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2023/05/23

佐々木喜善「聽耳草紙」 八五番 狐の話(全二十話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。長い。]

 

      八五番 狐 の 話

 

       隱れ頭巾(其の一)

 

 或所に、俺はなんぼうしても狐などに騙されるもんではないと、いつもかつも自慢して居る爺樣があった。或日山へ行くと、小藪の蔭(カゲゴ)に一疋の狐が居て、なんだか手拭のやうな物を頭に被つて前を見たり背後(ウシロ)を撫でたりして居た。爺樣はあれアあの狐が何して居ると思って見て居ると、ひらりとひどく美しい姉樣になつて、路傍へちよちよこと出て來た。そして爺樣な爺樣な何處さ行きますと聲かけた。爺樣はなあにお前は狐だげが、今俺が見て居たがやいと心の中で可笑しくて、あゝ俺は山さ木伐《きこ》りに來たが、お前こそ何所さ行けや、そしてお前は何所の姉樣だか、一向今迄見かけたことのない人だと言つた。狐はおらは此山のトカイ(裏)の村屋《むらや》から來たもの、これから町さ行くますと言つた。爺樣は愈々可笑しくて、それでは早く町さ行つて來もせ、あゝだども可笑しいぞ、なんだべその尻尾がと、故意(ワザ)と言つた。すると狐は直ぐ降參して、あら爺樣に遭つてはとても叶はない。實はおらは狐だがよく爺樣はそれを見破つたなもすと言つた。そこで爺樣は日頃の自慢をし出して、何ヤ俺ア狐などに騙される爺樣でアないでアと言つた。狐はそれにひどく感心したふりして、そんだらはア爺樣に隱頭巾(カクレヅキン)と謂ふ物をケルから、おらと友達になつてケテがんせ、其代り爺樣の握飯をおらにケテがんせと言つた。爺樣はそれはどんな物(モン)だと言ふと、狐はこんな物シと言つて、古い手拭のやうな汚《きたな》い巾《きん》を頭に被つて見せて、爺樣しおれが見えながすぺと訊《き》いた。爺樣はよく見たが、さう言はれると本當に狐の姿が見えなくなつて居た。爺樣は成程これはよい物だと思つて、そんだらそれと言つて、持つて居た握飯を狐に遣り、狐からは其隱頭巾を貰つた。そしてこれはよいことをしたと思つて、喜んで家に歸つた。

 其翌日、爺樣は町へ行つて、頭からその隱頭巾をかぶつて、そろりそろりと步いて行つた。そしてそろツと小店《こみせ》へ近寄つて行つて、窃(ソツ)とベヂエモノ(菓子類のこと)に手を差伸《さしの》べて一摑み盜んだ。すると町の人達はひどく怒つて、これやどこの盜人爺々(ヂンゴ)だ。そんな汚い女の古腰卷《ふるこしまき》などをかぶりやがツて來て、いけ泥棒をこきやがつて居ると言つて、皆寄つて來て、慘々《さんざん》に棒や何かで撲(ナグ)りつけた。爺樣はひどい目にあつた。其上眞裸體(マツパダカ)にされて、血だらけになつて、おウいおウいと泣きながら家へ歸つたとさア、ドントハラヒ。

  (隱風呂敷《かくれふろしき》と言ふ物だと語つた
  とも謂ふ。)

 

     駈 け 馬(其の二)

 昔、遠野から氣仙《けせん》へ越えて行く赤羽根峠《あかばねとうげ》に、惡い狐が居て、往來の人でこれに化《ばか》されぬと謂ふ者はなかつた。それで道中の者がひどく難儀をした。それを聞いた遠野の侍、それは事なことだ。畜生獸《ちくしやうけだもの》の分際として、生きた人間を馬鹿にするぢことが惡(ワ)り。一つ俺が行つて其狐を退治してケると言つて、大刀《おおがたな》を腰にさして辨當の握飯を背負つて出かけて行つた。

[やぶちゃん注:「赤羽根峠」岩手県遠野市上郷町(かみごうちょう)平倉(ひらくら)と岩手県気仙郡住田町(すみたちょう)上有住(かみありす)の間にある峠。当該ウィキによれば、『赤羽根トンネルが開通するまでは、国道』三百四十『号が峠を通っていた』。『旧道は急勾配・急カーブ・幅員狭小であることから、大型車の通行規制は無いが』、『非常に困難である。特に住田町側は』、『町道に格下げ後』、『整備が行き届いておらず、路肩崩落が数箇所発生し』、『事実上』、『大型車は通行不能である。また、冬季間は積雪のため』、『全面通行不能である』とある。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真。以下、無指示は同じ)。]

