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2023/05/17

芥川龍之介 鏡花全集目錄開口 (正規表現版・注附)

 

[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年五月『新小説』の巻末広告ページに他の参訂者(校訂にに加わった者)は五人連名中に初出されたもの。底本は岩波旧全集第七巻(一九七八年二月刊)に拠った。

 注は若い読者を考え、難読なもののみに限って、読み、又は、意味を添えた。]

 

 鏡花全集目錄開口

 

 鏡花泉先生は古今に獨步する文宗なり。先生が俊爽の才、美人を寫して化を奪ふや、太眞閣前、牡丹に芬芬の香を發し、先生が淸超の思、神鬼を描いて妙に入るや、鄒湛宅外、楊柳に啾啾の聲を生ずるは已に天下の傳稱する所、我等亦多言するを須ひずと雖も、其の明治大正の文藝に羅曼主義の大道を打開し、艶は巫山の雨意よりも濃に、壯は易水の風色よりも烈なる鏡花世界を現出したるは啻に一代の壯擧たるのみならず、又實に百世に炳焉たる東西藝苑の盛觀と言ふ可し。

 先生作る所の小說戲曲隨筆等、長短錯落として五百餘篇。經には江戶三百年の風流を吞却して、萬變自ら寸心に溢れ、緯には海東六十州の人情を曲盡して、一息忽ち千載に通ず。眞に是れ無縫天上の錦衣。古は先生の胸中に輳つて藍玉愈溫潤に、新は先生の筆下より發して蚌珠益粲然たり。加之先生の識見、直ちに本來の性情より出で、夙に泰西輓近の思想を道破せるもの尠からず。其の邪を罵り、俗を嗤ふや、一片氷雪の氣天外より來り、我等の眉宇を撲たんとするの槪あり。試みに先生等身の著作を以て佛蘭西羅曼主義の諸大家に比せんか、質は擎天七寶の柱、メリメエの巧を凌駕す可く、量は拔地無憂の樹、バルザツクの大に肩隨す可し。先生の業亦偉いなる哉。

 先生の業の偉いなるは固より先生の天質に出づ。然りと雖も、其一半は兀兀三十餘年の間、文學三昧に精進したる先生の勇猛に歸せざる可からず。言ふを休めよ、騷人淸閑多しと。瘦容豈詩魔の爲のみならんや。往昔自然主義新に興り、流俗の之に雷同するや、塵霧屢高鳥を悲しましめ、泥沙頻に老龍を困しましむ。先生此逆境に立ちて、隻手羅曼主義の頽瀾を支へ、孤節紅葉山人の衣鉢を守る。轗軻不遇の情、獨往大步の意、俱に想見するに堪へたりと言ふ可し。我等皆心織筆耕の徒、市に良驥の長鳴を聞いて知己を誇るものに非ずと雖も、野に白鶴の迥飛を望んで壯志を鼔せること幾囘なるを知らず。一朝天風妖氛を拂ひ海内の文章先生に落つ。噫、噓、先生の業、何ぞ千萬の愁無くして成らんや。我等手を額に加へて鏡花樓上の慶雲を見る。欣懷破顏を禁ず可からずと雖も、眼底又淚無き能はざるものあり。

 先生今「鏡花全集」十五卷を編し、巨靈神斧の痕を殘さんとするに當り、我等知を先生に辱うするもの敢て謭劣の才を以て參訂校對の事に從ふ。微力其任に堪へずと雖も、當代の人目を聳動したる雄篇鉅作は問ふを待たず、洽く江湖に散佚せる萬顆の零玉細珠を集め、一も遺漏無からんことを期せり。先生が獨造の別乾坤、恐らくは是より完からん乎。古人曰「欲窮千里眼更上一層樓」と。博雅の君子亦「鏡花全集」を得て後、先生が日光晶徹の文、哀歡双双人生を照らして、春水欄前に虛碧を漾はせ、春水雲外に亂靑を疊める未曾有の壯觀を恣にす可し。若し夫れ其大略を知らんと欲せば、「鏡花全集」十五卷の目錄、悉載せて此文後に在り。仰ぎ願くは瀏覽を賜へ。

   大正十四年三月

 

