佐々木喜善「聽耳草紙」 八二番 狐の報恩
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題は「わかみづ」と読む。]
八二番 狐の報恩
或所に爺と婆があつたが、家が貧乏で、爺が每日山へ行つて柴刈りをして、それを町に持つて行つて、賣つて、其日其日の生計(クラシ)を立てゝ居た。或日爺がいつものやうに山へ行くと、村の童衆(ワラシ)どア三人で一匹の狐を捕へて半殺しにして責檻《せつかん》してゐた。爺はそれを見て哀れに思つて、ぢエぢエ童衆だちどやえ、何して居れヤ、生物(イキモン)をそんなひどい目に遭はせるもんでねえ。それよりも俺に賣らねえかと言つて、一人に百文宛《づつ》錢を與へた。すると童衆どア喜んで、ほんだらこの狐ア爺樣さケツからと言つて、狐の首に結び著けた繩ごと爺に渡した。爺はあゝめんこ共(ド)だと言つて其狐を曳いて山の方へ連れて行つた。そしてお前は何處の山の狐だか知らないが、これから晝日中(ヒルヒナカ)などに村屋《むらや》近くに出はるな。二度とあんな童衆どアに捕へられないやうに氣をつけろやエ。ほんだら、ささ早く自分の穴さ歸れ々々と言つて聽かせて、そろツと小柴立ちの中へ放してやつた。
[やぶちゃん注:「ぢエぢエ」単なる呼びかけ。「五四番 蛇の聟」の「其の二」の私の「ヂエヂエ」の注を参照されたい。]
其次ぎの日、爺が山へ行くと、昨日の狐が出て來て、爺樣々々おら昨日は爺樣のおかげで危い生命(イノチ)を助けられて何ともありがたかつたまツちやそれで何とかしておらア爺樣さ御恩返しをしたいから、爺樣に望み事があれば、何でも言つてケ申(モ)せと言つた。爺はそれを聽いて、ホホウお前は昨日の狐であつたのか、何も俺はお前からお恩返しをして貰ふべと思つて、お前を助けたのではない。ただお前がモゾかつた[やぶちゃん注:「可哀そうだった」。]から、其で助けたのだから、御恩返しも何もいらない。畜生の身でありながらお前がさう言つてくれるので、はア澤山だ。それよりもこんな所へ出て居《ゐ》て、又村の童衆ドなどに見つけられては事だから、早く穴さ歸れと言ふと、狐は淚を流して爺に摺《す》り寄り、爺樣々々それでは斯うしてゲ、丁度此下村のお寺では、釜が無くて困つて居るから、俺が釜に化けます。爺樣は少々重かべけれど、其釜を持つて行つて和尙樣さ賣つて金を儲けてケ申《も》さい。よいか爺樣と言つて、狐は尻尾を卷いて、くるくるツと體を三遍𢌞《まは》すと、直きに立派な唐銅(カラカネ)の釜になつた。爺が緣《ふち》を叩いて見れば、ゴオンといい金鳴《かねな》りがする。かうなつて見れば、爺も其の儘山に棄てて置く譯にも行かぬから、寺へ擔《かつ》いで持つて行つた。そして此釜は昔の人達(先祖)が買つて置いた物だども、賣りたいと云ふと、寺の和尙樣は一目見て慾しくなり、少し高いども、之れで負けとけと言つて、金を三兩出して買つた。爺は今まで見たことのない大金をふところに入れて喜んで家に歸つた。
和尙は氣に入つた釜を買つて喜んで、小僧々々この釜によく砂をかけて磨いて置けやい。明日は竈造(カマヅク)りを賴んで來て、竃造りをすべえと言つた。小僧は釜を背戶《せど》の川戶(カド)へ轉がして行つて、砂をかけてごしごし磨くと、釜が聲を出して、小僧痛いぞ、小僧痛いぞと言ふ。小僧は魂消《たまげ》て庫裡《くり》へ駈け込んで和尙樣し和尙樣しあの釜が物を言ひンすと言ふと、和尙は本統[やぶちゃん注:ママ。]のことゝは思はぬから、何《なに》それは釜の鳴音《なるおと》が、お前サあう聽へたべたら、よい釜と謂ふもんは鳴音までが違ふもんだ。ええからほんだら庫裡さ轉がして來て置けと言つた。小僧は怪しみながら和尙の言ふ通りに、また川端(カバタ)から轉がして來て庫裡に置くと、其夜の中《うち》に釜は何處へどうなつたか消え失せてしまつた。和尙はどうもあの釜はあんまりよい釜だつたから、夜間(ヨマ)のうちに盜人に盜まれたと、後々までも口惜しがつて居た。