 件《くだん》の赤羽根峠にさしかゝつて、何か今出るか、今出るかと思つて、刀の柄に手をかけ、眼玉を武士らしく四方に配つて、悠々と落着いて步いて行つたが、ぴちりと風の音もせず。草葉一つも動かなかつた。さうして何事もなく遂々《たうとう》峠の頂上まで登つて行つた。侍思へらく、ははア狐だなんて、どんなに惡智惠があつてもエツチエ(よくよく)なもんだぢエなア。俺の威勢に怖れて今日は出ないんだなア。やつぱり畜生獸などに化される手合ひは商人百姓の輩《やから》なんだと、可笑しくて堪らぬから、手頃の石に腰をかけて、あははツ、あはははツと笑つた。さうして負(シヨ)つて來た握飯を下《おろ》して食ふべえと思つて、風呂敷をひろげて居た。すると峠の下の氣仙口《けせんぐち》の村屋の方で、何だか人の叫聲《さけびごゑ》が聞える。何事だと思つて握飯を食ふのを止めて眺めて見ると、一疋の馬が駈け出して、それを二三の人々が追(ボツ)かけて來た。それが段々と峠の方に上つて來た。

 侍はあれは百姓どもが難儀をすることだ。一つ俺が馬止めの法でもかけて、馬を止めて遣りたいと思つた。さう思つて居るうちに、その荒駒《あらごま》が目の前に駈け込んで來た。あまりにその態《なり》が荒らく、自分に押ツかぶさるやうに來るので、侍は思はずあツと言つて石から飛び上つて草原の中に逃げこんだ。

 そのはずみに手に持つて居た辨當の握飯が落ちてころころと道路へ轉げていつた。すると其荒駒がいきなり其握飯に喰らひつくと、急に小さくなつて握飯を喰《くは》へたまゝ向ふの方へ駈けて行つた。やつぱり狐であつた。そのお侍もまた化されてしまつた。

 (遠野で友人俵田浩氏から聽いた話。)

 

        羽澤のお菊(其の三)

 

 此狐は菊の花を咲かせて見せてバカスので有名であつた。それで誰言ふとなく羽澤(ハザ)のお菊といつた。

[やぶちゃん注:以上の末尾、底本は行末で句点なし。補った。

「羽澤(ハザ)」岩手県胆沢(いさわ)郡金ケ崎町(かねがさきちょう)西根北羽沢(にしねきたはざわ)附近と思われる。後の「其の五」の附記を参照されたい。]

 或時、勘太郞と云ふひどい慾深爺《よくぶかぢん》が、町へ行くべと思つて羽澤を通ると、狐が三四疋、日向ぼツこをして遊んでゐた。勘太爺はそれを見て、ざいざい[やぶちゃん注:「あらあら」の意か。]狐どもは遊んでゐたなア、どうも貴樣達はよく人を騙して食物《くひもの》などを取るフウだが、何か殘つてをれば、此爺にも御馳走しろと言つた。狐の所もただでは通らないつもりであつた。すると狐どもは、爺樣々々、恰度《ちやうど》ええところだつた、昨夜人を騙して取つた油揚《あぶらあげ》があるから、これを食(アガ)らえンと言つて、二三枚出して御馳走した。

 爺樣は狐の油揚を食つて、フヽン狐なんてあまいもんだ。畜生、獸《けもの》などに騙される奴などは人間でもよツぽどコケな奴だべと思つて町へ行き、そんなことをみんなに話して自慢した。そして家で使ふ油揚豆腐蒟蒻《こんにやく》などを買つて、夕方、またぞろ羽澤の野を通りかゝつた。すると何とも言はれない美しい菊の花が野原一面にズラリと咲き亂れてゐた。勘太爺は是はなんたら美しいこツたべと思つて小立《こだ》ちして[やぶちゃん注:ちょっと立ち止まって。]暫時(シバラク)見惚《みと/みほ》れて居たが、イヤイヤこれは只見て居ても藝が無《ね》え、採つて持つて行つて食つた方が利巧だと考へついて、荷物をそこに下《おろ》して置いて、一生懸命に菊を取りはじめた。なにしろあんまり花が一面なので、取つても取つてもどうしても取りきれないから、これは一旦家へ歸つて嫁子《よめ・ご》みんなを連れて來て採るべ、こんなええものを人にただ取られるのはネツカラ藝が無え、さア人に採られないうちに家の者をみな連れて來(ク)べと思つて、まづ取つた菊は負(シヨ)つて、がさがさと家へ走《は》せて行つた。そして、ぜぜ[やぶちゃん注:「ぢえぢえ」と同じで、「さあさあ!」という呼びかけであろう。]羽澤野の菊の花取りにみんな步(ア)べ。コレヤ俺アこんなに取つて來たと言つて背中を見せると、婆樣は怒つて、何ぬかしているンや爺(ヂン)つやん、汝(ニシ)が負《しよ》つて居る物は、みなカンナガラでアねンしかヤと言つた。爺樣はウンネこれア菊の花だと言つた。婆樣はなアに汝(ニシ)アお菊に騙されて來アした。一體全體その面(ツラ)つきつたらありエンと言つて爺樣の胸倉《むなぐら》をとつてこづき𢌞した。爺樣もさう言はれるとやつと羽澤野《はざの》に置いて來た食物《くひもの》の荷物のことが案(アン)じ出されて、コレアしまつたと思つた。それでも氣が變だつたので、婆樣は土間から木炭塊(スミコゴリ)と鹽(シホ)とを持つて來て。

