譚海 卷之五 江戶町人丸屋某滅亡の事
[やぶちゃん注:読点・記号を追加した。]
○丸屋某と云もの、江戶草創以來、大傳馬町(おほでんまちやう)三丁目に住居し、豪富にて、上方商賣も手廣くせしゆゑ、能(よ)く人にしられたるものなり。されば、「沖に見ゆるは丸屋がふねか 丸に『や』の字の帆がみゆる」と、うたひたる程の事なり。寶永年中、常憲院公方樣、丸屋門前、通御(つうぎよ)ありし折節を伺(うかが)ひ、丸屋妻(つま)、家に在(あり)て、伽羅(きやら)を、たきたり。此香(かう)、世にまれなる木也、それを所持せしを自贊(じさん)にて焚(たき)たるを、聞(きき)とがめ在(あり)て、段々、御糺(おんただし)に及び、驕奢(けうしや)の次第、御とがめにて、則(すなはち)、丸屋、流罪に仰付(おほせつけ)られ、家内、缺所(けつしよ)せられたり、とぞ。
[やぶちゃん注:「大傳馬町」東京都中央区日本橋大伝馬町(グーグル・マップ・データ)。
「寶永年中」一七〇四年から一七一一年までだが、以下の「常憲院公方樣」は徳川綱吉の諡号であるから、綱吉の亡くなる宝永六年一月十日(一七〇九年二月十九日)よりも以前ということになる。
「伽羅」香木の一種。沈香(じんこう)・白檀(びゃくだん)などとともに珍重される。伽羅はサンスクリット語で「黒」の意の漢音写。一説には香気の優れたものは黒色であるということから、この名がつけられたともいう。但し、特定種を原木するものではなく、また沈香の内の優良なものを「伽羅」と呼ぶこともある。詳しくはウィキの「沈香」を見られるのがよかろう。
「缺所」「闕所」とも書く。死罪・遠島・追放などの附加刑で、田畑・家屋敷・家財などを没収すること。]