爺はそんなことは夢にも知らないから、其次の日も山へ行くと、昨日の狐がまた來て居て、爺樣お早ヤがんす。昨日はあれからお寺で小僧に砂をかけられて、ごしごし磨かれて隨分えらい目に遭つた。今日は俺が爺樣の娘になるから、爺樣はこれから町さ行つて、櫛《くし》笄《かうがい》それから帶だの手拭《てぬぐひ》だの前振りコ足袋《たび》と、斯う買つて來てケてがんせ。さうしたら俺が美しい娘になるから、爺樣は町の女郞屋に連れて行つて、うんと高く賣りつけてゲ。さあさあ、早く々々と言はれて、爺はその足で町へ行つて、狐の言ふ通りな品物をユエて(求めて)また山に歸つて來た。狐は待つて居て、爺樣早かつたます、俺ア皆氣に入つた物ばかりで面白い。それではこれから姉樣になるから見てクナさいと言つて、くるくるツと三遍𢌞つて、綺麗な姉樣になつた。爺はそれを連れて、町の遊女屋へ行つて、これが俺ア娘だから買つてケながんすかと訊くと、旦那は欲しがつて、金を百兩出して爺に渡した。爺はその金袋を持つて家に歸つた。
[やぶちゃん注:「前振りコ」少年や女性が、髪の毛の額の上の部分を、別に束ねたもの。額髪(ぬかがみ・ひたいがみ)。向髪(むこうがみ)のことか。]
女郞屋ではまた其娘が大層流行(ハヤ)つて、旦那はうんと金儲けをした。翌年の節句の日に、娘は旦那の處へ行つて、私は此所へ來てから、一度も里へ歸つたことがないから、歸つて兩親に逢つて來たいます。一目の暇《いとま》を貰いたがんすと言ふと、旦那もほんとう[やぶちゃん注:ママ。]にさうだと思つて、手土產などをどつさり持たせて娘を里へ歸した。ところが娘は其れつきり女郞屋へは歸つて來なかつた。旦那の方でも、あの娘では買つた金の幾層倍も儲けて居たから、女郞しようばいを厭(ヤ)んたくなつたら仕方がないと言つて尋ね人も出さなかつた。
爺樣がまた或日山へ行つて居ると、又狐が出て來て、爺樣々々久しぶりだつたな。達者で居たますか、俺も町の女郞屋さ行つて體を疲れさせたからしばらく休んで居た。それで體加減もあらかたよくなつたから、もう一度爺樣さ恩顧《おんこ》送りたい。こんどは俺ア馬になるから何處でも遠土《ゑんど》の長者殿の所さ曳いて行つて賣つてゲ。併しこんどこそは俺も一生一度の爺樣サのつとめだから、わるくすると爺樣とはこれツきり遭はれないかも知れないから、さうしたら今日の日を俺の命日として、時々思ひ出して回向《ゑかう》しておくれヤンせ。さあそれでは馬になるからと言ふ。爺樣はやめろやめろ、もうお前には重重の世話になつて、昔とは變つて今日ではこの爺も何不自由のない生計向(クラシムキ)となつて居る。この上はアお前から何もして貰ひたくないと言つて居る隙《すき》に、もう狐は立派な靑馬になつて居た。爺樣も斯うなつては何とも仕方がないから、其馬を連れて遠土の長者殿へ行つて、百兩に賣つた。爺はまた其の金を持つて家に歸つた。
靑馬になつた狐は、丁度其折テンマが告(ツ)がつて、大きな葛籠《つづら》を兩脇につけられて、其上に貴人を乘せて、長い々々峠路を越えて行つた。さうすると何と云つても根が小獸だから直ぐに精をきつて汗ばかり流して步けなくなつた。多勢《おほぜい》の男達はそれを見て、慣れない馬は、これこの通りだと言つてえらく責め責檻をした。狐はそのまゝ倒れたので、此馬は分らない分らないと言つて澤邊《さはべ》に棄て置いて、別の馬に貴人も荷物も移しつけて山越えをして行つた。狐の馬はみんなが其所を立ち去つた後で何處へ行つたものか二度と姿を現はさなかつた。
爺は狐のお蔭で近鄕きつての福德長者樣となつた。それから狐の遺言《ゆいごん》を忘れないで、屋敷の内に立派な御堂を建てゝ祭つた。そしていつも月の十九日には爺婆して、御堂に行つて狐の後生《ごしやう》を祈つた。
(村の古屋敷米藏爺樣から聽いた話の一。
大正十一年十二月某日。)