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2023/05/26

「近代百物語」 巻四の一「勇氣をくじく鬼面の火鉢」

[やぶちゃん注:明和七(一七七〇)年一月に大坂心斎橋の書肆吉文字屋市兵衛及び江戸日本橋の同次郎兵衛によって板行された怪奇談集「近代百物語」(全五巻)の電子化注である。

 底本は第一巻・第三巻・第四巻・第五巻については、「富山大学学術情報リポジトリ」の富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫のこちらからダウン・ロードしたPDFを用いる。しかし、同「ヘルン文庫」は、第二巻がない。ネット上で調べてみたが、この第二巻の原本を見出すことが出来ない。そこで、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載るもの(底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていないことが判ったばかりであった)を底本として、外の四巻とバランスをとるため、漢字を概ね恣意的に正字化して用いることとした。なお、「続百物語怪談集成」からその他の巻もOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。]

 

近代百物語巻四

  勇氣をくじく鬼面の火鉢

 國家、まさにおこらんとするときは、かならず、禎祥(ていしやう)あり。國家、まさにほろびんとするときは、かならず妖孽(ようけつ[やぶちゃん注:ママ。])ありと。いかさま、前表(ぜんひやう)は、興廃ともにある事ぞかし。

[やぶちゃん注:「妖孽」歴史的仮名遣は「えうけつ」或いは「えうげつ」が正しい。怪しい災い。災厄を齎す前兆。不吉な事件の前触れ。夭逆(ようげき)。]

 今はむかし、武田信玄公の御内(みうち)に大井田忠藏(おゝいだちうぞう[やぶちゃん注:ママ。])とて、万事に心よからぬ士あり。

[やぶちゃん注:「大井田忠藏」不詳。]

 生得(しやうとく)、どんよく・無礼にして、大酒(たいしゆ)をこのんで、邪婬を犯し、朋友とまじはるにも、物ごと、とかく、むつかしく、かりそめの事にも、理屈をつけ、邪智强慢(じやちかうまん[やぶちゃん注:ママ。])にいひなせば、參會も、うとく、五度が三度、三度が一度になりゆきて、のちには、途中にてのたいめんにも、默礼のみにぞ、なりにける。

 しかれども、生れつきの事なれば、おのれが、あしきといふ事を、しらず。

 召しつかひの男女にも、いさゝか、慈愛の心、なく、相應の給金にて、めしかゝへたるものなれば、

「我が心のまゝ也。」

とて、朝より晚まで、役儀を、いひつけ、片時(へんし)も休めず、せめつかひ、茶・たばこなども、數(かず)をきわめ、これに、たがへば、打擲(てうちやく[やぶちゃん注:ママ。「ちやうちやく」が正しい。以下でも同じ。])し、なさけといふ事、つゆ、しらず、人の難儀を、かへりみぬ傍若無人(ばうじやくぶじん)のふるまひなりしが、ある夜、家僕、急に來たり、

「たゞ今、俄(にわか[やぶちゃん注:ママ。])に、玄関にて、あしおとの聞へしゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下、総て同じ。]、『何ものやらん。』と、うかゞひ見れば、からかねの鬼面の火鉢、おのれと、座中を步行(あるき)しゆへ、『あら、心得ず。』と引《ひき》とむれば、ふりはなちて、往來《わうらい》いたし、今に、しづまるやうすも、見へず[やぶちゃん注:ママ。]。いづれも怪しき事に存じ、此段、さつそく申上《まうしあげ》る。」

と、色(いろ)を變じて、告(つげ)ければ、忠藏は、これを聞《きき》、すこしも、おどろくけしきなく、

「火鉢には、三足(《さん》ぞく)ありて、人間よりは、一足、多し。よく動くは、ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なり。」

と、事もなげにいひおゝせば、たちまち、火鉢、ちつとも、動かず、わざはひもなく、しづまりける。

 

Tukumogami1

 

[やぶちゃん注:富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」からトリミングした。キャプションは、

   *

化(はけ[やぶちゃん注:ママ。]

 物(もの)

  の

噺(はなし)

 も

古(ふる)き

 事

  な

   がら

道(どう)道[やぶちゃん注:二字目は底本では踊り字「〲」。]

 ゆく

   の[やぶちゃん注:感動詞「のう。」の縮約か。]

