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2023/05/05

佐々木喜善「聽耳草紙」 六三番 蛇の劍(三話)

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

    六三番 蛇の劍(その一)

 

 小友《おとも》村の松田某と云ふ人の先祖は何所かの武士の流れであつた。昔は大層富み且つ威張つて居た。其當時の主人は、二代藤六行光《とうろくゆきみつ》と云ふ太刀を佩《は》いて步いて居たさうである。

 或時遠野の町からの歸りに、小友峠の休石《やすみいし》と云ふに腰を掛けて一憩《ひとやす》みをしたが、立つ時右の太刀を忘れて置いて歸つた。大きに驚いて從僕を遣つて尋ねさせたところ、峠の休石の上には大蛇が幡踞《ばんきよ》して居り恐しくて通行が出來なかつた。歸つて其事を主人に告げると、今度は主人自身で行つて見た。從僕があれあれあの通りの大蛇が居ると言ふて指差す方を見ると、それは先刻《さつき》自分が忘れて行つた太刀であつた。

[やぶちゃん注:小友村」現在の遠野市街の南西の山間部、岩手県遠野市小友町(おともちょう:グーグル・マップ・データ航空写真)。

「二代藤六行光」サイト「刀剣ワールド」のこちらに、『行光(ゆきみつ)は、鎌倉時代末期に相模国』『で作刀した刀匠で、新藤五国光の子とされていますが、門人とする説もあります』とし、かの名匠『正宗の兄弟子にあたる名工』とあった。その流れを汲むと称した者ではあろう。

「小友峠」「国土地理院図」で発見した。標高四百四十七メートル。]

     (其の二)

 遠野の侍で名刀村正《むらまさ》と云ふ物を持つて居る人があつたが、此人釣魚(ツリ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])が好きで、或日松崎村の金澤の淵へ行つて釣魚をして居たが、疲れたものだから其小刀を枕にして淵岸の往來傍らに晝寢をして居た。すると通行の人達には、侍が赤い大蛇を枕にして寢て居るやうに見えて大騷ぎをした。

[やぶちゃん注:「村正」初代は室町・戦国時代の伊勢国桑名の刀工(生没年未詳)。そのご江戸時代まで数代続き、初代は貞治年間(一三六二年~一三六八年)の人と伝えるが、村正銘をもつ現存最古の刀は明応一〇・文亀元(一五〇一)年の作である。一般に、古刀は表裏の刃文(はもん)が揃わないが、村正のものは表裏が揃っているのが特色である。「持主に祟る」という伝説がある(種分は平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。

「松崎村」現在の遠野市松崎町(まつざきちょう)松崎(グーグル・マップ・データ)・松崎町光興寺・松崎町駒木・松崎町白岩に相当する。

「金澤の淵」不詳。但し、「ひなたGPS」で松崎の近くを探ると、「金ヶ澤」(かながさわ)の地名があり、現在も「松崎町光興寺(こうこうじ)金ケ沢(かねがさわ)」として存在し、しかも、南が猿ケ石川の右岸であるから、この附近であろう。とすると、本文の「金澤」はこれで「かねがさは」と読むことになろう。]

     (其の三)

 金澤村の月山と云ふ家、その家に月山《つきやま》ゲツサンと云ふ名刀があつた。この名刀は夏の夜などは夜半窃《ひそ》かに座敷の床の間から拔け出して野原へ出で露を吸ふた。

 或時家に盜人《ぬすつと》が入《はい》ると、座敷一杯の大蛇が居るので一物《いちもつ》をも取らずに、怖れ遁げ歸つた。

 近年此の家漸々《やうやう》家計不如意になつて、家寶の此名刀をも大槌町《おほつちちゃう》かの質屋へ入れた。すると夜分蛇になつて、質屋の土藏を拔け出して家に還つて來た。何《いづ》れにしても稀代の名刀であることは疑はれない。

 (其一話は小友村松田新五郞氏報。その二は岩城氏の
  談の二。其の三は村の百姓男榮三と云ふ人の度々す
  る自慢話で何でも此人と其名刀のある家は親戚か何
  かである理由であるらしい。何れも岩手縣の話であ
  る。)

[やぶちゃん注:「大槌町」岩手県上閉伊郡大槌町(グーグル・マップ・データ)。但し、最後に「か」とあるから、ここに特定はされない。]

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