南方熊楠 毘沙門の名號に就いて
[やぶちゃん注:本篇は最後の編者附記によれば、大正一五(一九二六)年三月発行の『集古』(丙寅第二号)に収録された論考である。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『南方熊楠全集』第六巻 (文集Ⅱ・渋沢敬三編昭和二七(一九五二)年乾元社刊)の当該論考を視認した。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第三巻(雑誌論考Ⅰ)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。漢文部は後に推定訓を添えて訓読を示した。
これは、私の、現在、作業中である『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「南方雜記」パート 再び毘沙門に就て』に先行する論考である(だから「再び」)ため、以下に電子化した。現行の諸本では、後者が単独で活字化されているものが多く、「再び」の標題が、どの論考を指すのか判然としない憾みを持たれる方が多いであろうと考え、先行して示した。ここでは私の掟破りの仕儀は行わず、底本通り忠実に字を起こしてある。その代わり、注は附さない。
なお、最後のクレジットは最終行下一字上げインデントであるが、改行した。]
毘沙門の名號に就いて
クベラ、又クビラが毘沙門天の異名なる由は、佛敎大辭彙卷一俱肥羅天の條既に述べある。熊楠謂く、此二名が一神を指すを立證するに最もよき文句は、梁朝に敕撰された經律異相卷四一に羅閱城人民請佛經から引た者だ。佛が鷄頭婆羅門の供養を許した時、釋提桓因(帝釋)語テ二毗沙門天王ニ一曰ク、拘鞞羅(クベラ)汝此婆羅門辨ゼヨ二第三食ヲ一、答テ曰ク受クㇾ教ヲ〔釋提桓因(帝釋)、毘沙門天王に語りて曰はく、「拘羅(クベラ)よ、汝、此の婆羅門を佐(たす)け、第三食を辨(べん)ぜよ。」と。答へて曰はく、「受敎(じゆきやう)す。」と。〕とある。クベラは實名、毗沙門は通稱の如くみえる。アイテルの梵漢辭彙一九三頁には、此神、前世夜叉なりしが佛に歸依して沙門たりし功德により北方の神王に生まれかわつた。其沙門と成た時、他の沙門共驚て伊ハ是レ沙門〔伊(かれ)は是(こ)れ沙門〕と叫んだ、それ故毘沙門(ヴアイスラマナ、是男も沙門かの義)の稱へを得たとあるが、これは何の經に出た事か識者の高敎をまつ。伊ハ是レ沙門は音義兩譯らしい。金毗羅(蛟神)は、大灌頂神咒經卷七などをみると毘沙門とは別神らしい。印度で古來鰐を拜する其鰐神だろう[やぶちゃん注:ママ。]。吾邦に金毘羅を航海の神とするも此因緣か。佛弟子に金毗羅比丘あり、獨處專念を稱せられた(增一阿含經三)。是も鰐を奉じた氏子だらう。
(大正一五、三、集古、丙寅ノ二)
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