   キジンカヘレ

   キジンカヘレ

 と三遍唱へて、それを振りまいて狐を追つた。すると狐はヂヤグエン、ヂンヤグエンと啼いて逃げた。

[やぶちゃん注:「カンナガラ」「鉋殻」。鉋屑(かんなくず)。鉋をかけたときに出る木屑。遠野にもある岩手に伝わる知られた「しし踊り」の頭部に印象的につける「髪(ザイ)」(鬣(たてがみ))を「かんながら」と呼ぶ。

「キジン」「鬼神」か。]

 

        死 人 の 番(其の四)

 或時、三太郞と謂ふ道化者(ドウケモン)が町へ行く途中で、狐が二三疋日向ぼつこして居るのを見た。これは一つ魂消《たまげ》らしてやるべと思つて、コソコソ行つて不意に、ダアツと叫ぶと、狐どもはほんとに魂消て一丈ばかり飛び上つた。そして後を見々《みいみい》、尾の先端を太くして山の方に逃げて行つた。三太は大喜びで、サテサテ狐は千日前の事も悟ると聞いて居たがカラボガだ。今々《きんきん》のことも悟れない、矢張《やつぱ》り畜生だなアと笑つて其所を立ち去つた。そして町へ行つても其事をうんと吹聽《ふいちやう》して自分も笑ひ人も笑はせた。そしてその夕方魚《さかな》を買つて家路についた。

 ところが急に日が暮れて、あたりが眞暗になつたので、一足《ひとあし》も步かれなかつたが、向ふを見ると幸ひ燈のアカリコがあるから、其所へ訪ねて行つて宿をとつて泊めて貰つた。其家には一人の白髮だらけの婆樣が居たが、サテサテお客樣、おれは一寸隣家(トナリ)まで參つて來るからお留守をお賴み申すと言つて出て行つた。三太は何だかイケないと思つて、早く婆樣が歸つて來ればよいなアと思つて待つて居てもなかなか歸つて來なかつた。そのうちに爐《ひぼと》にくべる焚木《たきぎ》も無くなつたので、段々と火も消えさうになつた。薪《まき》でもないかなアと思つてそこらを探すと、今迄氣がつかなかつたが、向ふの隅の方に薄白いものが見えた。なんだべと思つてよく見るとそれは死人《しびと》であつた。ウンウン唸りながらむくむくと動き出して來たので、三太はあれアと叫びながら外へ逃げ出した。すると其死人は口を開いて腕を押しひろげて何か言ひながら、何處までも何處までも追(ボツ)かけて來た。三太はこれはことだやアと狼狽(アワ)てて其所にある大きな木に這ひ上《あが》つたが、其死人はそれを見つけないで木の下をウンウン唸りながら向ふの方へ走《は》せて行つた。三太はマズよかつたなア、それにつけても早く夜が明ければええがと思つて居ると、東が白んで段々夜が明けた。夜が明けたので見ると、其木は柿の木で、柿がうんとなつてゐた。上枝《うはえだ》を見るとひどく大きな柿がなつてゐるので、あれを一つ取つて食つて見ベエと上の方へ登つて行くと、枝がポキンと折れて眞倒《まつさか》さまに落ちた。運惡く下が川であつたので、水の中にドブンと沈んだ。然《しか》し別段怪我もなく、まアよかつたと思つたが、なんだか冷たいので氣がつくと、今朝(ケサ)狐を驚《おどろ》かした所で其所らぢうを這ひずり𢌞つて居た。町で買つた魚などは疾《と》うに影も形も無くなつて居た。

 

       幽  靈(其の五)

 前の三太郞父樣(トツチヤ)の妹のオヨシといふのが一里ばかり離れた在鄕(ザイゴ)へ嫁に行つて居た。不幸なことにはお產の肥立ちが惡くて永くブラブラして居たが、遂々《たうとう》死んでしまつた。

 さう謂ふ知らせが來たので、三太郞は取るものも取らずに妹の緣家へ駈け付けた。さうして葬式も濟ませて、夕方ダンパラといふ所の松原まで來た。其時はもうあたりは人肌も分らぬやうに暗くなつた。すると不圖《ふと》後(ウシロ)の方で女の泣き聲がして居るのを聽いた。ハテナと思つて聽耳《ききみみ》を立てると、その泣聲は隨分遠くの方で幽《かす》かではあるが、それにアセてははツきりと小譯(コワアケ)が分つた。そしてだんだん近づいて來たところがそれは如何《どう》しても先刻土の中に埋めた妹の聲なので、大層魂消てしまつた。何時(イツ)してこんなことアあるんもんではねえ。これは化物(バケモン)だと思つたから、三太は後《あと》も見ないで家の方へ駈け出した。するとその死んだ妹の聲がウシロクド(後頭部)にくツついたやうに何處までも何處までも後から追ひついて來た。それでもどうやらかうやら家まで駈けつけた。

