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« 佐々木喜善「聽耳草紙」 七二番 猿になつた長者 | トップページ | 大手拓次 「ゆふぐれ」 »

2023/05/12

佐々木喜善「聽耳草紙」 七三番 猿の聟

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   七三番 猿の聟

 

 或所に爺樣があつたとさ。或日山畑さ行つて畑の雜草を取つて居ると、とても畑が廣いし、草がずつぱり(多く)で、頭が痛くなるやうだから、草を取る手を休めて斯う言つたど、

   向い山の猿どオ

   此所さ來て

   雜草コ取つて

   助けねえが…

   娘ア三人あツから

   一人嫁子に遣ツから…

 さうすると山から、ワリワリと猿どもが下りて來て、爺樣の畠を見て居る間にすつかり取つてしまつたヂこつちや。

 雜草を取つて助けられたことはいゝが、娘を猿などの嫁子に遣るつて言つたことが心配で、終夜(ヒトバン)眠らねへで[やぶちゃん注:ママ。]明《あか》し、朝間《あさま》も寢床から起きないで居ると、娘どア心配して、一番大きな姉子《あねご》が來て、

   爺樣な爺樣な

   何して起きて

   御飯(オママ)をあがらねます、

   アンバイでも惡(ワリ)ますか…

 と訊いた。すると爺樣は、

   アンバイもどこも惡(ワリ)くねえども

   俺ア氣にかゝつことあツからさ…

   昨日(キンノウ)山畑で

   あんまりひどい雜草(クサ)だもんから

   向ひ山の猿どさ

   此雜草取つて助けたなら

   娘ア三人あツから

   一人嫁子《よめご》にやツから……

   と呼んだば

   山の猿どア

   ワリワリと畑さ下りて來て

   見て居る間に

   みんな雜草を取つてケた…

   それで猿の嫁子に

   お前が行つてケンないか

 とさう言ふと、姉娘はひどくゴセを燒いて(怒つて)爺樣の枕下を蹴立《けた》てゝ其所を走りながら斯う言つた。

   どこの世界に

   そんなことアあんもんでゲ

   誰ア山猿のオカタ(妻)なんかに

   行くもんでゲ

 二番目の娘もその通り、三番目のバツチ(末娘)が爺樣に御飯あがれと云つて來た。(この爺樣と娘達の對話を繰り返すのが、此の話の興味である。)そして爺樣の言ふ嘆きを聽いて斯う答へた。

   爺樣な爺樣な

   俺ア猿のとこさ

   嫁子に行くから、

   何も心配をしねアで

   はやく起きて

   御飯をあがつてがんせ…

 爺樣は喜んで起きて御飯を食べた。

 山の猿どア嫁子を迎へにやつて來た。そしてお手車《てぐるま》をして娘を乘せて奧山へ連れて行つた。[やぶちゃん注:「お手車」「手車」は既注だが、再掲すると、二人以上の者が、両手を差し違えに組んで、その上に跨らせて運ぶことを指す。なお、次行は一字下げがないが、誤植と断じて、一字下げた。]

 里歸りの日になつた。猿の聟どんは舅どンに餅を搗いて持つて行くのだと言つて餅を搗いた。この餅を何さ入れて行くべなアと猿は言つた。

   櫃(ヒツ)さ入れれば木臭い

   朴《ほお》の葉さくるめば靑臭い、

   その臼ごと持つてアエで

   ケてがんせ…

 と嫁子は言つた。可愛い嫁子の言ふことだから猿は何でも聞いて、あゝそんだら臼ごと背負つて行くべと云つて、餅を臼ごと背負つて嫁子の先きに立つて山から下りて來た。すると谷川の大きな淵の向ふ崖(ガケ)に、淵に垂(タラ)ヅて美しい藤の花コが今を盛りに咲いてゐた。嫁子はそれを眺めて、

   猿どんな猿どんな

   あれあの藤の花コ

   一枝…

   折つてケでがんせ、

   俺方の爺樣ツたら

   あの花コ

   なんぼ好きだか分りません

 と言つた。猿はメゴイ嫁子のことだから、何でも言ふ通りになつて、それぢや餅の臼をここさ下して木に登つて取るべ……と言ふと、

   猿どんな猿どんな

   土の上さ置けば

   土臭くなる……

   草の上さ置けば

   靑臭くなる……

   どうかその臼

   背負(シヨ)つて木の上さ

   上つてケてがんせ…

 と嫁子は言つた。猿はメゴイ嫁子の言うことだから、何でも嫁子の言うことを聞いて、それぢやと言つて、重たい餅臼を背負つたまゝで藤の花コ取りに高い高い木に登つて行つた。そして手近の一番デト(手前)の枝に手をかけて、下の嫁子を見下しながら、[やぶちゃん注:以上の段落の頭は、ちょうど改ページ部分で、一字下げがないが、これも誤植と断じて、一字下げた。なお、次の頭の「オフミコ々々々」と後文のそれはママ。「ちくま文庫」版では、『オフミコオフミコ』とする。三行後の「いゝえ々々々」に引かれて佐々木が誤ったか、或いは植字工が誤ったものかも知れぬが、「オフミコ」は最後の猿の唄から「文子」という、この末娘の名前であることが判る。さすれば、二度目の呼びかけは「オ」を外して「フミコ」であっても違和感はないので、そのままとした。

