかであった。]
と、其まゝおもてへ、はしり出で、ふだん、信ずる光みやう眞言、くりかけ、くりかけ、あしに、まかせて、五、六町[やぶちゃん注:約五百四十六~六百五十五メートル。]、にげ行きて、ふりかへれば、はじめにまさる、其いきほひ、むかふには、大河(だいが)あり、おりふし、雪どけ水、かさ、まさりて、のがれんやうは、なけれども、
「もしも、天のたすけも、あらん。」
と、彼(かの)谷川(たにかは)に、
「ざんぶ」
と、飛びこみ、むかひのきしに、這(はい[やぶちゃん注:ママ。])あがれば、女も、川のなかばまで、追(おつ)かけしが、大おん、あげ、
「『なんぢを、生けては、おくまじ。』と、あとをしたふて、來たりしが、唱ふる『しんごん』の功力(くりき)にて、おもはず、今、成佛せり。これまでなり。」
と、いひ捨て、惡ねん、されば、死かばねは、水にしたがひ、ながれゆく。
所の人々、あつまりて、
「前代未聞の珍事。」
とて、死かばねを、ひきあげさせ、しよほう[やぶちゃん注:ママ。]に、手わけし、吉助を、たづねまわれ[やぶちゃん注:ママ。]ど、ゆきがたしれず。
すぐに、他國へ、ゆきたりけん、見し人とても、あらざれば、村中(むらぢう)として、葬送し、跡、ねんごろに吊(とふら)ひし。
[やぶちゃん注:吉助失踪というのは、私には拍子抜けの憾みがあった。]
« 只野真葛 むかしばなし (65) /「むかしばなし 五」~始動 | トップページ | 佐々木喜善「聽耳草紙」 八六番 兎の仇討 »