[やぶちゃん注:「アセては」不詳。ただ、前後から見ると、「合(あ)せては」で、「遠く幽か」な「それ」と照らし「合」わせてみるに、妙に「はツきりと」それが人の「泣」き「聲」であることが「小譯」(理解すること)として判った、という意であろうという気はする。]

 家の人達は驚いて、お前は何《な》してそんな靑面(アヲツラ)してアワテテ歸つて來たかと訊いた。三太郞が、何言ふ、あれアあの女の泣聲がお前らには聽えないてかと言ふと、この人は酒に醉ツたくれて居ると言つて誰《たれ》も相手にしなかつた。そしてともかくも風呂に入《はい》れと言はれて臺所續きの風呂に入つたがまだ先刻《さつき》の泣聲が屋敷内(ヤシキウチ)の彼方此方(アツチコツチ)から聞えてゐた。ヤンタ[やぶちゃん注:「厭な」の意。]ことだと思つて居ると、直ぐ壁一重《かべひとへ》の外へ來て、兄々(アンニヤ《アンニヤ》)と言つて泣く樣《やう》であつた。またアレダと言つてひよツと壁の方を見ると、やつと小指が通るほどの小穴から、細い細い靑白い手がアンニヤ、アンニヤと泣くたびに、ヒョロヒョロ、ヒョロヒョロと突き出て、遂々《たうとう》三太の首筋に絡《から》み着いた。三太はキヤツと叫んで風呂から飛び上つて布團をかぶつて寢た。それでも怖(オツカナ)くて巫子《みこ》を賴んで來て呪《まじな》つて貰つた。

(これも前話同樣金ケ崎の話である。ダンパラ(壇原)は村端《はづ》れの松林で、昔から此所には狐の巢があつた。その狐は子守女に化けるのが得意で、人が夕方此所を通ると、ネンネコヤ、ネンネコヤと謂ふ子守唄をよく聞かされた。又それより外のことは語れなかつたとも言ふ。それでこの狐のことを此邊ではダンバラ・ネンネコと名づけて居た。今でも居ると見えてよく人が化《ばか》されたと謂ふことを聞く。)

(以上その二、三、四は金ケ崎町、千葉丈助氏よりの御報告に據つた。大正十二年十月二十三日受。)

[やぶちゃん注:以上の附記は、ポイント落ちで、概ね本文より二字下げほどであるが、長いので、ポイントを下げず、上に引き上げた。

「ダンパラ(壇原)」岩手県胆沢郡金ケ崎町西根(にしねだんぱら)。漢字が現在とは異なるが、読みは同じ半濁音「ぱら」である。

 

     白 い 雀(其の六)

 遠野ノ町端れ愛宕山《あたごやま》の下に鍋ケ坂《なべあがさか》と云ふ所がある。此所に昔からよくない狐が居た。町の菊池某と云ふ者、綾織《あやをり》村へ鷄《にはとり》買ひに行つて、五六羽求めて俵に入れて背負つて來た。そして此坂を通りかゝると、往來の眞中《まんなか》に見たこともない白い雀がパサパサと飛び下《お》りてじつとしてゐた。元より鳥好きの男であるから其《その》動かないのをいゝことにして、その珍しい雀を捕(ツカ)まへやう[やぶちゃん注:ママ。]と手を伸べると[やぶちゃん注:底本は「伸べれと」。「ちくま文庫」版で訂した。]、ツルリと指の間をくぐつて三步ほども步くまた止まつてう躇(ウヅク)まる。そんな風なので邪魔になる鷄荷《とりに》をば路傍に下《おろ》して置いて、雀にかゝわつて居るうちに、ブルンと雀は飛び立つて姿を消した。はツと氣がついた時には既に鷄荷などは疾《と》うに無くなつてゐた。

[やぶちゃん注:「愛宕山」象坪山(国土地理院図)の異名。「佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 八九~九二 山中の怪人」の「八九」の私の「愛宕山」の注を参照されたい。

「鍋ケ坂《なべあがさか》」この読みは国立国会図書館デジタルコレクションの「遠野町誌」(遠野郷土研究会編一九八四年国書刊行会刊)の「九、傳說」の序にある読みを部分採用した。

「綾織村」「ひなたGPS」の戦前図で確認出来る。現在の遠野市街の東方である。「町」とあるから、これは遠野としかとれないから、この「菊池某」の家は「愛宕山」=象坪山との位置関係から、「町」=市街地の遙か東北の山家であったと、とるしかない。遠野「町」の「菊池某」が「綾織村」で鷄を買って、この象坪山の近くにある「鍋ケ坂」を通るというのだから、そうとるしかないのである。]

 

        魚みやげ(其の七)