[やぶちゃん注:「鏡花全集」泉鏡花数え五十三歳の大正一四(一九一五)年七月から刊行が始まり、昭和二(一九二七)年七月(奇しくも芥川龍之介自死の月であった。芥川の葬儀では鏡花が先輩総代として第一番に本人によって弔辞を読んでいる。私の『泉鏡花の芥川龍之介の葬儀に於ける「弔辞」の実原稿による正規表現版(「鏡花全集」で知られたこの弔辞「芥川龍之介氏を弔ふ」は実際に読まれた原稿と夥しく異なるという驚愕の事実が判明した) / 附(参考)「芥川龍之介氏を弔ふ」』(ブログ版)を参照。PDF縦書サイト版もある。鏡花の自筆年譜のそこには、『七月、期に遲るゝこと八ケ月にして「全集」成る。この集のために、一方ならぬ厚意に預りし、芥川龍之介氏の二十四日の通夜の書齋に、鐵瓶を掛けたるまゝの夏冷き火鉢の傍に、其の月の配本第十五卷、蔽を拂はれたりしを視て、思はず淚さしぐみぬ。』と記されてある)に最終巻が配本された。全十五巻で、参訂者は小山内薫・谷崎潤一郎・里見弴・水上龍太郎・久保田万太郎、そして、芥川龍之介であった。

「太眞」かの玄宗の美妃楊貴妃の道号。

「鄒湛」(すうたん ?~二九九年頃)は西晋の官僚・文人。当該ウィキによれば、『若くして才能と学問で名を知られ、魏に仕えて通事郎・太学博士を歴任し』、『生前に書かれた詩や時事を論じた』二十五『首は、当時』、甚だ『重んじられた』とある。

「宅外、楊柳に啾啾の聲を生ずる」鄒湛の詩篇と思われるが、簡体字などを用い、いくら調べても、彼の詩篇に当たることは出来なかった。識者の御教示を乞うものである。

「濃に」「こまやかに」。

「啻に」「ただに」。

「炳焉」「へいえん」。明らかなさま。著しいさま。

たる東西藝苑の盛觀と言ふ可し。

「緯」「ゐ」。

「藍玉愈溫潤に」「らんぎよく。いよいよ、をんじゆんに」。

「蚌珠益粲然たり」「ばうしゆ、ますます、さんぜんたり。」。「蚌珠」は淡水産の斧足綱イシガイ目イシガイ科カラスガイ属カラスガイ Cristaria plicata から採れる真珠。

「加之」「しかのみならず」。

「夙に」「つとに」。

「輓近」「ばんきん」。最近。

「擎天」「けいてん」。ここは、全世界の文芸を支えるところの貴重な存在の意。

「偉いなる哉」「おほいなるかな」。

「兀兀」「こつこつ」。凝っと腰を据えて物事に専心するさま。絶えず努めるさま。

「屢」「しばしば」。

「頻に」「しきりに」。

「困しましむ」「くるしましむ」。

「隻手」「せきしゆ」。(ただ先生お一人が、しかも)片手で。

「頽瀾」「たいらん」。波頭の崩れ落ちてゆく波。ここはロマン主義の衰退を指す。

「心織筆耕の徒」「しんしきひつかうのと」。ここは、「文学を活計とする者ども」の意。

「良驥」「りやうき」。千里を走る駿馬。転じて才能のある人物を指す漢語。

「白鶴」「はくかく」。同前。

「迥飛」「くゑいひ」(けいひ)。遙かに空高く舞い飛ぶこと。

「鼔せる」「こせる」。

「妖氛」「えうふん」(ようふん)。禍いを及ぼす悪しき気。妖気。

「海内」「かいだい」。

「噫」「ああ」。

「噓」「きよ」。感動詞的用法。長い溜息をつくことを意味する。

「辱うするもの」「かたじけなうする」。

「謭劣」「せんれつ」。あさはかで、劣っていること。

「校對」「かうつい」。校正。

「聳動」「しようどう」。恐れ、動揺すること。

「鉅作」「くさく」。傑作。

「洽く」「あまねく」。

「萬顆」「ばんくわ」。

「別乾坤」「べつけんこん」。

「完からん乎」「まつたからんか」。

「欲窮千里眼更上一層樓」。私も好きな、漢文の教科書にも載る、盛唐の詩人王之渙の五絶「登鸛雀樓」の著名な転・結句。通常、「眼」は「目」である。

   *

 登鸛雀樓

白日依山盡

黃河入海流

欲窮千里目

更上一層樓

  鸛雀樓(くわんじやくらう)に登る

 白日(はくじつ) 山に依りて 盡き

 黃河 海に入りて 流る

 千里の目(め)を窮めんと欲して

 更に上(のぼ)る 一層樓

   *

この「一層樓」を「一層の樓」と訓ずるのは、私は嫌いである。

「哀歡双双」哀しみと歓びとが二つながらともに。

「虛碧」「へききよ」。本来は「晴れ渡った青空」を指すが、ここは前後から春の水の流や淵の奥深い碧(あお)いそれを指す。

「漾はせ」「ただよはせ」。

「恣に」「ほしいままに」。

「瀏覽」「りうらん」(りゅうらん)。「くまなく目を通すこと」が第一義だが、ここは別に、「他人を敬って、その人の著作を閲覧すること」を言った謙遜表現。]

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