化[やぶちゃん注:読みは「か」か。]して

いろいろ[やぶちゃん注:後半は底本では踊り字「〱」。]

  に

はたら

  く

   こそ

一興(いつけう[やぶちゃん注:ママ。]

  なれ

《忠蔵の刀の柄の上の彼の火鉢妖怪の面(つら)を罵倒する台詞。》

につくき

 しかみ

  づら

    め

《下方の家来(火鉢妖怪に刀の後部を握られている)の足元にある彼の恐懼の台詞。》

やれな

  さけ

 なや

《火鉢妖怪の上の妖怪の台詞。》

よふ火

   が

おこり

 まし

  たに

  まづ

  まづ[やぶちゃん注:これは底本では踊り字「〱」。

   *

驚く家来の左足の煙草盆も、左上の外の縁に近くにある石製の手水鉢も、孰れも妖怪となっているのが判る。]

 

Tukumogami2

 

[やぶちゃん注:同じく富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」からトリミングした。キャプションは、

   *

壷(つぼ)の物云(ものいゝ)

   しに

 つぼは

   口(くち)あれは[やぶちゃん注:ママ。]

いふ

 はづ

   と

けし

 たる

   に

止(やみ)

 し

  と

 なり[やぶちゃん注:忠蔵が、一向、平然とかく言っているために、「化(け)したるに」驚きもせぬ故、彼奴(きゃつ)らは化かしようがないことから「止みしと」言う結果となったの意。]

《「さとう」壺の妖怪の上の妖怪の台詞。》

とつこい[やぶちゃん注:「どっこい」。]

 やら

  ぬ

  ぞ

《扇子を開いた忠蔵の右手の彼の台詞。》

おもし

 ろしおもしろし[やぶちゃん注:後半は底本では踊り字「〱」。]

《左下ののけぞった家来の前にある、彼の大型の茶壺妖怪への懇請の台詞。》

ゆるし

 たまへ

《右下の非常に小さな茶壺(茶筅を持っている)妖怪の左手ある、その妖怪の台詞。》

つぼつぼ[やぶちゃん注:後半は底本では踊り字「〱」。]にて

 まはろふか[やぶちゃん注:ママ。]

   *

最後の台詞は、主人が「壺には口があるから、喋るのは、理の当然じゃ。面白い! 面白い!」と、一向に驚かないので、小茶壺は、やけになって、「壺という壺ども、皆で、歩き回ってやろうかのう!」と言っているのであろう。]

 

 其のち、忠藏、昼ねの最中、家僕(けらい)來りて、急に、おこし、

「たゞ今、納戶に、たれとはしらず、はなしの聲の聞へしゆへ、行(ゆき)て見れども、人もなく、聲をしたひて、尋ぬるに、つねに御前(ごぜん)へさし上げる茶壷のうちより、聲を發す。これ、たゞ事に、あらずと存じ、うちくだきしが、ふしぎやな、おなじく、ならべし砂糖の壷、

『何咎(なにとが)ありて、我が友を、かくのごとくに、くだきしぞ。』

と、大おんあげて、罵(のゝし)りし。其聲、蝉(せみ)の鳴くがごとし。此むね、言上(ごんじやう)つかまつる。」

と、息、つぎあへず、訴ふれば、忠藏は、打ちわらひ、

「さてさて、おろかのものどもかな。二つの壷とも、口あれば、聲の出るは、しぜんの道理、あしなきものが、ありくにこそ、口なきものが言語こそ、不審ともいふべけれ、めづらしからぬ事ども。」

と、いひはなせば、壷の聲、ふたゝび出す事も、なし。

 家僕(けらい)ども、よりあつまり、

「『理《ことわり》の當然。』にて、奇怪をしりぞく、いかさま、古今(ここん)の英勇(えいゆう)。」

と、みなみな、これを感ぜしが、或る日、忠藏、出仕のとき、家僕一人、ひそかに來り、

「御出仕のうち、御座敷を掃除にまいり、朋輩ども、ふ圖(と)、天井を見あぐれば、七足にて、あゆみし、足がた、十五、六も見へけるゆへ、天井に、あしがたのつくべき道理あらざれば、此段、お耳に、入れ申す。」