 これは遂《つひ》四五年前の話、私などの知合ひの柳田某と云ふ男、綾織村の親類の家の婚禮に招(ヨ)ばれて行き、少々醉つてオカイチョウ物の魚を持つて此所まで歸つて來ると、兼ねて懇意にしてゐる某女が迎へに來たと云つて路傍に立つて居た。某はえらく喜んで、女の云ふなりに魚荷などを持つて助(ス)けられて來たが、途中で何故か其女にはぐれて獨り家に歸つた。

 翌日女の家へ魚荷を取りに行つて話すと、女はそんな事などは知らぬと云ふ。怪しんで現楊へ行つて見ると、盛に食ひ散らされて入物《いれもの》の藁のツトばかりがあつたと云ふ。本人の話である。

[やぶちゃん注:「此所」は前の話を受けるわけで、やはり「鍋ケ坂」ということになる。]

 

        ランプ賣り(其の八)

 町の人がランプのホヤ荷を擔《かつ》いで綾織村の方へ行つたところ、鍋ヶ坂の藪中で狐が晝寢をして、クスンクスンよく眠つて居た。ホヤ賣りがひとつ驚かして遣らうと、テンビンボウでしたゝか打ちのめすと、狐はヂヤグエン、ヂヤグエンと啼き聲を立てた。遂には殺す氣になつてウント撲《ぶ》ち叩いて居ると、畠で働いて居た人達が不思議に思つてあゝこれこれお前さんは自分の商賣道具を何してそう打壞《ぶちこは》すと聲をかけた。それで初めて氣がついて呆れ果てたと云ふ。

(此ランプ賣りの話は全く同じ話が「江剌郡昔話」にもあり、また森口多里氏の話では水澤町付近にも、所人名までも明かに物語られてゐると謂ふ。これらの狐話などは既に立派な傳播成長性を帶びて完全に昔話になつてゐる好例である。)

[やぶちゃん注:附記は先のものと同じ処理をした。

『全く同じ話が「江剌郡昔話」にもあり』国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの原本の当該部は、ここ。]

 

          (其の九)

 町の野田某と云ふ人、川魚釣りに出掛けたが鍋ケ坂の下で急に暗くなつた。勿論行く事も引く事も出來なくなる。このような[やぶちゃん注:ママ。]事が度々あつたので某はもう慣れきつて、ははアまたか、ソレいゝ加減にして明るくしてくれと云つて、魚を五六尾《び》藪へ向つて投げると、直ぐに元の晝間になつて步くことが出來たと謂ふ。近年の話である。

 

        湧  水(其の一〇)

 遠野ノ町の付近で昔から狐の偉えものは、八幡山のお初子《はつこ》、鳥長根(トリナガネ)の鳥子《とりこ》、鶯崎《うぐひすざき》のウノコ三疋であつた。これらは各々その技《わざ》に秀れたものであつたと謂ふ。

 昔からこの八幡山の狐に騙された話は多いが、昔の話は總て止《よ》す。近來の話ばかりを記して見やう[やぶちゃん注:ママ。]。土淵村の某と云ふ狩獵《かり》自慢の男、俺なんて狐に騙されて見たいもんだ。そんな者に出會《でくは》して見度いもんだと、町の居酒屋で朋輩どもに自慢話をしての歸りであつた。八幡樣の石の鳥居の前まで來ると、不思議にも道路の眞中から、水がピヨツピヨツと湧き上がつている。可笑しいやうな氣持ちになつて立ち止まつて見て居る中《うち》に、其湧水のほどばしり出ることが急になつて、アタリが湖水のやうに漫々たる水になつた。そして自分の首ツきりに水かさが增して正《まさ》に溺れさうになつて、助けてくれ助けてくれと叫んで居ると、先刻一緖に酒を飮んだ村の衆が其所へ通りかゝつて、何をして居ると云ふ。氣がついてみると溜池の中に入つて一生懸命に水をざぶざぶと搔き𢌞してゐた。

[やぶちゃん注:思うに、先に掲げた、国立国会図書館デジタルコレクションの「遠野町誌」(遠野郷土研究会編一九八四年国書刊行会刊)の「九、傳說」の序には、『遠野鄕は、太古湖水であつた』とあり、まさに『愛宕の鍋(なべあ)ケ坂に御器(ごき)洗場があり、古代住民は湖畔に下りて來て御器を洗つたところなども言い伝えられている』とあるのが、目が止まった。狐に騙されて幻想の湖水で溺れるというのは、肥溜に湯と騙されて浸かるというありがちな話ではあるのだが、この話では、まさに「アタリが湖水のやうに漫々たる水になつた」という箇所が、実は話の核に、太古に於いて遠野の市街地が大きな湖水であったことを伝える含みが、ここには隠されているようで、甚だ興味深かった。

「八幡山」ここ

「鳥長根(トリナガネ)」不詳。「ひなたGPS」の戦前の地図を見ると、「鳥古屋」・「赤羽根」「飛鳥田」の地名が確認出来る(現在もある)が、この附近が候補になるか。

「鶯崎」岩手県遠野市鶯崎町(うぐいすざきちょう)。西麓に「稲荷下屋内運動場」という施設が現認出来る。]