   オフミコ々々々

   この枝か…

と猿が言つた。嫁子は下から、高い高い木の上を見上げながらこう言つた。

   いゝえ々々々

   まだまだ

   もつと上の枝

 猿はまたずるずる木の上枝に攀ぢ上つて、オフミコ々々々この枝か、まだまだもつと上の枝で、(この對話を自分の氣分によつて、なるべく度々繰り返すのがこの話の興味である。)猿はずんずん木の上枝の梢の端へ登つて行くと、餅臼の重みで、木の枝がバリヽと折れて、眞倒(マツサカサ)まに猿淵《さるぶち》に墮ちてしまつた。そして川下に流れて行きながらこう唄つた。[やぶちゃん注:「猿淵」と唄は、その地名「猿澤」と川の淵名の由来譚のフライングである。]

   猿澤や

   猿澤や

   流れ行く身は

   いとはねど…

   あとのお文(フミ)子ア

   嘆くベヂヤやい…

(自分の古い記憶と、遠野町佐々木艷子氏からの御報告の七による。最後の猿の唄ふ歌は同氏の知つておられたものである。[やぶちゃん注:ここに丸括弧閉じるがあるが、誤記か誤植と断じて除去した。]

私の鄕里の近くの釜石地方の同話には全く自分達の知らぬ一節が入つてゐて、それが此話の山でもあるという。卽ち猿どもが里の美しい娘を嫁に貰つて行つて、其夜の猿の家での酒盛りで唄ふ歌の文句である。それは、

   スポニコポンポン

   ポンポンポン

   鎌倉のめえけんと

   かまへて此事聽かせんな

   ヘララ、ヘララ、

と云ふのであると謂ふ。此一條は報告者板澤武雄氏も言つて居られる通り、他國の、例へば伊那の光善寺の猿の人身御供譚のヘイボウ太郞や此類話の系統で、板澤氏は現在では二つ別々の猿の昔話は以前一つのものから岐《わか》れて來たとも考へられると謂ふて居られるが、また其反對に釜石の譚は、以前二つであつた話が昔の物識者《ものしりもの》の手でもつて斯くの如く一つに纏められたものかとも考へることが出來よう。猿の聟譚は大凡《おほよそ》單純に話されて、ヘイボウ太郞式の部分が缺けて居つたからである。

又其の嫁子の名前も、お藤ツ子と云ふのが普通であるやうだが、私の話では報告者の記憶を尊重した。

又秋田縣仙北郡角館町邊の同話では、爺樣が餅好きで、山へ行つて例へば猿でもいいが餅一重《ひとかさね》此所さ持つて來てくれたら、娘が三人あつから其中《そのうち》一人ケンがと云ふと、猿が餅一重を持つて來たもんだから、あゝウマヒ、あゝウマヒと云つて食ふ。家へ歸つて娘どもに猿の嫁に行つてくれろと云ふと、姉も中姉《なかあね》も嫌《いや》だと云ふ。遂に末娘が嫁に行く。舅《しうと》禮に歸つて來る時、淵の崖の上の櫻の花を眺めてあれを一枝折つて父親に土產にしたいと云ふて、猿に臼を背負はせたまゝ木に登らせる。例のやうなデテイルで猿は木から落ちて淵に沈むと、娘はワザと泣く眞似をする。そこで猿が、

   サルサルと

   流るる命(イノチ)惜しくないが

   あのひめの泣く聲

   いとしかるらん

と云つて死ぬと云ふのである。これは同所淸水キクヱさんと云ふ娘の談話筆記による、武藤鐵城氏の御報告九。)

[やぶちゃん注:最後の附記は、底本ではポイント落ちで、頭の丸括弧が突き出て、以降の全体は本文でこのページでは二字半下げになっている(但し、続く次のページ以降の版組では二字下げとなっていて、一定して組まれていない)。しかし、長く、非常に重要な内容を含むので、特異的に本文と同ポイントにし、全文を上まで引き上げた。

 本篇は所謂、異類婚姻譚の最も知られた一つである「猿の聟(婿)入り」型の一話である(この話の基本は、世界的には、三人の姉妹の末の妹だけが二人の姉と異なった運命或いは試練を与えられるという「シンデレラ」型を示すことも、よく問題にされる)。同譚についての民俗学的な説明は、「コトバンク」の「猿婿入り」の複数の辞書の解説を読まれたいが、私は実は、この話、好きでない。この末娘が、嫌いである。既に、此の嫌悪感は「花嫁と瓢簞 火野葦平」の注で述べているので繰り返さないが、未見の方がそちらの最後の私の注を見られたい。

「私の鄕里の近くの釜石地方」佐々木喜善は岩手県上閉伊郡土淵村(現在の岩手県遠野市土淵)であるが、旧南閉伊郡釜石町、現在の釜石市(グーグル・マップ・データ)は遠野市の東方で接する。

「伊那の光善寺の猿の人身御供譚のヘイボウ太郞」「光善寺」は光前寺(グーグル・マップ・データ)の誤り。現在の長野県駒ヶ根市赤穂にある。この寺には人身御供を求めた老狒(ひひ)(妖怪となった老猿)を退治した霊犬の「早太郎伝説」があり、同寺の公式サイト内のこちらに簡単な解説がある。なお、この寺の誤記や、「ヘイボウ太郞」(この霊犬譚の犬名の一つ)は、柳田國男の「山の人生」(大正一四(一九二五)年『アサヒグラフ』初出)をもとに記したものと推定される(ネット上でもこの柳田のミスが、今も、亡霊の如く散見される)。「青空文庫」のこちらで同論考が電子化されてあるが(新字新仮名)、その「一二 大和尚に化けて廻国せし狸のこと」の第三段落目の最後を見られたい。後の大正一五(一九二六)年に郷土研究社から刊行された原本当該部は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらでログイン無しで見ることが出来る。]

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