と、くはしく、かたれば、忠藏、いなづき、良(やゝ)ひさしく、かんがへしが、とかく工夫(くふう)におちざれば、家僕を、まねき、小聲になり、

「かやうの事は、すておくべし。かならず、他所(たしよ)へ、さた、すべからず。」

と、吃(きつ)と、いひつけ、かへせしが、其のち、日を經(へ)て、忠藏妻(さい)、「とゝのへ物」の用事につき、婢(こしもと)を使(つかひ)とし、さふらい[やぶちゃん注:ママ。]どもへ、いひやりしに、おりふし、忠藏、外(そと)より、かへり、これを見るより、

「不義。」

と心得(《こころ》ゑ[やぶちゃん注:ママ。])、せんぎもとげず、男女(なんによ)を、よび出し、卽座に手うちにせし所に、士(さふらひ)のせんぎもなく、無罪の男女を誅(ちう)せし事、信玄公の御耳(《お》みゝ)に達し、

「平日(へいじつ)の不行跡(《ふ》かうせき)、武(ぶ)のみちに、そむきし重科(ぢうくは[やぶちゃん注:ママ。正しくは「ぢゆうくわ」。])、閉門。」

仰せ付けさせられ、

「追(おつ)て罪科(ざいくわ)あるべし。」

とて、一門中(《いち》へもんぢう)へ、あづけられ、きびしく、番をつとめしに、あるとき、忠藏、手水(てうづ)にゆきしが、家僕(けらい)をよびて、

「此首(くび)は、何ものよ。首なれば、誰(たれ)か、手うちに、せられしぞ。」

と尋ねらるれば、家僕は、おどろき、よくよく見れども、首も、なし。

 返答に、あぐみはて、さしうつぶきてゐる所に、忠藏は、大ひに[やぶちゃん注:ママ。]いかり、

「主人に對して、返答せぬは、心中に、一もつ、あらん。」

と、取りて、引きよせ、打擲(てうちやく)しけるを、番の一門、

「なにごとやらん。」

と、走り出て、やうすを聞き、ひとへに、

『狂氣。』

と、おもへども、まづ、相應のあいさつして、いよいよ、番に、氣をつけしが、翌朝、忠藏、膳にむかひ、飯(いひ)わんの蓋(おゝひ)をとり、飛びのきて、興ざめ顏、

「何ゆへに、此膳へ、かく、生首(なまくび)は、のせたるぞ。昨日(きのふ)の首も、おのれら兩人(りやうにん)、うらみをむくはんため、なるか。おのれら、ごときの手に及ぶそれがしと、おもひしか。」

と、手討にしたる男女の名を、よび、

イデ、物見せん。」

と、かけまはり、虛空(こくう)を、にらみ、虛空を、つかみ、昼夜(ちうや)、死したる男女を、しかり、いどみ、あらそふありさまなりしが、此ほどのつかれにや、しばしがあいだ[やぶちゃん注:ママ。]、まどろみしが、

「むつく」

と、起(おき)て、目を見ひらき、

エヽ、口おしや[やぶちゃん注:ママ。]、『おのれらに、かく、手ごめには、なるまじ。』と、おもひつるに。」

と、齒がみを、なし、みづから、柱に、頭を、うちわり、眼(まなこ)、ぬけ出《いで》、死したりければ、さつそく、此よし、申し上《あぐ》るに、信玄公、きこしめし、

「武道をわすれし、匹夫(ふつふ)の死かばね、㙒(の)に捨つべし。」

と仰せ出だされ、數代(すだい)の家は、沒収(もつしゆ)せられぬ。無道不仁(むだうふじん)を行へば、かくのごときの、あやしき死も、尤(もつとも)、あるべきことぞかし。

[やぶちゃん注:。大井田忠蔵は代々の信玄の家臣であったようだから、火鉢・煙草盆(セット)・手水・茶壺・砂糖壺も年代物と考えれば、民俗学的には典型的な付喪神(つくもがみ)譚である。ただ、展開は残酷・凄惨で、下男下女の複数が御手打ちになり、最後には忠蔵も誅されて野晒しとなり、冒頭の凶兆を示唆したのが付喪神であったというシメとなっている。但し、忠蔵は、生まれつき、病的な他虐性を持つ粘着質の異常性格であり、後半部の手打ちにした男女の亡霊も彼にしか見えないという点では、重度の被害妄想と幻視と断定してよく、かなり進行した精神疾患(強迫神経症或いは統合失調症又は脳梅毒)の一症例として見ることも可能である。]

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