 

        女 客(其の一一)

 附馬牛《つきもうし》村の某、家に婚禮か何かあつて其仕度の魚荷を馬につけて、此八幡山の麓路《ふもとみち》へさしかかつた。すると見知らぬ何でもキタガメ邊の女と思はれる若い美しい女と道連れになり、段々慣話(ナレバナシ)などを取交《とりかは》して步いて居るうちに、女はそんなら私を馬に乘せろと云ふ。某は良い氣持ちになつて女の腰を抱き上げて馬に乘せて曳いて來る。そして話の續きを繼ぐために振り返つて見ると、馬上に居る筈の女は居ず魚荷もなくなつていたと云ふ。これもお初子の仕業。

[やぶちゃん注:「附馬牛村」現在、岩手県遠野市附馬牛町がある。

「慣話」親しげな世間話、或いは、馴染みのような色っぽい話の意か。後者っぽい。

「キタガメ」当初は漫然と「北上」の訛りかと思っていたが、dostoev氏の『不思議空間「遠野」―「遠野物語」をwebせよ!―』の「安倍の血」によれば、遠野の古い呼称という。]

 

        飼   犬(其の一二)

 私の友人、男澤《をとこざは》君と云ふ人、遠野ノ町の中學校からの歸りに此山の麓まで來ると、向ふから自分の飼犬が走《は》せて來て頻りにジヤレつく。うるさいけれども其儘にして行くと、ドンと大きな松の樹ノ幹に額を打《ぶ》ツつけた。痛いツと叫んで驚いて見れば、犬と思つたのが狐になつて向うへ走せて行く。自分は何時の間にか山の中腹の松林に來て居たと云ふ。これも其お初子の藝當。

[やぶちゃん注:「遠野ノ町の中學校」旧制中学校「岩手縣立遠野中學校」(男子校)は明治三四(一九〇一)年に開校している。現在の岩手県立遠野高等学校。当時から現在の遠野市六日町(むいかまち)のここにある。なお、佐々木喜善は、この中学の出身ではない。彼は遠野町小学校高等科を明治三三(一九〇〇)年春に卒業しており、当時、まだ、同中学校は開校しておらず、同年九月に盛岡市大沢川原にあった私立江南義塾に学んでいる。ここは石川啄木の出身校として知られる。同校は盛岡市内で移転し、現在も私立江南義塾盛岡高等学校として現存する。

「此山」前話を受けるので、八幡山。前の地図の右手の盆地中央の独立峰。]

 

        紙  幣 (其の一三)

 これも私の友人、武田君と云ふ人、中學校の歸りに此所まで來ると、向ふから親父が來て、よい所で出會つた。俺は病家へ𢌞らなければならぬから、お前はちよつと町へ引返して牛肉を一斤[やぶちゃん注:六百グラム。]程買つて來ないかと云ふて、十圓札を一枚手渡された。同君は晚には牛肉にありつけると思つて喜んで町へ走せ戾つて、一日市《ひといち》の牛肉屋へいつて、肉を切らせ、さて手に汗ばむ程しつかり摑んで居た其の紙幣を出すと、何のこと其は一枚のたゞの朴ノ木《ほほのき》の葉であつた。これもお初子の手品であつた。

 (以上その五乃至《ないし》一二迄、何《いづ》れも

 松田龜太郞氏の談の一五目。昭和四年の春の頃。)

[やぶちゃん注:「一日市」遠野の通りの名称。現在の遠野市の「中央通り」に同名のバス停がある。

「朴ノ木」非常に大きなその葉が「朴葉味噌」や「朴葉寿司」に使われることで知られるモクレン目モクレン科モクレン属ホオノキ節ホオノキ Magnolia obovata 。]

 

       ハクラク(其の一四)

 或ハクラクが、マガキ、マンコと云ふ狐の居る野原道で、このハクラク樣を化(バカ)せるかと言つて、狐を馬鹿にすると、行つても行つても自分の家が無かつたので、自分の背負つている油揚《あぶらあげ》を下《おろ》して投げ出すと、直ぐ其所が自分の家であつた。

 なんだマガキ、マンコにはそれ位の智惠より無いかと言つて嘲笑《あざわら》ふと、再び前に大きな川が出てどうしても步けなくなつたが、なに此所にこんな川がある筈がない。渡り切つて見せる氣になつて、轉《ころ》び轉び、もがいて居ると、嬶《かかあ》が出て來て、何《な》して軒端《のきば》の藁ひン拔くべ、又狐に化(バカ)されたのか、ソナダス口きかなエだと言つた。見ると川中だとばかり思つて居たのは自分の家の軒端で、石だと思つて取りついてゐたのは藁であつた。

[やぶちゃん注:「ハクラク」「伯樂」。馬の目利き。

「ソナダス口きかなエだ」「そんな(化かされお前とは)口もきかねえぞ!」の意か。]

 

       放 し 馬(其の一五)

