《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 鏡花全集に就いて
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年五月五日及び翌六日附の『東京日日新聞』に掲載されたもの。
底本は岩波旧全集第七巻(一九七八年二月刊)に拠った。総ルビであるが(なお、新聞物はもとより、雑誌発表作品でも、校正者が勝手に振るのが当たり前の時代であったから、それに従うのは、かなり危険ではあることを言い添えておく。岩波版芥川龍之介全集の元版に編集者として加わった堀辰雄は編集会議で全集を、総て、ルビ無しでと主張したが、退けられている)、一部に限った。踊字「〱」は正字化した。]
鏡花全集に就いて
一
「鏡花全集」の出づるにあたり、僕も參訂者の資格を離れた一批評家として言を立てれば、第一に鏡花先生の作品は屢(しばしば)議論を含んでゐる。これは天下の鏡花贔屓(びいき)には或ひは異端の說かも知れない。しかし先生の作品は、――殊に先生の長篇は大抵或議論を含んでゐる。「風流線」、「通夜物語」、「婦系圖」、――篇々皆然りと言つても好(よ)い。その又議論は大部分詩的正義に立つた倫理觀である。この倫理觀を捉へ得ぬ讀者は徒らに先生の作品に江戶傳來の侠氣のみを見出だすであらう。けれども僕の信ずる所によれば、この倫理觀は先生の作品を全(ぜん)硯友社の現實主義的作品の外(そと)に立たせるものである。のみならず又硯友社以後の自然主義的作品の外にも立たせるものである。
たとへば尾崎紅葉の「多情多恨」や「金色夜叉」を先生の作品とくらべて見るがよい。前者は或ひは措辭の上に後者のプロトタイプを持つてゐるであらう。しかし先生の倫理觀に至つては全然紅葉の知らざる所である。自然主義の先生と相容れなかつたのもやはり措辭の爲ばかりではない。現に自然主義的文壇は小栗風葉氏の作品にさへ自然主義のレツテルを貼り、更にまた永井荷風氏の作品にもおなじレツテルを貼らうとした。しかも畢(つひ)に先生の作品を同臭味(どうしうみ)のものとしなかつたのは、この詩的圓光を帶びた先生の倫理觀に堪へなかつたのである。
二
この倫理觀の夙(つと)に先生の作品を色づけてゐたことは、「貧民俱樂部(ひんみんくらぶ)」(これは今度はじめて集に入つた初期の作品の一つである。)の一篇に現れてゐる。「貧民俱樂部」の女主人公お丹(たん)の說破(せつは)する所によれば、慈善は必ずしも善ではない。その貴族富豪の徒(と)に自己弁護の機會を吳ふるかぎり、斷じて惡といはなければならぬ。貧民はたとひ饑(う)ゑるにしても、結束して慈善を却(しりぞ)ける所に未來の幸福を見出だす筈である。かういふ倫理觀の僕に興味のあるのはひとり上記の理由によるのみではない。これは明治廿何年かの先生の倫理觀たるにとどまらず、同時にまた大正何年かのプロレタリアの倫理觀ではないであらうか?………
のみならずこの倫理觀は先生の愛する超自然的存在、――自靈や妖怪にも及んでゐる。尤も先生の初期の作品は必ずしも惡靈を避けなかつた譚ではない。「湯女(ゆな)の魂(たましひ)」の蝙蝠(かはほり)の如きはこの惡靈(あくれい)の尤なるものである。しかしその後の超自然的存在はいつか倫理的に向上した。「深沙大王(しんじやだいわう)」の禿げ佛(ぼとけ)、「草迷宮」の惡左衞門等はいづれも神祕の薄明りの中にわれわれの善惡を裁いてゐる。彼等の手にする罪業(ざいごふ)の秤(はかり)は如何なる倫理學にも依るものではない。たゞわれわれの心情に訴へる詩的正義に依るばかりである。それにもかゝはらず――といふよりも寧ろその爲に彼れ等は他に類を見ない、美しい威嚴を具へ出した。「天守物語」はかういふ作品の最も完成した一つである。われわれの文學は「今昔物語」以來、超自然的存在に乏しい譯ではない。且また近世にも「雨月物語」等の佳作のあることは事實である。けれども謠曲の後(のち)シテ以外に誰(たれ)がこの美しい威嚴を彼れ等の上に與へたであらうか?
第二に先生の作品は獨特の措辭に富んでゐる。これは多言するを待たないかも知れない。たゞ僕の信ずる所によれば、先生の文章は世間一般の獨特とするよりも獨特である。先生のやうに一編の作品のうちに口語を用ひ、文語を用ひ、漢詩漢文の語を用ひ、更にまた名詞等を用ふる作家は明治大正の間にないばかりではない。若し他に匹(ひつ)を求めるとすれば、恐らくは謠曲を獨造(どくざう)した室町時代の天才だけであらう。この特色もまた先生をあらゆる文壇的陣營の外に立たせることになつたのは勿論である。第三に――第三以下を論ずることは紙面の都合上見合せなければならぬ。
しかし上に述べた兩特色だけでも優に先生を殺すに足るものである。異を却け同を愛することは文壇も世間と變りはない。敢然と一代の風潮にさからふからには、たとひ命に別條はないにもせよ、われわれの文壇的存在は危ふいものと覺悟しなければならぬ。けれども畢に文壇は先生を殺すことに失敗した。「鏡花全集」十五卷は先生の勝利を示すものである。これは天下の鏡花贔屓の意を强(つよ)うする所以(ゆゑん)ばかりではない。詩的正義を信ぜざること、僕の如き冷血漢も大いに意を强うする所以である。卽ちこの惡文を草し、僕の一家言(かげん)を公(おほやけ)にすることにした。若しそれ先生の作品を論じてプロレタリアの倫理觀などに及んだ爲に先生の苦笑を買ふとすれば、「本是山中人、愛說山中話」――先生の寬容を待つ外はない。(修善寺にて)
[やぶちゃん注:「文壇は先生を殺すことに失敗した」筑摩書房全集類聚版『芥川龍之介全集』第五巻のこの部分の脚注に、『自然主義全盛時代、鏡花は逗子に住み、窮乏に耐えて、浪漫的神秘的作風を堅持し、大正期に至って後進に慕われた』とある。
「本是山中人、愛說山中話」これにはルビはない。訓読すると、「本(もと)是(こ)れ 山中(さいちゆう)の人(ひと)」「說(と)くことを愛す 山中の話(わ)」で、これは宋の禅僧で詩人でもあった蒙庵岳の「鼓山蒙庵岳禪師四首」の一首「本是山中人 愛說山中話 五月賣松風 人間恐無價」が原拠である。芥川龍之介はこの二句を甚だ遺愛した。]
« 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 鏡花全集の特色 | トップページ | 芥川龍之介書簡抄159 追加 大正一四(一九二四)年三月十二日 泉鏡花宛 »