 或男、野原へ草刈に行くと、狐が居た。今日こそ狐の化(バ)けるのを見てやる氣になつて、狐のチヨロチヨロと步いて行く後(アト)をシタつて行つて見ると、エドコ(野原の湧水の所)の傍《かたはら》へ行つて、ヤツサに前足で面(ツラ)を洗つて居た。男は狐に氣付かれないやうに、藪蔭で息を殺して眺めて居ると、狐は段々に人間に化けて若い女になつた。そして細路《ほそみち》の方ヘ出て行くので、見落さないやうに後をつけて行くと、女は山の蔭を越えて大きな家へ入つて行つた。

 男はなんでも狐はこの家へ入つたと思つて、ソロツと大きな家の戶を開けて内を覗くと、ヒンと、言つて嫌ツと云ふほど張り飛ばされた。大きな家だと思つたのは放し馬で、戶だと思つて開けたのは馬の尻であつた。狐に裏をかかれたのだと言つて朋輩どもにとても笑はれた。

 (其の一三、一四は田中喜多美氏御報告の分一五目。)

[やぶちゃん注:「ヤツサに」「矢庭に」の意か。]

 

        鹽 ペ ン(其の一六)

 昔、村に爺樣があつた。町へ往く途中の野中を通りかゝると、路傍に狐が遊んで居た。よしきた一つあの狐を捕(ツカ)まへてけんべえと思つて、コソコソと近寄つていつて、ひよいと狐の尻尾をつかむべとすると尻尾はひよいと手の間《あひだ》から滑つていつた。またおさへべとすると、ぷるんと手から滑り拔けていつた。さうして捕まへやう[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]捕まへやうと思つて、小半日《こはんにち》野中で同じ所をぐるぐると𢌞つて居た。

 其所へ隣の爺樣が町の歸りに通りかゝつて、ぜぜそんだ(お前)は何して居れアと言つた。すると爺樣は、默つて居ろ、默つて居ろ、俺は今狐の尻尾を捕まへるところだからと一生懸命にダイドウ𢌞りをして居た。鄰の爺樣はこれは只事ではないと思つたから、爺樣の背中を叩いて、これヤ目を醒ませツ、それア萱《かや》の尾花だツと言つた。それで爺樣もはじめて正氣に返つて、狐にだまされて居たと謂ふことが訣《わか》つた。

 爺樣は狐にだまされたと思ふと口惜しくて堪《たま》らず、次の市日《いちび》に町へ行つて鹽を一升買つて持つて來た。そして先の市日にばかされた野中へ來て、やくと(故意に)酒に醉つたふりして寢て居た。すると其所の狐はこの爺樣は俺にだまされる人だつけと思つて、ちよこちよこと藪の中から出て來て、爺樣の孫に化けて、爺樣々々今《いま》町から歸つて來たア、早かつたなしと言つて側へ寄つて來た。そして何か食物《くひもの》でも買つて來たでは無いかと、鼻をフンめかして爺樣のふところを嗅《か》いでみた。それでも爺樣は知らぬふりをして居ると、狐はいよいよ人を馬鹿にしてしまひには爺樣のふところに面(ツラ)を突つ込んだ。爺樣はこゝだと思つて、やにはに起き上つて狐を抱き捕(オサ)へて、買つて來た鹽を其口に押ツペしてやつた。狐は苦しがつて、ジヤグエン、ジヤグエンと鳴きながら山の方へ逃げて行つた。ええことしてけたと思つて爺樣は面白がつて家へ歸つた。

 爺樣がまた其次の市日に町へ行くべと思つて、その野中を通つた。するといつかの狐が萱藪《かややぶ》の蔭に匿れて居て斯《か》うチヨチヨクツた(ひやかした)。[やぶちゃん注:底本では句点は丸括弧内の最後にあるが、訂した。]

   あれア鹽(シヨ)ぺしア通るツ

   あれア鹽ぺしア通るツ

 爺樣はおかしかつた。

 (私の村の古い話、自分の記憶。)

[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版では標題の「塩ペン」の「ン」の右にママ注記がある。同文庫の編者は「ペシ」の誤字と捉えているようであるが、以下でも「ペン」である。]

 

        鹽 ペ ン(其の一七)

 昔、遠野ノ町の多賀社の鳥居前に惡い狐がゐて、市日《いちび》歸りの人をバカしてならなかつた。或時何時もダマされる綾織の人が、片手に鹽をつかんで來たら、例の通り家に留守居して居た婆樣の姿になつて、[やぶちゃん注:底本では行末で読点がないが、「ちくま文庫」版で補った。]あんまり遲いから迎へに來たます。早く其魚を此方(コツチ)さよこしもせえ。俺ア持つて行くからと手を出した。そこで其手を取つて、有無を言はせず、婆樣の口に鹽をヘシ込んで突き放した。

 其の次に其所を通つたら、山の上で、

   鹽ヘシリ

   鹽ヘシリ

 とはやした。

 (菊池一雄氏御報告分の五。)

[やぶちゃん注:「多賀社」多賀神社。ここサイド・パネルの説明板に、『一説に横田城を鍋倉山に移した天正』二(一五七四)『年』『に阿曽沼広郷が城の鎮守として勧請したといわれ、正保』四(一六四七)『年』『と元禄』五(一六九二)『年』『に再建されました。 中世に多賀の里とよばれたこの付近は明治のころまで寂しい町はずれで、市日などで魚を買って帰る村人をだまして魚をとりあげる狐の話の舞台でした』とあった。]

 

        狐の忠臣藏(其の一八)

 大槌《おほつち》のトヤ坂に惡い狐が射て、通る人を化(バカ)してならなかつた。或人が今日こそ化されるものかと思つて、鹽引《しほびき》一本持つて力《りき》んで來た。狐どもは忠臣藏の芝居をやつて居た。一段目から十二段目が終るまで鹽引を抱いて見て居たが、いよいよ終つた時、それ見ろ俺からは取れるものかと嘲笑《あざわら》つて、家へ歸らうと步き出したら、一疋の狐が頭の上に乘つた。ハツと思つて頭の狐をおさえ[やぶちゃん注:ママ。]やう[やぶちゃん注:ママ。]と手をやつた拍子に鹽引を取られた。

 (菊池一雄氏の御報告の分の六。)

[やぶちゃん注:「大槌」岩手県上閉伊郡大槌町

「トヤ坂」不詳。

「鹽引」塩漬けにした魚。特に強塩の「塩鮭」を指すこともある。]

 

        狐 の 家(其の一九)

 或所に、俺はどんなことがあつても狐などには騙されるものではないと謂ふ男があつた。山へ行くと、路傍に一疋の狐がいて、俺達はどうしてもお前を騙すことが出來ないから、これからは友達にならないかと言つた。男はそんだら承知したと言ふと、其狐は直ぐさま美しい姉樣に化けて、これから私の棲家を見せますと言ふ。男はよしきたと言つて、其姉樣の後について行くと、大きな岩穴に入つて行つた。すると其所にひどく立派な家があつて、なにもかにも廣く結構なことだらけであつた。姉樣がまンずこつちさお出(デ)アンせと言ふから、座敷へ通ると、まづお茶を入れられ、また別な座敷では酒肴でえらい御馳走樣になつた。それから何しろ人間の人達はこんな所へは、さう度々來られるものでないから今夜ばかりは泊つて行けと言はれて、其氣になつて、腰を落着けて居ると、とにかく風呂に入つてがんせと言はれた。さうだ、泊るには風呂に入らなければならなかつたと思つて、そんだら直ぐ貰ふベエかと言ふと、さあさあ此方(コチラ)へと言つた。姉樣の後について風呂場へ行つて見ると、其又風呂場の立派なこと、我人(ワレビト)の奧座敷よりも增《まし》だつた。なみなみと一杯湯のある風呂に、肩まで浸《つか》つて、あゝいゝ氣持ちだ、あゝいゝ氣持ちだと言つて、ざぶざぶやつて居た。

 其所へ通りかゝつた人に、何だお前は何をして居ると、大きな聲で呶鳴《どな》られたので、はツと氣がついて見ると、自分は畑中の溜桶《ためをけ》に入つて、はつぱり肥料ぐるみになつて居た。

  (出所忘却。私の古い記憶。)

[やぶちゃん注:「はつぱり」「すっかり」の意か。]

 

        狐が騙された話(其の二〇)

 或所の爺樣が山へ柴刈りに行くと、山麓の細路から一疋の狐が出てきて、朴《ほほ》の葉などを拾つて頭の上に乘せたりなんかして居たが、やがてクルクルクルと三遍𢌞つてピヨンと跳上《けあが》ると、美しいアネサマ(娘)になつて、こちらへ出て來た。その樣子を初めから終りまですつかり見て居た爺樣は、ハハア狐と謂ふものはあゝして人を騙すもんだなアと思つた。そしていきなり木蔭から飛出《とびだ》して、ばツたりと狐の娘に往會(ユキア)つた。すると娘に化けた狐がエゴエゴと笑ひかけて、爺樣はどこさ行きシと言葉をかけた。爺樣はこれだ、狐に騙されると云ふ時こそ今だ。だけンど俺はハアなぼしても騙されないと思つて、にこにこ笑ひながら、姉樣こそそんな姿(ナリ)をして何所さ行くでや、俺だからよいやうなものゝ、少し尻尾《しつぽ》が隱れきらねえで居るでアねえかと言つた。(そんなことは勿論なかつたのであるが、)すると狐の娘は顏を赤くして、はア爺樣にそれがわ訣《わか》りンすかと訊いた。爺樣はわかるどころぢやない。この俺の化け振りが訣るか、何所に一つ缺點(キズ)があるか見つけて貰ひたい。お前より爺の方が餘程苦勞して居るでアと言ふと、娘はほんだら爺樣もやはりお稻荷樣しかと感心してしまつた。

 (出所忘却。)

 

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